島田義人(1)

「あんた、マスコミなのか? あんまりふざけたこと書いたら、許さねえぞ」


 住友顕也スミトモ アキナリの顔には、威嚇するかのごとき鋭い表情が浮かんでいる。

 事前に調べた情報によれば、彼の年齢は島田義人と同じである。となると、現在は二十六歳か二十七歳のはずなのだが、確実にその年齢よりも老けて見える。眉毛は異様に細く、頭は五分刈りの茶髪だ。顔色は見るからに不健康そうであり、前歯はところどころ欠けていた。さらに、目つきも少しおかしい。何らかの違法な薬物を常用している可能性も、充分に考えられる。

 しかも、この男は背が高く体つきもがっちりしていた。身長は百八十センチ超、体重も八十キロ以上はあるだろう。肩幅が広く腕も太く、腕力はかなり強そうだ。その恵まれた体格だけで、大抵の者は圧倒できるだろう。町の喧嘩レベルなら、ほぼ敵なしと思われる。

 その上、顔つきからして好戦的なのは間違いない。口より先に、手足が出るタイプだ。前歯が欠けているのも、薬物ではなく喧嘩が原因かもしれない。

 どうやら、今回もすんなりと進みそうにない。今川は、憂鬱な気持ちを押し隠して微笑んだ。




「お前らマスコミは、何もわかってない。島田はな、あんなことするような男じゃなかったんだよ」


 こう語る住友は、幼い頃に父親が刑務所に行き、母親は息子を捨て蒸発した。その後は養護施設『人間学園』に預けられ、そこには中学を卒業するまで住んでいたという話だ。成長し学園を出た後は、少年院や少年刑務所といったお決まりのパターンを経て、今は生活保護をもらい暮らしているようだ。もっとも、怪しげな仕事をして収入を得ている疑いもある。

 島田義人もかつて、その人間学園にて暮らしていた。


「それは、どういう意味です?」


 尋ねる今川。二人は今、カラオケボックスの一室にいる。言うまでもなく、二人の他には誰もいないし、歌う気配もない。この男は人目のない場所でないと、話してくれないタイプなのだ。

 光穂由紀もそうだった。


「俺はな、島田を小学生の時から知ってる。あいつはな、マスコミが言ってるような血も涙もないモンスターじゃなかったんだよ。あいつは、本当にいい奴だった」


 住友は、真顔でそんな言葉を吐いた。

 電話で聞いた話によれば、住友と島田は十年以上の間、会っていないらしい。十年といえば、ひとりの人間の性格を変えてしまうのには充分な時間だ。今川は、その疑問をぶつけてみた。


「しかし、あなたが知っているのは、小学生の時の島田ですよね。それから、十年以上の年月が経っていますよ。人ひとりの人格を変えるには、充分すぎる時間ではないですか?」


 聞いた直後、今川はしくじったことに気づく。住友の表情が、みるみるうちに変わっていったのだ。目を細め、こちらをじっと睨みつける。完全なる威嚇の表情だ。


「おいコラ、どういう意味だよ? 俺が嘘をついてるって言いたいのか? てめえ、俺をなめてんの? バカにしてんの? どうなんだよ?」


 言いながら、住友は顔を近づけて来た。この手のチンピラが、人を脅す時に使う常套手段だ。今川は、怯えた表情で目を逸らした。


「い、いや、別にそういうわけじゃないんですよ。気に障ったなら謝ります。すみませんでした」


 その言葉に、住友は舌打ちした。自分の意見を否定されると、暴言を吐き暴力で脅しにかかる……こういうタイプとは、まともな話し合いを試みること自体が時間の無駄だ。とにかく相手の機嫌を損ねないように注意しつつ、必要な情報を聞き出すことを心がけるしかない。


「チッ、なめてんじゃねえぞ。ルポライターだか何だか知らねえがな、調子こいてっと殺すよ」


 殺すよ、という言葉は脅迫罪が成立する。仲間内での会話ならともかく、こうした話し合いの場で登場させていい言葉ではない。この時点で、取材を打ち切るという選択もありだろう。

 だが、今川は取材を続けることを選択した。


「ま、まあまあ落ち着いてください。では、住友さんから見て、島田は──」


「島田さん、だろうが」


 またしても、住友の目が細くなった。今川の言葉を遮り、鋭い表情で睨みつけてくる。また、気に障ることを言ってしまったらしい。


「はい?」


「さんを付けろ、このデコスケ野郎が!」


 怒鳴りつけると同時に、またしても顔を近づけて来た。本当に厄介な男だ。自分より弱いと判断した相手には、とことん強気に出る。今川は、仕方なく頭を下げた。


「あ、すみませんでした。島田さんは、あんなことをしでかす人物には見えなかったということですか?」


「当たり前だ、バカ野郎が。俺はな、人を見る目はあるんだよ。島田はな、男気のある奴だったよ。お前、あいつが職員を刺した事件を知ってるか?」


「ええ、知ってますよ」


 そう、島田は中学生の時に人を殺している。職員の石川誠イシカワ マコトを、ナイフで刺したのだ。結果、島田は少年院へと送られる。

 この事実もまた、マスコミによって派手に報道された。


「あれな、島田は悪くねえんだよ。刺された石川ってのが、人間のクズだったんだ」


 いや、その理屈は一般社会には通じないだろう……と心の中で呟きつつも、今川は怪訝な表情を作る。


「えっと、どういうことです?」


 尋ねる今川の前で、住友はニヤリと笑った。すると、欠けている前歯が剥きだしになる。大物ぶりを見せているつもりなのかもしれないが、みっともないだけだ。今川は不快になったが、顔にはにこやな表情を浮かべている。


「悪いけどなあ、ここから先は特別料金だ。どういうことか、あんたもわかってるよな?」


「特別料金、ですか?」


「ああ。払わねえなら、これ以上は何も言わねえ。さっさと帰んな」


 そう言うと、住友は手のひらを軽く振る。犬でも追っ払うような仕草だ。

 今川としても、出来ることなら今すぐ帰りたい。だが、そうもいかなかった。


「わかりました。では、後でお支払いしましょう」


「はあ? ざけんなよ! 今すぐ払えや! 払わねえなら、何も話さねえぞ!」


 今にも殴りかかって来そうな剣幕である。力ずくで金を奪いそうな勢いだ。こういったチンピラは、口ではどんなに立派なことを言っていても、金の絡む話になると本性が剥きだしになる。そのことを、今川はよく知っていた。


「でしたら、取材が終わったら僕の後に付いて来てください。ATMで降ろしてお支払いしますので……今は、ほとんど持ち合わせがないんですよ」


 今川の提案に、またしても舌打ちする住友。人前での舌打ちが失礼だ、という当たり前の常識を知らないのか。あるいは、失礼を承知でしているのか。

 いや、こんなチンピラに常識的な対応を期待する方が間違いだ。


「チッ、しみったれた野郎だな。まあ、いいや。あの石川はな、とんでもねえクズだ。あいつ、施設の女の子に手ぇ付けてたんだよ」


「手ぇ付けた、と言いますと?」


「てめえバカか? わかんだろうがよ……石川はな、小学生の女の子をレイプするようなロリコン野郎だったんだよ」


「えっ? そうだったんですか?」


 意外そうな表情を作ったものの、今川はその事実を知っていた。これまでの取材の過程で、その話は既に出てきている。


「ああ。石川の野郎は、本物のクズ野郎だった。施設のガキ共はみんな、そのことを知ってたんだよ。たぶん、職員の中でも知ってた奴はいたんじゃねえか。三井の野郎なんか、絶対に知ってたと思うぜ」


 三井という名前を聞き、今川の表情が微かに曇る。だが、それは一瞬だった。


「三井さん、ですか。ところで、その女の子たちは誰かに訴えたりしなかったんですか?」


「言えるわけねえだろ。女の子は、みんな泣き寝入りしてた。石川が怖かったからな。でも、島田は話をつけに行ったんだよ。女の子に手を出すな、というためにな」


「その結果、石川さんを死なせてしまったというわけですか?」


「そうさ。でもな、その件だが……本当は、別の人間が犯人なんだよ。これはな、俺だけが知ってる情報だ。別料金を払うだけの価値はあるぜ」


「ええと……それは、どういうことです?」


「施設にひとり、化け物みたいなのがいたんだ。本当は、そいつが石川を刺したんじゃねえかと思ってる」


「何者ですか?」


「名前は、高村獅道タカムラ シドウだ。あれは、本当にブチ切れてる奴だったよ。あいつなら、人ひとりくらい平気で殺すだろうな。けど、不思議と島田とは仲良かったんたよ」


 その名前を聞いた瞬間、今川の顔に奇妙な表情が浮かぶ。だが、それはほんの一瞬だった。すぐに話を続ける。


「高村獅道、ですか。その名前は、初耳ですね」


「だろうな。高村は、そこらのヤクザなんか比較にならねえよ。あいつを敵に回した奴は、みんな恐ろしい目に遭ってるんだよ。当時、あの辺じゃあ高村の名前を知らない奴はいなかった。中学生の時に、地元の中学をみんなシメちまったからな」


 得意げな表情で、住友は語った。まるで、己の武勇伝を語っているかのごとき態度である。これまた、チンピラに有りがちな習性である。凄い人間を知っている俺もまた凄い……これが、彼らの信念なのだ。傍から見れば、愚かな話なのだが。


「なるほど。高村さんは、筋金入りの不良だったんですね」


「そうだよ。でもな、そういった件は別にしても……俺は、あいつが石川を殺したと思ってる。島田は、あいつの罪を被ったんだよ。なぜか、あの二人は異様に仲良かったからな」


 その言葉に、今川は眉間に皺を寄せた。


「あなたは、なぜそう思うのです?」


「俺はな、今でもはっきり覚えてるんだよ。石川が殺された翌日、高村の奴が裏庭で血の付いたシャツを燃やしてたんだ。俺は、この目で見たんだよ」


「えっ、それだけですか?」


 証拠としては、説得力がなさすぎる。だが、住友は不快そうに口元を歪めた。


「はあ? てめえバカか? 島田が殺人でパクられた次の日に、高村が血まみれのシャツを燃やしてたんだぞ。あいつが殺したに決まってるだろうが。シャツという証拠を隠滅したんだ。間違いねえよ」


 自信たっぷりに言い放つ。頭の悪い人間というのは、少ないデータで物事を断定しがちなのだ。血まみれのシャツを、裏庭で燃やしていた……たったそれだけの理由で、真犯人は高村だと信じきっているらしい。


「いや、でも証拠としては弱すぎるんじゃ──」


「おいコラ、てめえ俺をなめてんのか? 証拠なんて、それで充分だろうが!」


 吠えると同時に、住友は足を踏み鳴らした。都合が悪くなるとキレる、そのやり方で、今まで世の中を渡って来たのだろう。今川は、話しているのが心底から嫌になってきた。だが、ここで話を終わらせるわけにはいかない。


「す、すみません。わかりました。その高村さんですが、今は何をされているんですか?」


「知るか。どうせ、ろくな生き方してねえだろ。あいつは自分の罪を島田に着せて、のうのうと生きてたクズ野郎なんだよ。高村なら、あんな事件をやらかしても不思議じゃねえな」


 いや、お前にだけは言われたくないよ……などと思いながら、今川は話を続ける。


「あんな事件とは、島田さんの起こした立て篭もり事件のことですか?」


「そうだよ。高村なら、人を殴り殺しても不思議じゃねえ。あいつなら、人質を皆殺しにした後に放火くらいしてただろうよ」


「なるほど。その高村さんは、相当な極悪人のようですね」


「ああ、その点に関しては保証する。お前もルポライターなんて名乗ってるんだったら、高村獅道について調べてみろ。あいつは、絶対にとんでもないことをやらかしてるはずだ」


「わかりました。いずれ、高村さんについても調べてみます」


「おう、そうしろよ。ところで、俺はこれから他の用事があるんだよ。悪いが、そろそろお開きにしてくれねえかな」


「あ、そうでしたか。長々と時間を割いていただき、ありがとうございました──」


「コラ、とぼける気か?」


 睨みつけてくる住友。今川は、心の中でため息を吐いた。どこまで面倒くさい男なのだろう。


「はい?」


「さっき、別料金って言ったろうが。てめえ、バックれる気かよ! 殺すぞコラ!」


 怒鳴った直後、獰猛な表情を作り顔を近づけてきた。この男、いつ歯を磨いたのだろう。口から、何ともユニークな匂いが漂ってきている。今川は、思わず顔を背けた。


「いえいえ、そんなつもりはありません──」


「ざけんじゃねえぞコラ。いいか、十万や二十万のはした金じゃすまさねえぞ! わかってんだろうな!? てめえ、なめてっと殺すぞ! 何とか言えやコラ!」


 口から唾を飛ばしながら、住友はまくし立ててきた。確実に、今朝は歯を磨いていないだろう……そんな感じの匂いがする。非常に面倒ではあるが、彼とは終わりまで付き合うしかないらしい。


「もちろんわかってます。では、申し訳ないですが付いて来て下さい」


 そう言うと、にこやかな表情で立ち上がった。







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とある脱獄囚のやったこと~黒い鳥~ 板倉恭司 @bakabond

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