第3話 序章その3・死
七年前の八歳の時———。
それは真白伊澄にとっても幼馴染の秋姫鈴にとっても———もう一人の幼馴染、小春清十郎にとっても最高の日々だった。
いつも三人仲良く遊んでいた。
秘密基地でずっと三人でゲームをしていた。
ひたすらに三人で時間を過ごしていた。
だが、小春清十郎はある時気が付いてしまった。
この三人がいつまでも一緒に入れるわけじゃないと言うことが———。
「ねぇ! このゲーム占いができるよ!」
その声を恋愛占いゲームの筐体から少し離れた場所で清十郎は聞いていた。
幼馴染の二人は清十郎に気が付く様子もない。そして中に入って、恥ずかしそうな声を出す伊澄と甘えたような声を出す鈴に気が付いてしまう。
自分がいると絶対に出さない、二人きりの声だと言うことに気が付いてしまう。
「ほら!」
ゲーム機から『相性100%』を意味する高音の電子音が流れる。
清十郎は拳を握りしめた。
その感情が悔しさなのか嫉妬なのかわからない。
ただ、清十郎はその音が『相性100%』を示す音だということは知っていた。彼らがアレを見つける前から清十郎はその存在を知っていた。既に一人でプレイし、情報を打ち込んでいた。
「俺の時とは違う———」
自分と鈴との相性を打ち込んでいた。
「———やっぱりあいつと、伊澄と俺は違う……!」
そして伊澄と鈴の相性も打ち込んでいた。
だから……この結果は知っていた。
「俺の方が……俺の方が……!」
自分よりも……伊澄の方が鈴に好かれている事には気づいていた。
だから、二人の親友として応援してあげなくてはいけない。
「どうして……俺は伊澄じゃないんだ……!」
絶対に聞こえないように喉を絞る。
本来は音にしてはいけない胸中に留めておかなければいけない言葉———。
だが———どうしても胸の奥からあふれ出し、言葉として口から出てしまう。
感情が抑えきれない。
だが———抑えなければいけない。
そうしないと、この三人の関係は壊れてしまうから。
● ● ●
2124年7月4日。
伊澄は冷凍睡眠への同意書にサインをした次の日の、朝。
新宿ドーム内の中心地にある高校へ向かうため、伊澄は自宅から最寄りの高田馬場駅を使おうとしていた。
「ああ、今から電車で学校向うところ。鈴は? もう学校着いている?」
『まだ駅。新宿駅』
彼は耳に折り畳み式の携帯電話を当てていた。
いわゆるガラパゴス携帯———ガラケーというやつだ。
百年前に日本で普及し、スマホが台頭するにつれて廃れていった通信器具だが、スマホも眼鏡型携帯通信端末———スマートグラスの登場により廃れていった。それと同時にリバイバルブームが起きて、22世紀の現在は若者を中心としてガラケーを持つ文化になっている。
「どうしてまだ学校行ってないんだよ?」
『それを言わせる~? 君を待ってるに決まってるじゃん!』
だろうな、と思いつつ嬉しくてはにかむ。
だが、すぐにその笑みも消え去る。
「……あのさ、鈴」
『ん? 何?』
昨日、姉から突きつけられた現実をここで鈴に話すべきか悩む。
朝、一刻も早く彼女の声を聴きたいという衝動に駆られて電話した。今時、脳波を感知して文章を遅れるスマートグラスの方が便利なのに———その眼鏡型の最新機器は伊澄の胸ポケットにしまわれている……。
「話が、あるんだ……」
『うん! 私もいっぱい話がある! 君としたい話!』
「そうじゃなくてさ……重要なことなんだ……あのさ。コールドスリープに入ることが決まった」
『…………』
通話口の向こうでごくりと鈴が唾を飲む音が聞こえた。
一瞬、こういう大切なことは直接会って話すべきだろうと思ったが同時に———今話しておかなければ一生話すことができないようなことがして、伊澄は打ち明けた。
『いつ?』
「三年以内。具体的には決まっていないけど、その内入らなきゃいけない……だからさ、それまでたくさん……鈴と過ごしたいんだ」
『それまで?』
「ああ、会えなくなっちゃうだろ……三年後は……」
一生、もう会えなくなる。
コールドスリープにつくという意味はこの時代の人間なら誰にでもわかる。
今世の人間との永遠の別れだ。
今までのコールドスリープの前例は百年以上眠りにつくケースが全て。十年とかそこらでは眠りにつく意味がない。それなら起きていた方がいい。寿命以上の時間を過ごさなければいけないからこそのコールドスリープなのだ。
だから、一度眠りについたら鈴と二度と会うことはできない。
死に別れてしまうも同然なのだ。
『そうだね。いっぱい話していっぱい遊んで、いっぱい一緒にいよう……』
鈴は伊澄がコールドスリ―プに入るという事実を直ぐに受け入れた。だが、それは理屈だけで感情面では上手く受け入れられていないようで、声が涙声になっている。
「ああ、俺が眠りにつく間の三年間……一生分の……時間を凄そう……な……」
ポロポロと、伊澄の眼から涙があふれる。
そして、
『でもさ———、』
と鈴が言う。
『三年後もまた会おうよ』
「え?」
『三年後もさ、何年何百年、何千年経っても……また会おうよ』
「会えないよ。俺は百年以上の眠りにつくんだぞ?」
『大丈夫だよ。また会える。私も、君を追いかけるから……』
「それって……」
その言葉の意味するところは、彼女もまた冷凍睡眠に入るということだ。
「ダメだ。危険すぎる。まだ冷凍保存技術は確かに安全だと証明されていないんだぞ」
『でも、このままだと二度と会えなくなっちゃうでしょ。そんなの嫌だな。君と会う可能性が一パーセントでもあるのなら、私もコールドスリープに入る。そう……君のお姉さん、真白雨芽さんに頼んでみるよ。私もこの体を冷凍保存技術の進歩のために提供しますって』
「鈴……どうしてそこまで、俺に……」
『私、運命っていうの信じてるんだ。私、秋姫鈴は君と一生一緒に居続ける。そういう運命なんだって君の顔を見た瞬間ピンと来たんだ。だから、君が一緒じゃないと私の人生意味なくなっちゃう。それが盲目的だとか無知からくる愚かさだとか言われても。今、私が一番したいことは君と一緒にいることなんだからしょうがない。私も君と一緒の眠りにつくよ』
「……鈴、鈴……!」
嬉しくて、感情が爆発しそうになる。
朝の普通の通学路。
憂鬱そうな朝の始まりをしている人々の中で、一人大声で泣き出しそうになってしまうのをグッとこらえる。
『三年後も、また会おうね。あの———四葉のクローバーに誓おう』
「四つ葉?」
電話口から聞こえる言葉に伊澄は疑問符を投げかける。
ここは2124年の東京の新宿区周辺だ。1945年の戦争が終わって急速に都市化が進み、それから200年近くの時が経ったとはいえ、コンクリートジャングルであることは変わりない。それどころか都市を丸ごと覆う紫外線遮断ドームもできて、都市化は更に進んだともいえる。
そんな場所で緑など、四つ葉のクローバーなど有りようもない。
そもそも、伊澄が今いる高田馬場駅と新宿駅で伊澄を待っている鈴とは二駅分の距離がある。単純に場所が違うのに、「あの四つ葉のクローバーに誓う」ことなどできようはずもない。
だが———、
「あぁ……」
と、伊澄は納得した。
空を———見上げたからだ。
『あの四つ葉のクローバーに、誓おう———』
ビルの隙間から、大きな〝四つ葉のクローバー〟が顔をのぞかせている。
あれか、と思った。
四つの丸い雲が絶妙な形で身を寄せ合い、四つ葉のような形を作り出している真っ白な四つ葉のクローバー。
〝ここ〟と空との間に紫外線遮断ドームの網目状のフィルターが入っているおかげで少しだけぼんやりとした完全に綺麗とはいえない景色だが———確かに伊澄と鈴は同じ空を見ていた。
「ああ、三年後もまた出会おう」
小指を立てて、雲の四つ葉へと向けた。
誓いを立てるように。
そんなことを電話の向こうの鈴がしているかは知らないが、
『うん』
と、力強く答える彼女の声から同じ気持ちをしていると確信できた。
● ● ●
秋姫鈴は真白伊澄の傍にいる、ずっと———。
そう誓いを立てた五分後、伊澄は高田馬場駅の改札をくぐって山手線のホームへと向かった。
新宿へ向かう電車に乗るためだ。
「早く、来ないかな……」
そわそわしながら少し身を乗り出して山手線の緑の電車が来るのを待つ。
『お客様、危険ですので身を乗り出さず白線の内側までお下がりください』
上に設置してあるスピーカーから注意をされる。音声はAIによる電子音声特有の音で、駅のホームは監視カメラにより常にAIが安全管理をしている。
この駅のホームには落下防止用の柵もなく、旧時代然として一見危なそうに見えるが、駅のホーム内のAI監視を始めとして、電車も自動運転、ブレーキのグリップ性能と衝撃軽減機能の開発により急停止が可能になり、例え人が線路上に落下したとしても車体から二メートル以上離れているのなら接触しないという非常に安全なものとなっている。
そしてコスト管理のために最低限の設備しか置いていないのだが、伊澄はこの開けた空間が嫌いではない。
AIに監視されているとはいえどこか開放感があり、なにより昔から変わらない駅のホームの光景と言うことでノスタルジーを感じさせる。
昔も、こうして恋人に会う気持ちを胸に電車を待っていたのだろう。
そう、思いをはせて息を吐いた。
ポォォォォォン……!
『まもなく電車が参ります。お乗りのお客様は白線の内側までお下がりください』
ガタンゴトンという音が小さく、遠くから聞こえる。
新宿方面行の電車が接近してくる。
自らの来訪を知らせる独特のブザー音を鳴り響かせた後、ホームに設置されているスピーカーからアナウンスが流れだし、伊澄は「遂に来たか」と胸の鼓動が速くなるのを感じ、頭の中で秋姫鈴のかわいらしく無邪気な笑顔を思い浮かべた。
———ドンッ!
「……え?」
その———瞬間だった。
伊澄の体が宙に浮いた。
誰かに———背中を蹴られた。
「清十郎?」
伊澄は、線路に落ちゆく中で視界にはいった人物の名前をポツリと言った。
彼は強い力で押されてホームから落ち行くとき、その力で体が少しだけ回転し、ホーム側が視界全体に広がるような体制になった。
そして、清十郎を見たのだ。
だが、自信がない。
確かに自分の立っていた位置の真後ろに立っていたはずの少年は清十郎に見えた。
そう……なのだが、あんな形相をしている男が清十郎だとは思えなかった。
怒りに顔を歪ませ、スニーカーの底をこちらに向けて思いっきり蹴り飛ばした証拠を見せつける男が、清十郎だと信じたくなかった———。
キキィ————ドンッ!
その音と共に真白伊澄の意識は途絶えた。
彼が線路へ落ちた時には、電車の前に身を躍らせた時にはこの時代の電車が急ブレーキで止まれる距離、二メートルを切っていた。
真白伊澄は電車に轢かれた。
そして———秋姫鈴はこの日を境に二度と伊澄の声をその耳で聞くことはなかった。
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