第二話 シャワーをあびて

………………何から……始めたらいいんだろう。考えるべきことが多すぎて、僕は静かに混乱していた。



僕は、彼女との夏休みを手に入れた。。……僕の思い出の世界に、火置ひおきさんがいる。お気に入りのこの家で、これから二人で暮らせる。


幸せ?……間違いなく幸せだ。でも、手放しで幸せだとは言えないのがつらい。



だって、彼女しかいない二人っきりの世界で僕はきちんと自分を保てるかな?


いつだって、触れられる距離に火置さんがいる。君が僕を受け入れてくれる場合も、受け入れてくれない場合も、どちらも心配だ。




もし受け入れてくれたら、多分僕は歯止めが効かなくなる。いつだって彼女が欲しいし、際限なく求めてしまうだろう。『殺したいほど』愛してしまう気がする。



受け入れてもらえなかったら……この場合は生き地獄だな。ずーっと我慢するしかないんだ。同じ家で寝て、同じ部屋のシャワーを使って、同じ食卓を囲みながらも、ずっと。彼女に触りたくて触りたくて、僕は気が狂うかもしれないよ。



こんなことになるのなら、カミサマの言いなりになんてならなければよかったかな。カミサマの言いなりになって、僕は彼女を裏切って……寝ている君を、勝手に抱いた。


こうやって二人で穏やかな日々を送れるとなると、その事実は拭えない罪となって僕に呪いのような跡を残す。『あんなことしたお前が、簡単に許されると思うなよ』。自分で自分に釘を刺す声が聞こえる。





…………はぁ、考えすぎだ。もうやめよう。





とりあえずは、刑務所にいた時と同じように接するのがいいのかもしれない。君の信頼を勝ち取ること。それが今の僕にできる最善の行動だ。



信頼を勝ち取る……と考えている側から、脳内にはもやもやとした煩悩が顔を出していた。シャワーを上がって、万が一雰囲気になるなんてこともあるかもしれない。少なくともさっきまでの彼女は、僕を拒絶している感じではなかった。僕はいつも以上に、丁寧に体を洗う。



……ちょっと緊張するな。でも、火置さん疲れている様子だったな。それどころじゃないかな。





「お待たせ…………あれ?」





居室へと戻った僕は、彼女が机に突っ伏しているのを見つけた。…………黙って火置さんを観察していると、ゆっくりと背中が動いているのがわかった。すう、すうという寝息が聞こえる。



「…………火置さん、寝てる……?」



寝ていたら可愛そうかなと思って、小さな声で話しかける。反応は……ない。しっかりと熟睡してしまっているようだ。


「……ははっ…………人生はなかなか思い通りにいかない」


思わず口から飛び出す独り言。



そうだ、焦っても仕方がない。だってここには時間がいくらでもあるんだから、のんびりと君の準備を待とう。夏休み初日から飛ばしたら、後がもたない。



僕は、待つのは得意。10年以上もずっと、神様に会えるのを待ってきた。いつ会えるかもわからない神様のことを待てたんだから、それに比べたら全然大した事ない。


僕は一階の和室に布団を敷き、彼女を起こさないよう慎重に抱いて布団まで運ぶ。……太ももが柔らかくてドキドキしてきた。今日、うまく寝れるかな。



彼女を布団に寝かせ、電気を消す。


「おやすみ、火置さん」


僕は静かに二階に上がり、母が使っていた屋根裏部屋のベッドに入り、目を閉じた。そして、火置さんの夢を見る。






…………朝、スズメのチュンチュンという声で目が覚めた。


今、何時だろう。壁の時計を確認する。針が指していたのは『8時20分』。


つい昨日まで規則正しい刑務所生活をしていたとは思えないレベルの朝寝坊だった。そこまで疲れていたつもりはなかったのだけど、想像以上に精神的な負担を感じていたのだろうか。



火置さんは……起きているかな。


そーっと一階へと降りる。そーっととはいっても、この家は古く床が軋む。僕が降りて来たことは、足音ですぐにわかるだろう。



僕は一階の和室のふすまの前で立ち止まる。……物音は全くしない。火置さんがいなくなっていたらどうしようと、不安になってきた。



「火置さん……?入るよ?」


スススとふすまを開ける。部屋の真ん中に敷いた布団が盛り上がっている。火置さんはまだ眠っていた。布団が一切はだけていないところを見ると、微動だにせず眠っていたらしい。……まさか死んでいないだろうな。


「火置さん?」


布団に近づくと、火置さんは仰向けのまま口元まで布団をかけてすうすうと眠っていた。熱があるんじゃないかと思いおでこに手を当てるが、平熱だった。少しだけ肩を揺すってみたけど、ピクリともしない。いくらなんでもちょっと異常な寝方だった。このまま一生目を覚まさないなんていうことがあったらどうしよう。



背中に冷や汗が滲む。それは、嫌だ。せっかく二人になれたのに。せっかく君と、夏休みの世界に行けたのに。



「火置さん……!火置さん!朝だよ、起きて!」


嫌だよ、僕を置いていかないで。お願い、目を覚まして。


「火置さん、火置さん……?」



「………、……。……」


火置さんがほんのかすかに動く。


「火置さん!?大丈夫??体調悪い…??」


「……ねかせて……」彼女は目をつぶったまま、不明瞭な声を出した。


「寝かせてって……もうすぐ9時だよ。昨日だって7時くらいに寝てる。そんなに眠いの?」


「……今日、一日寝れば……元気になるから…………」


「………………体調は、平気なの……?」


「……魔法を使いすぎた、だけ…………」


この言葉の後、彼女はまたスウと眠りに落ちてしまった。そういえば、以前彼女は『魔法を使いすぎると眠くなる』と教えてくれたことがあった。この夏休みの世界を作るために、彼女は膨大な魔力を消費したということなのだろうか。



とりあえず僕はほっとした。彼女が死んでしまうとか、目を覚まさないとか、僕らしい悲劇的な展開にはならずに済んだから。



一度理由がわかったら、僕は安心して待てる。早く君と話したい。そして一緒に海辺を歩きたい。君のことを、もっと知りたいんだ。




この日僕は、外を歩いて自分の普段着になりそうなものや食料を探しに行った。


町を歩いて気づいたのは、この場所には今のところ僕ら以外の人はいなさそうだということ。そして、おそらく現実の故郷の町とは少し違っているということだ。僕の記憶が鮮明な場所だけがツギハギされているようだった。


例えば、祖父母の家から最寄り駅は現実では歩けない距離にある。しかし家を出てものの数分歩くと、駅に着いていた。きっと道中は主にバスを使っていたから、道の記憶が曖昧だったのだろう。


駅前のドラッグストアで食料と部屋着になりそうなものを持ち去り(レジには影しかいなかったし、話が通じなかったから、仕方なかったんだ)僕は家へと戻る。


火置さんは、まだ眠っていた。トイレとか大丈夫なんだろうか。流石に漏らしていることはないと思うけど……。



一人の夜は、つまらない。早く明日になってほしいから僕はカップラーメンだけを食べて、日没とともに床につく。明日の朝、彼女の笑顔が見られることを願って。




この日も僕は、火置さんの夢を見る。

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