記憶改竄部門

日時 十月十一日 十二時二分


「君たちの一番過去の記憶を思い出してほしい。さぁ、目を閉じてくれ。意識を集中させるんだ。いいか、呼吸はゆっくりするんだ。心を落ち着かせて」

白の天井と白の壁で構成された一般的な会議室の前で、スーツに身を包み片手にはコーヒーの入った紙コップを持ちながらルーカス・マーティンがしゃべっていた。それにむかって三人の男女が着席し、彼の指示に従う。ルーカスは三人が目を閉じているのを確認し、続けて言った。

「ゆっくりでいい。思い出すんだ」

ルーカスは一人一人の顔を見ながらゆっくりと歩く。腕時計で時間をしきりに確認している。秒針が一周した。

「目を開けて。じゃあ一番過去の記憶を思い出せた人はいるか?」

手を叩き、ルーカスが言った。着席している男が手をあげた。スーツに身を包み髪は綺麗に整えられていた。

「昔、誘拐されそうになった事があってそれが一番過去の記憶だと思います。二歳の頃です。その時は近くにいた男の人に助けてもらって。彼の顔は今でも鮮明に覚えています。彼は一人だけで立ち向かい勇敢でした」

男が言い終わる。その表情はなんとも誇りに満ちた表情だった。

「ありがとう。ジェイソン君。すごい体験をしたんだね。それは強烈な記憶だ。だがどうだ? その記憶は完璧にあっていると言えるかな」

ルーカスはコーヒーを一口飲んだ後、机の上に置かれている束ねられた資料を手に取る。一枚一枚丁寧にめくった。ガブリエルと名前が書かれたページを見つける。

「ガブリエル・ジェイソン。年齢二十三歳。性別男。両親は共に会社員。ごく一般的な家庭で育っている。性格は前向き。二歳の頃、遊園地にて誘拐されそうになるがその場にいた女性に救助される。その後、犯人を男性が取り押さえ、犯人は警察に逮捕された」

ルーカスが感情なく事務的に読み上げた。打ち込まれた音声だけを発する機械のようだ。そして続けて言った。

「これが本来の出来事だ。君の記憶では男性に助けられたとなっていたが、本当は女性に救助されている。君は男性が犯人を取り押さえている光景を目にして、彼の行動が頭に残ったのだろう。女性は記憶されず男性だけに助けられたと記憶してしまったのだろう。少しの違いかもしれないが記憶は人の生き方を大きく左右する。この女性が君の脳に記憶されていたのなら君は全く別の人生を歩んだかもしれない。これが記憶だ。実に脆く、強固なものだ」

ルーカスは資料を元あった場所に戻した。そしてコーヒーを少量口に含み飲み込んだ。彼の喉はしゃべることにより水分を失っていた。

「我々記憶改竄部門の仕事はこの脆さと強固を持ち合わせる記憶に介入し改竄する事だ。記憶を改竄することによって感情やその人の現実観、いわゆる現実の見え方さえ変える事ができる。小さな記憶の改竄が大きな変化をもたらす。うまく改竄すれば、こちらの都合のいいように相手の記憶や感情を操作できると言うことだ。だがこの仕事は分かってはいると思うが簡単ではない」

ルーカスはゆっくりと全体を見渡す。三人の視線はルーカスに向けられていた。その態度からルーカスのオリエンテーションがいかに魅力的かがわかる。彼は続けて言った。

「小さな変化が大きな変化をもたらす。的確に指示通りに行わなければならない。対象者に記憶を消去し、別の記憶に書き換える。まるで本当の記憶のように。我々の正体を悟られてはならない。我々記憶改竄部門は、ある名前で呼ばれることがある。『ヴァンパイア』と。この呼び名を気に入らない者もいるが。影に潜み、影で記憶を改竄する。世間は我々を知らない。このヴェールを崩壊させてはいけない。崩壊した時、世界は我々を敵視するだろう。もしかしたら今の記憶は改竄されたものかもしれないと。彼らの好きなように曲げられた現実に自分は生活しているかもしれないと」

三人の顔が引き攣った。責任という重い二文字が脳内に現れ、彼らを押し潰そうとしているのだ。

「だから少しのミスも許されない。もしも対象の記憶を指示通りに行わなければどうなるか。大きな改竄となってしまえば対象が周りとの違いに気づくだろう。それは避けなければならない。我々は影に潜まなければならない。悟られてはならない。それを抱かせてはならない。我々はテロ行為の事前阻止、国家間の戦争勃発の阻止。人類にとってのマイナス要素を排除してきた。人類は今の文明を維持し続けなければならない。そのために指示は絶対だ。我々の理念は『Delete and Compensate(削除そして補填)』それを胸に仕事に励むように。これで終了だ。メールボックスを随時チェックするように、次の指示がメールで来るからな」

ルーカスは言い終わると筆記用具などを片付ける新人を横目に、コーヒーを飲みながら部屋から出た。ルーカスが部屋を出るとスマホが鳴った。ポケットからスマホを取り出した。画面にはノアと表示されていた。彼の同僚であった。無視することも考えたが数回のコールを経て、応答のボタンを押した。

「もしもし」

ルーカスが電話に出る。スマホを耳にあてる。

「もしもし」

ノアが言う。それは低い声だ。

「連絡だ。今日の十三時からブリーフィング。十四時にインベイドを行うそうだ。遅れるなよ。じゃあな」

ノアが言い電話を切る。ルーカスはあまりの通話の短さに驚きながらも顔には出さず平常心を装った。周りには複数人が歩いていたため、ここで驚いた顔でもしてみれば確実に目立ってしまう。それを彼は避けたかった。ルーカスは腕時計を見た。時間は十二時三十分を過ぎたあたりだった。彼は軽快とは程遠い、足に鉄球がつけられた囚人のような足取りで自分のデスクに戻った。オフィスの中は数人しかいない。彼らは昼食は食べずパソコンと睨めっこをしていた。椅子に腰を下ろす。ため息が漏れた。カバンの中からハムとレタスが挟まれた質素なサンドウィッチを取り出し投げるようにデスクに置いた。他の職員は二階のカフェテリアで食事をしている。同僚たちと楽しく談笑しながら昼食を頬張っている。彼は人が密集している場所が苦手だった。彼は新人時代に一度カフェテリアへ行ってみたが、そこは騒々しく五分もいられなかった。サンドウィッチの周りについているラップを剥がし、サンドウィッチを口に運んだ。レタスは萎びていて、いわゆるフレッシュ感というものは微塵も感じられない。ルーカスはそんなことは気にせず作業的に口に運ぶ、喉を通過するところで詰まる。胸を叩き胃に放り込んだ。息ができるようになる。サンドウィッチを完食した。軽く両手を払い、手についたパンのくずを払った。コーヒーで口の中に残ったサンドウィッチの残骸を強引に流し込んだ。オリエンテーション前に淹れたコーヒーだったためすっかり冷めていた。時間を確認し、ルーカスはデスクから離れ会議室へ向かった。会議室の中に入ると中にはノアやその他複数人が席についていた。ルーカスはノアを見つけると彼の隣の席の腰を下ろした。彼はルーカスの顔を見ると不敵な笑みを浮かべる。

「オリエンテーションはどうだった? 新人のルーカス君」

ノアは馬鹿にするように言う。ルーカスがオリエンテーションの講師をしたことを知っていたのだ。

「黙れ。新人のノア君」

ルーカスは同じように返す。

「はいはい。わかりましたよ。ルーカス先生」

同僚のノアが両手の手のひらを見せながら言った。ルーカスとノアが談笑している間にも会議室には、続々と人が入ってきた。五分ほどで全員が集まっていた。最後に一人。女性が入ってくる。彼女は今年五十になり、白衣を着て白髪の細身の女性だった。長い白髪は後ろで束ね白衣のポケットに手を突っ込み会議室の前へと歩いていく。その格好はルーカスたちがスーツに対して、目立つものだった。彼女は記憶改竄部門の長、そして記憶改竄の研究の第一人者でもあった。服装はそこからのものだった。彼女は名をリンダ・スミスといった。

「それでは作戦のブリーフィングを始める」

リンダがその体型からは想像がつかないほどの大声で言うとスクリーンに資料が映し出された。リンダはスクリーンを確認すると、続けて言う。

「ターゲットはデイヴィット・ブラウン。退役軍人よ。彼はちょうど一ヶ月後センタービルを爆破する。この情報は確かなものよ。彼は現政府への不満からこの爆破テロを起こす。それを阻止するわ。彼が現政府への不満を持ったのは二年前の大統領のスピーチから。退役軍人への差別発言。あれは流石に私も擁護できなかったわ。消すのはその記憶。スピーチ内容を消すのよ。各自持ち場で自分の仕事をして。サボったら給料は払われないわよ」

スクリーンが切り替わっていく。リンダは話を続ける。

「今回インベイドしてもらうのはルーカス・マーティンとノア・サラビナ。あなたたち二人よ。作戦の詳細については、後で説明するわ。他職員はさっきも言った通り給料を引かれないように。じゃあ解散」

スクリーンの電源が切れ一斉に立ち上がり部屋から続々と出ていく。ノアは出ていく職員に会釈をするが返したのは数人しかいなかった。部屋にはリンダと彼女の秘書、ルーカスとノアの四人になっていた。ルーカスとノアは立ち上がりリンダの方へ近寄った。

「で、記憶にインベイドして何をすればいい?」

ノアが言う。二人ともインベイドの経験は百をゆうに超えていた。いわゆるベテランであった。

「今回は停電させるだけよ。スピーチは停電して見れなかったという記憶に改竄するの。その後にスピーチを見てテロ実行の決意をする確率は低いわ。この記憶を変えればテロは行われない。作られた爆弾は回収班が回収するわ。私は少し用事があるから指揮はとれないわ」

「それは気楽にやれるな」

ノアが冗談混じりに言う。リンダは眉間にシワを寄せノアを睨んだ後、続けた。

「私の秘書のアリスが説明を行ってくれるわ。彼女の指示に従うように。指揮も彼女が取るわ。こう見えて彼女、優秀なの。あなたたちより優秀よ。じゃあ私は用があるから」

言い終わるとリンダは会議室から出て行った。部屋の中には三人だけになった。

「こんにちは。私はアリスと申します。インベイドに関しての説明をいたしますか?」

秘書が言う。酷く事務的だ。彼女は髪を三つ編みに編み、おでこを見せ、丸いメガネをかけていた。ノアは肩をすくめ、ルーカスの方を向いた。彼らはベテランであった。当然の如く説明など不要なのだ。だが秘書は仕事の一連の流れ、マニュアルとして聞いたのだ。彼は少し考えた後、ニヤりと笑みを浮かべ言った。

「あぁ、説明してくれ」

ルーカスもにっこりと笑みを見せながら頷いた。アリスはメガネを掛け直し言った。

「それではまずインベイドについて。これは記憶の中に入り記憶の改竄を行う行為です。次にインベイドのやり方についてですが私たちは今三つの記憶に関する薬を使用しています。記憶侵入剤、記憶拡張剤、そして記憶処理薬」

アリスはポケットから錠剤を取り出す。楕円形の形をしており、左右に赤、そして青の色に着色されていた。

「この薬は記憶侵入剤。通称メモリーインベーダー。これは記憶を改竄する対象の血液が少量調合された薬です。これを飲んでインベイド、記憶への侵入を行います。その後、あなたたち二人の血液を採取し新しい記憶の入った血液を錠剤化、この薬を記憶拡張剤。ターゲットに記憶処理薬を飲ませ、その部分の記憶を消した後、この薬をターゲットに摂取させることによって記憶の改竄が完了します。何か質問はございますか?」

「いつも思うんだが、血液以外の方法はないのか?」

「それはノアに賛成だ。人の血液を摂取するっていうのはどうも心良いもんじゃない」

ノアが言いそれに続きルーカスも言った。

「ただいまのところ、これ以外の記憶の改竄方法は見つかっておりません」

アリスが言った。

「じゃあ俺らはいつまでもヴァンパイアってわけか」

記憶改竄部門は人の血液を摂取することからヴァンパイアと呼ばれていた。その呼び名をノアは気に入ってはいなかった。

「そうだ。記憶処理薬で全員にヴァンパイアの呼び名を忘れさせよう」

ノアは言ったがその意見に他二人は賛成もなにもしていなかった。

「ではインベイドは十四時からです。それとボスからの伝言で。インベイド時の行動についてはお二人の決断に任せるとのことです」

「おいおい、それで大丈夫なのかよ」

ノアは言ったがその声は弾んでいた。

「では、私は失礼します」

アリスは軽く一礼をし出て行った。

「で、どうする? ルーカス」

ノアが言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る