第2話 友人

 車に揺られ数分、ようやく私たちは目的地に辿り着いた。これが今の私の住む場所らしい。だが、その姿を見た瞬間、私は思わず溜め息をついた。

『城に比べて小さいな』

 私はかつての壮大な魔王城を思い出しながら、目の前に立つ家を見下ろした。今の私には、この家があまりに小さく窮屈に感じてしまう。広大な城に比べれば、まるでおもちゃのようだ。

『わがままいうな。人間の中ではデカい方だぞ』

 隼人は苦笑しながら私の不満を軽くいなした。私にはどうしても納得できなかった。これが家だというのか?


 この世界でもどうやら部屋というものが与えられているらしい。かつての魔王城では広大な寝室や謁見の間があったが、この家の中で私に与えられた空間がどんなものかは想像もつかない。

『二階の左奥が魔緒の部屋だ』

 隼人が軽く指差しながら教えてくれた。私は頷き、階段を上っていった。狭い階段は魔王としての私には少し窮屈に感じるが、これもまた、この世界での生活に慣れるために必要だ。我慢するしかない。

 教えられた通りのドアの前に立つ。ドアは意外としっかりした作りだ。

 私はドアを開け、中へ足を踏み入れた。部屋の中は広くはないが、必要なものは揃っていた。ベッド、机、椅子、本棚、そして窓。壁にはいくつかポスターが貼られている。どうやら、この体の持ち主であった「魔緒」が好きだったものが反映されているらしい。

『これが……私の部屋か』

 私は部屋の中央に立ち、周囲を見渡した。

 ベッドに近づき、その柔らかな感触に手を触れてみた。かつての寝台とは違い、非常に簡素だが、フカフカでこれも悪くはない。私は一度腰を下ろし、軽く息をついた。

『ここから、どう力を取り戻していくか……』

『力より前に、早く言語を覚えてくれ』

『簡単に言うが…言語など、そう容易く習得できると思っているのか?』

 私は腕を組み、不満げに口を開いた。

 新たに言葉を頭に叩き込むなど、並大抵の努力ではない。

 魔力の修練とは別の次元の忍耐と集中が必要だ。こんな面倒な作業を、どうやって乗り越えろというのか。

 しかし、隼人は軽く笑って、私の問いにあっさりと答えた。

『そうだな…1日で話せるくらいにはなるさ』

『……お前はバカなのか?」

 私は思わず目を見開いた。1日で話せるようになる?言語を習得するのに一体何の奇跡が起きて1日で終わるというのか。そんな無茶をどうやって成し遂げるつもりなのか。

『まず、その体の記憶を呼び覚ますんだ。今、お前はこの体に収まっているだけで、完全に融合していない』

『融合……?』

 言葉が頭に引っかかった。この体の持ち主であった「魔緒」の記憶が、まだ私の中に残っているというのか。そして、その記憶を呼び覚ますことで言語を習得できるとでも言うのか。

 隼人は私の反応を見て、軽く頷いた。

『行動を真似する。例えば、俺だったらテニスとかサッカーっていうスポーツをやったり、本を読んだりする。そうして、この体に刻まれた記憶に近づくことで、お前の中で器と融合が進む』

『……行動を真似する、か』

 私は少し考え込んだ。つまり、魔緒の記憶にある行動を真似ることで、この体に馴染み、その記憶を引き出すというわけか。面倒だが、理にかなっているようにも思える。

 この体の持ち主であった魔緒がどんな生活をしていたのか、私にはほとんどわからない。

 その生活に合わせて行動することで、この体の記憶を呼び覚ませるのなら結論は一つ。

『面倒だが……やるしかないか』

 私は小さく呟き、決意を固めた。力を取り戻すためには、この体を完全に自分のものにする必要がある。そして、そのためには器と融合し、日本語を始めとする知識を習得する必要があるのだ。

 隼人も満足そうに頷いた。

『魔緒はアニメ見たり、本を読むのは好きだったそうだ。まずは、俺と一緒に本を読むところから始めるか?』

『……仕方ない』

 私は渋々ながらも、提案を受け入れた。これが、この世界での生活を進めるための第一歩であることは理解している。器と融合し、力を取り戻すための一歩。それが、今の私に求められていることなのだ。

 渡された本を、私は渋々読み進めていた。意味のわからない言葉の羅列が少しずつ形を成し、理解できるようになってきたものの、やはり面倒さは否めない。だが、力を取り戻すためには融合が必要だと言われた以上、避けるわけにはいかない。

 何冊かの本を読み終え、ページをめくることにも慣れてきた頃、不意に視界がぼやけた。

『……何だ?』

 次の瞬間、頭の中に強烈な映像が流れ込んできた。この部屋での視点だ。

 本を読みながら、友人たちと楽しそうに笑っている。

 まるで、別の誰かの記憶が一瞬だけ自分に重なったかのような感覚。視界の中にいたのは、私ではない。「魔緒」の記憶だ。

『おぉ…!?』

 一瞬の映像が消え去ると同時に、頭の奥から鋭い痛みが襲いかかる。まるで頭を針で突き刺されているような激しい頭痛に、私は思わず額に手を当て、体を丸めた。視界が揺れ、耳鳴りが遠くで鳴り響く。

『何だ、この痛みは……!』

 頭痛に耐えながら、私は本を握りしめ、呼吸を整えようと必死に息を吐いた。先ほど見えた映像…あれは間違いなく、この体の持ち主であった「魔緒」の記憶だ。それが何かの拍子に一瞬だけ私の中で蘇った。その際に起こったこの痛み、これが「器」との融合の代償だというのか。

『見えた……記憶が……』

 私は震える声で呟いた。頭痛が徐々に和らいでいく中で、隼人が心配そうにこちらを見ているのが目に入る。

『それが器の記憶に触れた証拠だ』

 私の肩に手を置いて静かに説明した。言う通り、今の私はまだこの体に完全に馴染んでいないのだろう。記憶に触れるたびにこうした痛みが伴うのだとしたら、先は長い。

『こんなことを続けなければならないのか』

 私は額に残る鈍い痛みを感じながら、ため息をついた。だが、この頭痛が成長の証であるならば、それを避けるわけにはいかない。器と融合し、力を取り戻すために必要なことだ。

『慣れてくれば、痛みも少なくなるはず』

 私は本を手に取り、ページを開き直した。頭の中に残る「魔緒」の記憶と痛みに向き合いながら、力を取り戻すための道を進むことを決意する。

『これからが本番だ』

 頭痛の余韻に耐えながら、私は再び文字に目を落とした。器との融合を進め、この体の記憶を自分のものにしていく。それこそが、私が力を取り戻すための第一歩だ。

 私はしばらく黙っていたが、ふと疑問が頭をよぎった。

 何かと私にこの世界のことを教え、助けてくれている。

 だが、それはおかしな話だ。もし私が力を取り戻せば、かつてのように魔王のように君臨する。そんなことを勇者が許していいのか。

『てか……なんでそんなに教えてくれるんだ?』

 私は問いかけた。

 今まで一度もそれを疑問に思っていないかのように、あまりに自然にこの世界のことを教えてくれている。力を取り戻す方法まで。

 それが私にはどうしても腑に落ちない。

『私が力を取り戻してもいいのか?』

 隼人は、一瞬私の顔を見て、少しだけ考える素振りを見せた。そして、やがて軽く笑いながら肩をすくめた。

『いいかどうか……か。魔緒が力を取り戻すこと自体は、俺としては別に構わない』

 その答えに私は目を見開いた。彼があまりにあっさりと答えたことに驚き、言葉を失った。

『どういうことだ?』

『前も言ったけど力を取り戻しても、この世界で昔みたいに支配者として君臨するのは難しい。この世界には魔法より強いものがあるし、何より……』

 一度視線を外し、少しだけ真剣な表情で言葉を続けた。

『今はお前が人間として生きていくことを選んだんだから、それを応援して適応していく方が重要だろ?』

 その言葉に、私はさらに困惑した。

 私がかつての力を取り戻すことを認めているようだが、それは単に「許している」だけではない。まるで、私が支配者としての力を持っていても、この世界ではそれが通用しないかのように話している。

『……ふざけるな』

 私は小さく呟いた。確かに、この世界には私が知らない技術や力が存在するが、だからといって、私の力が無力だとは到底思えない。

『魔緒が全力で戦いたいなら、その時は俺も全力で相手してやる』

 隼人は微笑みながらそう言った。その言葉には、嘘偽りは感じられなかった。かつての戦いを思い出し、私は少しだけ彼の言葉に苛立ちを覚えたが、同時にその自信が何に由来するのかも気になった。

『それと俺の目的にも付き合ってほしいしな』

『ふん、誰が付き合うもんか』

 しばらくの間、私は渡された本に没頭した。はやとの言う通り、「魔緒」の記憶に触れるたびに頭痛に襲われることもあったが、少しずつその痛みにも慣れてきた。ページをめくり、文字を追い、内容を理解する過程で、この世界の言葉が徐々に私の中に馴染んでいくのを感じていた。

 数日経った頃には、気づけばいくつかの言葉が自然に口をついて出るようになっていた。ご飯を食べた際、お風呂などのあらゆる日常行動を行い挨拶や日常的な言葉、そして簡単な会話なら、なんとかこなせる程度にはなっている。

「……おはよう?」

 ある朝、私はリビングに向かうと、そこに隼人と両親が待っていた。

 視線を感じながら、私は少しぎこちない声で挨拶を口にした。

「おはよう!」

 母親は嬉しそうに笑い、私の言葉に反応してくれた。その表情に一瞬だけ戸惑いを覚えながらも、私は冷静に頷いた。

「お、だいぶ話せるようになってきたな」

 隼人は少し驚いた様子で私を見つめている。反応を見て、私は少しだけ口元を緩めた。軽い挨拶と会話くらいはもう容易だ。頭痛に苦しんだ日々も、無駄ではなかったということか。

「こんなもの、慣れてしまえば大したことはない」

 私は何気なく返答したが、自分でもその言葉が日本語として自然に出たことに驚いていた。まだ流暢とはいかないが、基本的な挨拶や会話ならば問題なくできるまでに成長している。

「この調子なら、もっと難しいこともすぐに覚えられそうだな」

 隼人は満足げに頷きながら言った。私は彼の言葉に応えず、ただ軽くため息をついた。

 この程度で満足するわけにはいかない。私には、この世界で力を取り戻し、かつてのように支配者として君臨するという目標があるのだから。

「まだまだだ」

 私はそう呟き、再び視線を外して本へと向けた。挨拶ができるようになったのは一歩に過ぎない。これからさらに、この世界の知識を深めていく必要があるのだ。

 本を母親に没収され机に座らされた。

「朝ごはん、軽く食べなさいよ」

 テーブルに朝食を並べられた。

 トーストに目玉焼き、サラダとシンプルなメニューだ。

 私は渋々席に着き、パンを口に運ぶ。食べながらも、これから学校に行かなければならないという現実に内心ため息が漏れる。

 自分に言い聞かせるようにして、食事を終えた。素早く制服のジャケットを羽織り、クローゼットの鏡に映る自分の姿に目を向けた瞬間、私は思わず顔をしかめた。

「もっとマシな服はないのか?装飾とかマントとかついたもの」

 文句が自然と口をつく。

 チェック柄のスカートに、シャツとジャケット。あまりにも窮屈で、動きにい。

 かつての魔王としての気品あるローブや鎧とは程遠い、ただの布切れに見える。こんな服で過ごさなければならないとは、どうにも納得がいかない。

「それがこの世界の制服ってやつだ。文句言わずに慣れろよ」

 苦笑しながら私を見た。私が制服の裾を引っ張り、落ち着かなさそうにしているのを面白がっているようにも見える。

「……仕方ない」

 私はため息をつき、髪を少し整えた。どうせやるなら、やるしかない。朝の準備を終え、玄関で靴を履くと、隼人はすでに外で待っていた。

「よし、行くぞ」

 彼が促すように手を振り、先を歩き出す。私はしぶしぶ後に続き、チェック柄のスカートを軽くつまんで一瞥した。

「やっぱ動きにくい…」

 私は一歩外へと踏み出した。朝の風が制服の裾を揺らす。

 私は気乗りしない気分で、はやとの隣を黙々と歩いていた。これから学校に行くという現実を考えると、どうしても気が重い。

 そんな私の様子を見ていたのか、はやとは少し真剣な表情で口を開いた。

 しばらく隼人は少し真剣な表情で口を開いた。

「それと学校ではなるべく友人とは関わるな」

 その言葉に私は一瞬立ち止まり、彼を睨むように見つめた。

「学校とは友人と過ごす場であり、そこから魔緒としての記憶や生活を取り戻すために通うんだろ?」

 私は不機嫌そうに問い返す。

「今、無理に友人たちと親しくしようとすると、かえって交友関係にヒビが入る可能性があるんだよ。もし変な言動をして、彼女たちとの関係が壊れたら元も子もないだろ?」

 彼の言葉は冷静で的を射ていた。確かに、私はまだ「魔緒」としての記憶が曖昧で、彼女たちが何を考え、どう感じるかがわからない。無理に近づこうとすれば、思わぬ誤解や衝突を生む可能性は高い。

「……つまり、しばらくは様子を見ろということか?」

「そうだ。友人たちの言動を見て、ゆっくりと距離を縮めていけばいい。焦る必要はないんだ。まずはお前が学校に慣れて、この世界での生活に少しずつ馴染むことが先決だ」

 隼人は優しく言い聞かせるように言った。

「……ふん、わかった」

「あともう少し、女の子らしく喋れないのか?」

 その言葉に、私は思わず目を細めた。女の子らしく? 何を言っているのかと訝しむ私の様子に気づいたのか、隼人は続けて言った。

「前世でも一応女だっただろ?この体も女の子なんだし、もう少しそういう風に振る舞ってみたらどうだ?」

 前世でも確かに「魔王」として生きていた頃、私は女性の姿だった。

 とはいっても、性別くらい簡単に変えれるため気にしたことはなかった。その時の言動や振る舞いが、「女の子らしい」と言えるかどうかは別問題だ。力を誇示し、戦うことで自分を証明していた頃の自分と、今のこの世界の「女の子らしさ」には、どうもギャップがありすぎる。

「すぐにできなくてもいい。でも、この世界では、言葉や態度が他人に与える印象はかなり重要だ。学校での生活に馴染むためにも、少しずつ意識してみろよ」

 隼人は穏やかな口調でそう言いながら、私の肩を軽く叩いた。

 学校の門をくぐり、広い校舎の前で立ち止まった。周りには同じ制服を着た学生たちが次々と校舎へと吸い込まれていく。ざわざわとした雰囲気に包まれながら、私は隼人の方に視線を向けた。

「それで、私はどこの教室に行けばいい?」

 私は、初めて足を踏み入れるこの場所で、どこに向かうべきか見当がつかない。広い校舎にいくつもの教室が並んでいる様子に、一瞬だけ気圧されそうになりつつも、平然を装う。

「2年3組。お前のクラスだ。俺は6組だから、教室は違うけど何かあったら呼べよ」

 その表情には、どこか余裕が感じられる。彼にとっては慣れた場所なのだろうが、私にとっては未知の世界なんだが。

「……2年3組か。わかった」

 私は周りの様子を観察しながら、教室を探すことにした。まるで迷宮のような校舎だが、この程度なら問題はない。

「授業が終わったらまた合流しようぜ」

 手を振り、さっさと自分の教室に向かって歩き出した。私は隼人の背中を一瞬だけ見つめた後、校舎に足を踏み入れた。

 視線の先には「2年3組」の文字が掲げられた教室が見える。

「さて……行くか」

 教室の扉を開け、中へと足を踏み入れると、ざわついていた室内が一瞬静まり返った。教室内の生徒たちの視線が一斉にこちらに向けられる。その視線の圧力を感じながらも、私は堂々と歩みを進めた。

 だが、次の瞬間、前方から勢いよく近づいてくる二人の姿が目に入った。少女たちが涙を浮かべ、真っ直ぐこちらに迫ってくる。私の中で警鐘が鳴り、思わず身構えた。

「敵襲か!?」

 瞬時に魔力を集中し、戦闘態勢に入ろうとしたが、彼女たちの表情を見て気づいた。どうやら敵意はなさそうだ。むしろ、彼女たちの様子には安堵と喜びの色が浮かんでいる。私は戸惑いながら、構えを解いた。

「よかった……! 本当に心配したんだから!」

 一人の少女が叫び、私の腕にしがみつくように抱きついてくる。もう一人も目に涙を浮かべながら、微笑んで私を見上げた。

「……?」

 彼女たちの反応は、敵や刺客とはまるで違う。私に敵意を向けるどころか、親しみを込めて話しかけてくる。

「もう、心配してたんだよ! やっと学校に来られるようになったんだね!」

 彼女たちの言葉が耳に届く。どうやら、この体の持ち主であった「魔緒」の友人たちのようだ。彼女たちの表情には安堵と喜びが溢れている。まるで、長い間待ち望んでいたものが叶ったかのように。

「……そ、そうか」

 私は何とか言葉を返したが、内心ではまだ混乱していた。こんなにも親しく接してくる相手にどう対応すればいいのか、私には分からない。

 だが、この世界で「魔緒」として生きる以上、彼女たちと関わる必要があるのだろう。

「心配かけた」

 言葉が自然と口をついて出た。日本語を覚えたおかげで、最低限の会話はできるようになったらしい。彼女たちの表情がさらに明るくなるのを見て、私は少しだけ肩の力を抜いた。

「……私はお前たちを知らない。本当にすまない」

 彼女たちにとっては辛いことかもしれないが、これが今の私の正直な気持ちだ。記憶にない人間と親しげに振る舞うのは、不自然でしかない。

 すぐに笑顔を作り私の言葉に傷つくどころか、理解を示しているようだった。

「うん……それはお母さんから聞いてる。記憶が曖昧なんだよね」

 一人の少女が、優しく私の手を取った。

「でも、大丈夫。無理に思い出さなくてもいいから。これからまた一緒に思い出作ろ!」

 もう一人の少女も、同じように微笑んで言った。その言葉には、何のわだかまりも感じられない。

 これからの時間でまた新しい関係を築いていけばいいということを、自然に受け入れているかのようだった。

「……そうか」

 私は彼女たちの言葉に、少しだけ戸惑いながらも頷いた。今の私が「魔緒」の記憶を取り戻すことは難しい。しかし、彼女たちはそれを責めるどころか、新たな「思い出」を作ることを提案している。まるで、私を受け入れてくれるという意志を感じさせる。

 その優しさが、私には不思議だった。

「じゃあ、席に座ろう! 今日の授業も一緒に頑張ろ!」

 彼女たちはそう言って、私を席へと誘導した。私は彼女たちの背中を見つめながら、心の中で何かが少しずつ変わっていくのを感じた。

「……思い出、か」

 私は小さく呟き、彼女たちに続いて席に向かった。

 誰かに歓迎されて、泣かれて、笑い合う。前世の私では考えも出来なかった待遇だ。これが「魔緒」としての生活の一部ならば、受け入れてみるのも悪くないかもしれない 。

 そんな気持ちが、ほんの少しだけ芽生えたのだった。


---


「この二次関数のグラフはこうなります」

 私は、授業を受けていた。

 授業ノートのコピーや、教科書を読んだ際は、ついていけるか不安だったが何も心配する必要はなかった。

 学校という場所は、皆が基本同じ場所に座り先生も基本同じ場所だ。記憶を見るには、持ってこいの場所だった。

 過去の魔緒の記憶を覗き過去の授業を理解する。言語を覚えたように、数式や英語の文法はある程度は体に染み込んであった。そのため、今受けている授業の意味もあっさり分かった。

 これを、1限から4限まで繰り返した。

 この調子なら、学生生活も難なく送れそうだな。

「4限の授業を終わります。礼」

 お辞儀をして席に座った。

 その約1秒後、後ろからものすごい足音が聞こえた。その勢いのまま、我の体に突進してきた。

 胸の前で手を交差され、抱きしめられた。視線を肩に向けると、顔が見えた。

「どうした?」

「魔緒ちゃん!昼休みは、友達と一緒にご飯を食べるものなの!」

「家族でご飯を食べるのと同じ感じか?」

「うーん、私達は幼き頃からいるからな。家族みたいなもんかもな」

 私への回答は、後ろからゆっくり歩いてきた子が答えてくれた。

「仕方ない…一緒にご飯を食べてやろう」


 というわけで昼休み、中庭での食事の時間。どうやら普段からこの場所で食べているらしい。私は席に座りながら、弁当のふたを開けた。

 慣れない箸の使い方に少々苦戦しつつも、口に食べ物を運ぶ。そんな私の前に、二人の友人が嬉しそうに座り込んできた。

「そうだ、自己紹介しておくね。美咲一親。どっちも、名前みたいで覚えやすいでしょ?」

 青いショートの髪の少女が、にっこりと微笑んだ。大きな青い瞳が輝き、彼女の表情は明るく、そしてどこか気品がある。

 さっきまで涙を浮かべていたはずなのに、すっかり元気を取り戻したようだ。

 その下に制服から覗く細い腕とくびれた腰が見える。スタイルは抜群で、目を引かざるを得ない。

 一瞬、私の視線が一親のスタイルに留まったが、気にしているわけではない。単なる観察だ。

「それで、私は佐々木友里!」

 もう一人の少女が勢いよく自己紹介を続けた。彼女は薄紫のロングヘアに快活な笑顔が印象的で、表情がころころと変わる。まるでエネルギーの塊のようだ。

「みんなからは友理って言われてるよ。また一緒に思い出作ろうね!」

 友理の明るさに圧倒されるような気がした。私がこの体に慣れる前から、彼女たちは当たり前のように私を受け入れ、関わってくる。その様子を見ながら、私は箸を動かす手を一瞬止め、ゆっくりと二人を見つめた。

「……ああ、覚えておく」

 私は短く答えた。

 二人とも構わず私の隣にいてくれる。

 おかげで、少しずつだが、この世界での生活を探ろうとしている自分がいるのを感じた。食事を続けながら、私は彼女たちの声に耳を傾けた。

 その時頭痛の時間がやってきた。

「……っ!」

 頭の奥に鋭い痛みが走った。思わず箸を落とし、手で頭を押さえる。視界が歪み、周りの声が遠のいていく。まるで何かが意識をかき乱すような感覚に襲われた。

「どうしたの、具合悪い?」

 一親が驚いて私の肩に手を置き、心配そうに声をかけてくる。だが、その声も遠くに感じる。痛みとともに、頭の中に一瞬の映像が浮かんだ。

……制服姿の「魔緒」が、4人の友人と一緒に笑い合いながら食事をしている。場所は学校の中庭。風に揺れる髪と、楽しそうに語らう声。 

 この体の記憶、魔緒がかつて過ごした日々だ。

「魔緒、しっかりして!」

 一親の声が耳に届く。友里も動揺しながら私の背中をさすっている。だが、頭痛のせいで彼女たちの姿がぼやけて見えた。私はただ、必死に意識を保とうとする。

「大丈夫だ」

 かろうじてそう言葉を絞り出したが、痛みはしばらく引きそうにない。

「ふぅ……」

 痛みが少しずつ和らいできたのを感じながら、私は薄く目を開けた。頭の中には、先ほどの「魔緒」の記憶の断片がかすかに残っている。

 友人たちのざわめきの中、私は自分を取り戻そうと静かに息を整えた。

「……最近、頭痛が激しくてな。大したことはない」

 私はできるだけ軽い口調で説明した。心配をかけるつもりはない。不安を与えず、これ以上の騒ぎにするわけにはいかないからだ。

 私は水を一口飲む。

「……本当に大丈夫?」

 一親が不安げに問いかけてくる。

 友里も同じく、心配そうに私の顔をじっと見つめている。

「問題ない。少し休めばすぐに治る」

 私はなるべく落ち着いた声で答えた。

「そっか……でも、無理しないでね。何かあったらすぐに言って」

 一緒にご飯を食べ、話して時に笑う。体調の心配をしてくれる。

 この日常が、魔王だった私にはなかったものであることを、改めて感じながら今の生活が充実していることを実感した。


 ポケットの中で振動が伝わり、画面に通知が表示された。私は何事かと思い、スマホを手に取って画面を見ると、隼人からのメッセージが届いていた。


 うまくやってるか?何かあったら言え


 画面に映し出された短いメッセージを声に出して読み、私は少しだけ眉をひそめた。心配しているのだろうが、どこか小馬鹿にされているような気もする。

「……おい、返信はどうすれば良い?」

 私はスマホを手に持ったまま、隣にいる友里に尋ねた。彼女は笑顔を浮かべて、すぐに私の手からスマホを取った。

「ちょっと貸して!」

 友理は画面を素早くタップしメッセージを入力していく。そして、一度こちらを振り返り、にこっと笑うと、迷いなく「送信」のボタンを押した。

「……何を送ったんだ?」

 私は問いかける。

 すると友里は、先ほど撮った自撮り写真を見せながら楽しそうに答えた。

「さっきの自撮りと一緒に『みんなで楽しくやってる!心配しないで!』って送ったの。これで、隼人くんも安心するはずだよ!」

 自分の知らない間に、メッセージと一緒にあの自撮り写真まで送られてしまったことに、何とも言えない感情が湧き上がる。

「……まあ、いいか」

 人とはあまり関わるな…という掟は破ったが楽しければ良い。

 画面を見つめながら、私は心の中で少しだけ笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る