第一章 8月の前半

第一話 二人の夏休みのはじまり

二人で抱き合って夕闇の中を落ちていく。海に向かって落ちていく。

海面は夕闇の空の色を映し出していて鏡のよう。どっち側が海でどっち側が空だかわからなくなってきた。私達は海に向かってるの?空に向かってるの?




バシャーン





落ちた場所はやっぱり海だった。


二人の周りに泡の渦が踊る。DNAみたいに螺旋を描いている。

水はとても温かい。

ゆっくりと浮上して、海面へ浮かぶ。



私達は夕闇の海の中にいた。



***


第一章 8月の前半

『二人の夏休みのはじまり』






今日は新月みたいで、月は出ていない。波はとても穏やかだ。

私達は二人で海面に顔を出して、海から陸を眺めた。


「ここは……」ヤミが呟く。


砂浜の先には私の見知らぬ景色が広がっている。静かな、海辺の町。


「…………僕の生まれた町だ」


ここは、ヤミの記憶が土台になった世界だ。どうやら私は無事に、記憶を元にした精神世界を魔法で作り出すことに成功したらしい。


ずっと死にたいと言っていたヤミを……カミサマの言いなりになりつつあったヤミを説得して、無事に刑務所から逃げのびることができた。



肩の力が抜ける。今すぐどこかで体を休めたい。ぐっすり眠って、まる1日ぼーっとして……そのあと、二人で今後のことを決めていきたい。



火置ひおきさん、浜に上がろう。体、冷えるだろ」立ち泳ぎをしながら、ヤミが私に向かって言う。


「……うん、そうだね」



二人で岸まで泳ぎ、白い浜辺にたどり着いた。


岸に上がってから気づいたけれど、私達はほぼ裸だった。……そういえば、そうだ。ほんのついさっきまで、私達はカミサマの祭壇の上で抱き合っていたんだから。



そもそもどうして抱き合っていたんだっけ??私は眠らされていたから状況が未だに飲み込めていない。あのときは生き抜くことに必死で何も思わなかったけど、今になって恥ずかしくなってくる。


私の手にはなぜか薄い布が握られていたから、とりあえずそれを体に巻き付ける。



「服を見つけたいな。……君だって、それじゃあ生活できない」


私の方をチラッとだけ見て、ヤミが言った。私がまごまごしているのを見て、気にかけてくれたんだろうか。


ヤミの方はというと、裸だというのに全然恥ずかしがってないように見えた。 


「……そう、ね。拠点になる場所も、探さなくちゃ」


「この砂浜は、見覚えがある。祖父母の家に近かったんだ」ヤミが周囲をゆっくり見回しながら言う。


「ここはヤミの記憶の世界だよ。記憶が忠実に再現されているはずだから、あなたの記憶にあるものは全部ここにもあるはずよ」


「……祖父母の家を探してみよう。すぐ近くにあるはずだから」




砂浜を歩き、石の階段を上るとチラホラと民家が見えたが人の気配はない。古い木造建築と、現代家屋が道沿いに何件か並んでいる中に、定食屋さんがあった。……小さいヤミは、ここにも行ったのかな。


「記憶と全く一緒なんだな。すごく久しぶりだから、懐かしい」


「…………静かで、素敵な場所だね」


「うん、すごく好きな場所だった」



私はヤミの後ろを、少し離れて歩く。


改めて見ると、ヤミはとても背が高くて、細いとは言え薄く筋肉がついていて、『男の人』の体をしていた。


……なんで妙に緊張するんだろう。ヤミの様子はいつもと変わらない……。ちょっとズルい気がしてきちゃう。




歩いているとたまに、人の形をした影のようなものとすれ違った。幽霊のようにも見えるけど、近づいても嫌な感じはなく向こうからも何もしてこない。ただそこにいるだけ、みたいな影。


「あの影はなんだろう」こちらを振り向かずに、ヤミが私に聞く。


「……あなたの記憶が作り出したもの……ではあると思う。ヤミに町の人の記憶はないの?」


「町の風景は鮮明に覚えてるんだけど……人とはあまり交流してなくて記憶が曖昧なんだ。だからかな」


「……それが理由かもしれない」




私達は緩やかな坂道を登る。小石を裸足で踏んづけて、足の裏が痛い。


……そろそろ着かないかな。そう考えていたら、ヤミが足を止めた。



「ここだ」


ヤミの見上げている家を見る。ちょっとした丘の上に建つ、二階建ての小さな白い家。『祖父母の家』というから和風を想像していたのだけど、こじんまりとして可愛らしい西洋風の家だった。歩いてきた道を振り返ると、その先には海が見えた。


「……本当に、目の前が海なのね」


「うん、いい場所だろ?僕は祖父母の家に行くことを、いつも楽しみにしてた。ここに住みたいくらいだったんだ」


「……それじゃあ、夢が叶ったね。当分ここに住むことになると思う」


「……君のおかげだ」


「どういたしまして」


玄関扉に鍵はかかっていなかった。中に誰もいないような気はしたけれど、念の為「おじゃまします」と声をかけてから二人で家に入る。



古い木の家の匂い。私のおじいちゃんとおばあちゃんの住んでいた家も、似たような匂いがしてたな。


匂いは記憶を強制的に引き出す作用があるようで、10年近く思い出しもしなかった祖父母の顔がふと頭に浮かんだ。



「僕の服はあるかな……祖父は昔の日本男児にしては背が高かったけど……それにしても僕には小さすぎると思う」


「私はおばあちゃんの服を借りられればいいかな。なかったらおじいちゃんのでも」


火置ひおきさんは、うちの母の服を使えばいいよ。ここは母の実家だから、母の服はまだ残っているはずだ」


「……わかった」



ヤミに案内され、ヤミのお母さんが使っていたという2階部屋の洋服ダンスの中身を探させてもらった。その中には、シンプルなワンピースが、数着丁寧に畳んでしまわれていた。別の引き出しの中には部屋着が何着かあったから、その一つを手に取る。



一階に戻ると、ヤミが濃紺色の浴衣を着てリビングの椅子に座っていた。私が降りてきたことに気づいた彼は、顔をこちらに向ける。


「浴衣なら、あまり大きさは関係ないから。裾が短いけどね」


「…………似合うね」


「そう?ありがとう」柔らかく微笑んで、ヤミは言う。その笑顔を見て、私の心臓は少しだけ大きめに鳴った。


……なんだろう、さっきから私、意識しすぎているのかな。今日の私、おかしい。……もう、早く寝て明日にしたいな。元気になれば、またいつも通りに戻れる。



「ヤミ、先シャワーを浴びていい?すぐ終わらせるから」


「いいよ。お風呂場は、こっち」


私はヤミに付いていく。ガラリと折戸を開けると、青いタイルのお風呂場だった。レトロな感じがする。


私はヤミに言った。「海水でベタベタするよね?ちょっと待っててね、ちゃちゃっと済ませて上がるから」


「ゆっくりでいいよ。それとも、一緒に入る?」


「!」


「……冗談だよ。ほら、入っておいで」


「…………」



なんだか、うまく頭が回らない。今日は精神力を使いすぎた。だって私は、魔法で一つの世界を創造したんだもの。


私の魔法のリソース(精神力)は、そんなに潤沢ではない。すごい魔道士は3日3晩高位の呪文を唱え続けられる人もいるけど、私にはできない。


私は1日魔法を使い続けたら、次の日は丸一日眠くてお話にならなくなる。こまめに休息を取らないと、私は私のポテンシャルを発揮できない。



……これからヤミと、どうやって過ごしていこう。刑務所にいたときには色々なことを考えていた気がするけど、忘れちゃった。どうやって彼と生活すればいいんだっけ?



ぼーっとした頭で脳内をこねくりまわしても、何ひとつ考えはまとまらず何の結論も出なかった。体と頭を洗って、私はお風呂場をあとにする。明日は、湯船につかりたいな。




「おまたせ」


「本当に早かったね。それじゃあ、適当に休んでて」


「うん」



ダイニングテーブルの椅子に座ると、猛烈な睡魔に襲われた。……ダメだ、今寝るな。せめて、寝床に行ってから寝よう……。


……。


…………。




私のその日の記憶は、ここで途切れている。こうして私の夏休みの1日目は、終わったのだった。

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夏休みの夕闇~夏休み編~ 二人きりの世界に閉じ込められた歪な男女の物語 苫都千珠(とまとちず) @chizu_tomato

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