吸殻の紅と、鳴る氷


  *


 本来、スガタ率いる『第〇〇遊撃隊』の任務は敵となる怪異などの殲滅である。


 今回のような事前調査は、情報部所属の調査部隊が行うのが慣例であった。しかし今現在、西支局所属の術士・能力者はどの部署においても慢性的な人員不足であり、それは情報部も例外では無かった。


 ただ情報を収集するだけならば戦闘能力を持たない人員でも事足りる。情報部はその道のエキスパートが揃っているのだ。実際、事前に渡された資料にはあのビルに関する情報が事細かに記されていた。バーのマスターから聞いた話も、半分以上は既に知っていた情報だった。


 しかし、情報収集の最中に敵と遭遇する可能性がある場合、戦闘能力を持たない人員を現場に派遣する訳にはいかないのだ。そういった理由から、現場に直接赴く部隊は現地での調査をも必要とされるケースが近年多くなっている──今回のスガタ達のように。


「ああお帰り、ニィ。どうだった、何か変わった物はあったかしら?」


 そしてまだ夜真っ只中の午前二時、スガタとムクロは例のビルからそう遠くないビジネスホテルの屋上に居た。


 チィ、と鳴きながら蝙蝠のニィがパタパタとフェンスを越え、掲げたムクロの手の中へとすとんと降り立った。そのままもふもふすべすべと手触りの良い毛皮をムクロが撫でてやると、チィー、とニィは気持ち良さそうな泣き声を上げる。


「で、どうでした、ニィさん?」


 ムクロに撫でられてうっとりと目を細め、一仕事終えたとばかりにニィはすっかりリラックスしている。そのまま寝てしまいかねない様子のニィを見かね、スガタが重ねて問いを発すると、チィチィと鳴きながらニィはぶんぶんと首を横に振った。


「はあ、どうやら何も目ぼしい物は無かったようで……仕方無いですね」


 そのニィの仕草に、意図を読み取ったスガタが軽く肩を落とした。ムニムニと揉まれてニィはすっかりぐでんと怠惰モードである。


 ──あれから二人は組織が押さえておいたビジネスホテルにチェックインした。途中にあったコンビニエンスストアで買った軽食で小腹を満たした後、屋上に出て蝙蝠のニィに例のビルの屋上を調査して貰っていたのだ。


 小柄なニィが飛んで移動するには少し遠いかと思われたが、予想に反しニィは難なく任務をこなし無事戻って来たという次第だ。しかし見た限り特に変わった物は無かったようで、収穫が無かった事にがっかりしつつも二人は特に気落ちした気分を引き摺る事も無かった。


「屋上には何も無い、とはっきりしただけでも良しとしましょうか」


「まあそうよね。──ねえ主任、そろそろ休まない? 久し振りに慣れない事して疲れたわ」


「そうですね。休息を取って、また明日になったら……、いやもう今日ですかね。午前中また調査に回りましょう」


 ムクロが大きく伸びをすると、つられてスガタも欠伸を噛み殺した。ポケットの中ではニィがもうすっかり眠りこけている。


 二人は欠けた月の浮かぶ夜闇に背を向けると屋上を出、それぞれ宛がわれた部屋へと戻りそのまま眠りに落ちたのだった。


  *


 翌朝、遅めに目を覚ました二人はゆるゆると調査を再開した。昨夜バーのマスターに教えて貰った弁当屋の店主を始め、周辺の商店などに話を聞いて回る。


 大体一通りの聞き込みを終えたところで、スガタとムクロは遅めの昼食を摂ろうと裏通りの喫茶店に腰を落ち着けた。スガタはおまかせランチセットとレモンティー、ムクロは山菜パスタとおすすめブレンドの珈琲を注文し、ふうと息をつく。


 煙草を咥え火を点けると、ステンドグラスのランプに照らされて紫煙が淡く揺らめく。ムクロは深く吸い込みながらそれを目で追い、アンティーク風の調度品で統一された店内に視線を走らせた。さほど広くない店内は馴染みらしい客が多そうで、何処か懐かしい雰囲気が漂っている。


 端末を弄っていたスガタは溜息をつきながら操作を終えると、クッションの効いた椅子に深く凭れて目蓋を伏せた。眼鏡の位置を直しながら水のグラスに手を伸ばす。


「話を総合すると、──最近姿が見えなくなったという女性。どうやら彼女が何か関係しているようですね」


 レモンの輪切りが浮かんだ冷たい水をこくり飲み下すと、スガタはそっとグラスをテーブルに戻した。レースのコースターの上でカラン、と氷が音を立てる。ムクロは短くなった煙草を貝殻モチーフの灰皿で揉み消し、再び煙草を取り出しライターで炙った。


「名前とか素性は分からないのよね……八階のあの会社に勤めてた子、というのはほぼ確定してるのに。その子が居る事は皆が認識していても、誰もその子について知らない、記憶にはあっても記録には残ってないだなんて、何だか出来過ぎてるわ」


「そうですよね、幾ら探しても全く情報が出て来ないなんて……普通有り得ません。今、こちらが集めた情報を元に情報部に調べて貰うよう、改めて依頼した次第です」


「直接あの会社の社員に接触出来れば、話は早そうだけれど。何なら私がどいつか引っ掛けて吐かせるの、どうかしら」


「……小生は、そのような危険をムクロ嬢に冒して欲しくありません。それに相手は悪党の集団です、何をされるか──」


「別に多少何かをされたところで、私、気にしないわ。そんなウブな年頃じゃもうないんだし」


「いや、でも……」


 ムクロは煙草を潰しながら何かを言い淀むスガタを見遣る。少し口紅の付いた吸殻が灰皿に転がる。狼狽えるように視線を逸らしたスガタから目を逸らし、ムクロはグラスの水に口を付けた。


 少しだけ気まずい空気が流れる中、注文していた食事を若いウェイトレスが運んで来た。湯気を立てるプレートはどれも美味しそうに盛り付けられている。ランチセットはチキンカツとエビフライが中心のミックスグリルで、山菜パスタは鉄板の上で香ばしい音を上げている。


 この店は当たりだ、とムクロは確信した。ミニサラダのアスパラやトマトは見るからに新鮮で、胡瓜に施された飾り切りも美しい。ランチセットのカツやフライも冷凍食品ではなく自家製のようだ。店自体の雰囲気と同様、料理も凝っている。これならば食後の珈琲や紅茶も期待出来るだろう。


 二人はいただきますと声を合わせ箸を取る。温かい食事は身体だけでなく内面も温めてくれる。心の凝りがほぐれていくのを感じながら、二人は食事を進めたのだった。


  *

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