救った命と、人心地


  *


「お疲れ様、ムクロ嬢。おや、その人は……?」


 ムクロが些か疲れた足取りでビルから出ると、入口付近の壁に凭れていたスガタが少し驚いた声を上げた。元通りにスナップを嵌めコートに袖を通したムクロの後ろには、蒼白い顔をした一人の青年が付き従っていたからだ。


「ああ、この人ね、蛇に喰われそうになってたのよ。蛇を追い払って助けられたのは良かったのだけど、なんか懐かれちゃって、一緒に付いて行く、連れてって下さいってきかなくって」


 『蛇』を八つ裂きにし追い払った後、ムクロは情報を得る為に話を訊こうと社員達に声を掛けた。ところがフロッグメイトの社員達は、震えてまともに会話も出来ない者や怯えて恐慌に陥る者、果ては恐怖で失神する者まで現れ話を訊くどころでは無くなっていた。


 仕方無く引き揚げようとしたムクロに、しかし必死で取り縋る者が一人。──それが、先程蛇に喰われそうになっていた青年である。青年は自分を生贄にして助かろうとした社員達よりも、戦い助けてくれたムクロの方が信頼出来ると感じたようだった。


「俺、また蛇に狙われるかも知れないし、そうなると次は確実に殺されるから……その、俺、何でもやるから。知りたい情報あったら全部喋るし。姐さんには恩があるから、その、出来るだけ協力させて欲しいし」


 必死で訴える青年を、ずっとこんな感じなのよ、とムクロは苦笑を湛えてスガタに目配せをした。しかしスガタの態度はムクロのものよりも随分と好意的だ。内部に居た人間ならば良い情報を得られると考えたのだろう。


「分かりました。それではしばらく、小生達と行動を共にして頂きましょうか。取り敢えず、一旦此処から移動するので付いて来て下さい」


 笑顔で告げるスガタに、青年の表情が安堵へと変わる。ムクロは肩を竦めると軽く溜息をつき、それでも異を唱える事はせずスガタに歩調を合わせる。


「ところで主任、私がダメージを与えたら蛇が窓から逃げ出したのだけど、その後はどうなったか知ってる?」


「ああ、出て来た所を狙ってライフルを四発程撃ち込みましたが、仕留めるには至らなかったようで逃げられてしまいました。周囲への影響を考慮すると、あまり大口径の銃火器は使えませんでしたので、致し方無いですね」


 歩きながら物騒な会話を交わす二人に青年は眼を丸くし、思わずといった風に声を上げた。


「姐さんらってナニモノ? 退魔師とか陰陽師みたいなやつ? アニメとか漫画とかだけの話かと思ってたけど、マジで現実にいるんだ? チョーすっっげ、パネェ」


「ああ、ええ、まあ……そんなところね。怪異とかあやかしとか呪いとか、そういうの専門の特殊部隊、って言えばいいのかしら。一般人には存在が秘匿されてるけれどね」


「うは、なにそれマジかっけー! すっげ、ヤバイ、人知れず戦ってるとかなにそれ神じゃん! マジすっげ、俺今マジ感動!」


 独特の語彙で繰り広げられる賛辞に、ムクロは肩を竦めて視線を泳がせ、スガタはハハハと笑いを上げた。青年はキラキラ瞳を輝かせながら、歩いている間中ずっと賛辞を繰り返していたのであった。


  *


 青年の名前は、『加賀地・和巳<カガチ・カズミ>』と言った。


 カガチとは蛇の異称であり、また名前に使われている『巳』の字は干支の巳年、即ち蛇を指す漢字である。


 当初、社員リストの名前を見た二人は、この加賀地こそがあの『蛇』に関係しているのでは無いか、と薄ら考えていた。余りにも蛇に関係がありすぎる名前だからだ。──しかし加賀地が蛇に襲われたのを目の当たりにし、彼は少なくとも蛇を操っている張本人では無い、とそう二人は結論付けた。


 勿論、本当は加賀地が蛇を操っていて、自分へと疑いが向かないよう演技をした──といった可能性も無い訳では無い。しかしそこまでする必要性は感じないし、何より疑い始めたらキリが無い。二人は一旦、加賀地をシロだと断定する事にしたのだった。


「そう言えば主任、『あいつ』はどうなってるの? 蛇の出現に間に合いそうって話だったのに、ちっとも来ないじゃない」


「ああ、それがですね……」


 今三人が居るのは、スガタとムクロが宿として利用しているビジネスホテルだった。急遽追加でもう一部屋を加賀地用に押さえ、そこに集まった次第である。


 加賀地は今、シャワーで身体を清めていた。恐怖で失禁し、おまけにあの蛇の匂いが全身に染み付いていたのだ。下着類は来る途中にコンビニエンスストアで買っておいたので、取り急ぎ加賀地にはホテルの室内着で過ごして貰い、店が開く時間になったら適当な服を調達して来る算段である。


 加賀地をホテルへと連れてきたのは、護衛の為でもあった。蛇が現れるのはあのビル限定だとは思うのだが、因果をまだ解き明かしていない故に断言は出来なかった。もしかしたら加賀地を追って加賀地の棲むマンションへと現れる可能性もあるかも知れないのだ。狙われた人物が被害に遭わなかった事例が今迄に無かった為に、色々と予想が付かないが故の処置である。


 そしてスガタとムクロの二人は、コンビニで買った弁当を食べながらぽつぽつと言葉を交わしていた。


「──彼、ムクロ嬢も知っての通り、酷い方向音痴でしょう? 一人で向かっていたら、迷っちゃったらしくて」


「は……? っ、ん、んん……」


 ムクロは喉に詰まりそうになった俵おにぎりを慌ててお茶で流し込む。はあっと息をつくと、呆れたような言葉が自然と零れ出た。


「え、それでどうしたの? 引き返したの? まさか帰路まで迷ったとか流石に無いわよね?」


「ええ。何とか本部まで取って返して、明日またこちらへと向かうそうです。その際にはきちんと本部の方がこちらまで送り届けてくれるのだとか」


「はあ……ホント手間が掛かるったらありゃしないわね。でも今回はあいつがいないと駄目みたいだし」


「そうですね。ムクロ嬢と小生だけでは、やはり追い詰め切れずに逃してしまう確率が高そうです。彼がいないと蛇は倒せないでしょう」


 二人が弁当を食べ終えゴミを片付けていると、シャワールームからさっぱりとした表情の加賀地が姿を現した。遭った時にはぼろぼろで気付かなかったが、こうして見ると意外に爽やかな好青年といった雰囲気だ。


「お待たせっす! あっいいな、俺も落ち着いたら腹減った! 俺もなんか食べる!」


「まあ、……元気なのは良い事よね」


 先程まで真っ青な顔で震えていたとは思えない無邪気な姿に、ムクロは溜息を吐き、そしてスガタは軽く苦笑を漏らしたのであった。


  *

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