不穏な話と、並ぶ酒


  *


 組織から送られた調査資料によると、このビルの所有者は八階にある会社の社長自身であった。


 築年数はさほど古くはないが、その会社──端末用アプリケーションを開発する企業が出来る前からの建物らしい。代表取締役となっている河津という青年の父親が不動産業を営んでおり、河津が起業する際、父の会社が以前から所有していたテナントビルを譲り受けたという流れのようだ。


「典型的なボンボンね。どうせそのアプリの会社も大した事無いのでしょ?」


「『フロッグメイト』という名の企業ですが、業績はお遊びに毛が生えたようなものですね。社員数は十七人、全員が大学時代からの河津の友人だとか。他の階に入居している会社からのテナント料があります故、それで運営費を賄っているのでしょう」


 現場は兵庫のとある街の中心部、少し寂れた感のある繁華街である。表通りはまだ明るいものの終電を過ぎた深夜の時間帯という事もあり、ビルのある通りは既に閉店している店も多く閑散とした雰囲気だ。


 周囲を探ってみたものの術や瘴気などの痕跡は見当たらない。二人はその場を離れ、ビルの近くにある手近なバーに腰を落ち着けた。此処ならば何か異変が起きても直ぐに駆け付ける事が出来るだろう。


「ビルからの『転落事故』で死んだのは四人、という事は残りは河津を含めて十三人って事よね? もしこれが誰かの復讐によるものなら、全員を殺すまで事態は収まらない……なんてのも有り得るのかしら」


「まだ何とも言えませんね。まあしかし、それも可能性の一つとして考慮すべきでしょう」


 スガタとムクロの二人は並んでカウンターの隅の席に腰掛けていた。平日という事もあり店内に客の姿は皆無だ。古い洋楽が薄く流れる落ち着いた雰囲気の中で、マスターらしき初老の男は静かにグラスを磨いている。


 二人の前には各々が注文したカクテルが並んでいた。スガタはダージリンクーラー、ムクロはパリジャンだ。それぞれに酒を口にしながら静かに言葉を交わす。


「ちなみにあのビル、地上だけでなく地階も存在するようですね。但し現在貸し出しはしておらず、フロッグメイトが倉庫として使っているとか」


「そういえば屋上はどうなのかしら?飛行する敵が相手ならば、屋上へと出られれば随分戦いが楽になるのだけれど」


「それ以前に、屋上に手掛かりがあるやも知れません。ふむ、調べてみる必要はありそうですね」


 真剣なスガタの横顔をチラリ見遣りながら、これが仕事で無いならばどれ程に良かったろうか、とムクロは思う。溜息をアルコールで飲み込み、瞳を伏せる。紅を引いた唇と同じ色彩のカクテルが静かに揺れる。


 スガタは紅茶の香りが漂う杯を干し、同じものを、とマスターに声を掛けた。初老の男は柔らかな笑みで頷きを返し、落ち着いた仕草でカクテルを作り始める。スガタはその様子を物珍しげに眺めながら、何気無さを装いマスターに話し掛けた。


「ご主人、この店長いのですか? 良い雰囲気の店ですね」


「ありがとうございます。もうずっと……もう二十五年以上になりますか、此処でやらせて貰うとります」


「へえ。なら、この近辺の事には詳しいのですね?」


 控え目に頷くマスターの姿をムクロも黙って注視する。これなら良い情報を得られそうだと踏んだスガタは単刀直入、駆け引きは不要と思い切って本題に切り込んだ。


「ご主人、近所で起きているという連続転落事故をご存じですか?」


「……お客さん、探偵か何かなんです? あの一連の事故について調べとるんでしょう」


「まあ、そのようなものですね。何かご存じの事があるなら、どんな些細な話でも構いません。是非教えて頂きたく……」


 少し訝しむような目を向けたものの、結局マスターは出来上がったカクテルをスガタの前に置くと、ぽつりぽつりと話を始めた。その表情は苦みを含み、しかし思ったよりも饒舌に言葉は次々と零れてゆく。


「一人目が落ちたのは十日程前ですな。それから二~三日に一度、人が落ちて亡くなるというのが続いとります。四人目が死んだのは昨日の夜。大体、深夜一時頃に起こるようですな」


「蛇が……空を飛ぶ蛇が現れて被害者を落とした、という目撃証言があるようなのですが」


「さあ、私は落ちた瞬間に立ち会った事は無いので……。でもその噂は近所の皆が言っとりますな。何かの呪いとか違うかって」


「呪い、ですか。死んだのは皆、あのビルの八階に入っている会社の社員だそうですね。何か、彼らが呪いを受けるような事をしたと?」


 スガタの問いに、初老のマスターは苦笑を浮かべた。再びグラスを磨きながら口を開く。


「あの会社、いや会社なんてそんな良いもんと違いますな、あれは。あの連中、不良の集まりみたいなもんです。今風に言えば半グレ、でしたかな。あの八階にたむろして深夜まで騒いで……。絶対何か悪い事やっとるって、近所でも評判でした」


「ほう……。確かに、あそこは会社という体裁はあるものの、その実中身は社長である河津とその仲間達でただ遊んでいただけのようだと聞きました。そんなに胡散臭い連中だったのですか?」


「身なりの良くない者達が出入りしている姿もよく見掛けましたし、他の階に入っている会社もまともなのは無いようですな。暴力団のフロント会社、闇金紛いの金貸し、詐欺同然の通信販売、風俗の事務所に机業者……。駐車スペースに停めてあるのもスモークを貼った黒塗りばかり。彼らがあのビルを管理するようになってから、ここらの治安が悪くなったと厄介者扱いですよ」


「そんなに酷い状況なのですか」


「なもんで、まあ、何か悪い事しでかした報いなのだろうと、そう囁かれとります。同情なんてする者はいないでしょう。これで彼らが大人しうなってくれたらと、周囲は皆そんな目で見とりますな」


 マスターの話にスガタとムクロは同時に顔を見合わせた。具体的に何があったかは分からないものの、河津とその周辺は叩けば埃が出るどころか真っ黒のようだ。何か切っ掛けとなる事件が判明すれば、という淡い期待は打ち砕かれた。


 これはもう少し調査を続ける必要がありそうだ、と二人は溜息をつく。空飛ぶ蛇が出現するのを待ち構えそれを倒して終了、という単純な案件とはいかないらしい。


 スガタがポケットから取り出した懐中時計にちらり目を遣る。針は一時十五分を指し示していた。今夜はもう空飛ぶ蛇が出現する気配は無さそうだ。二人はグラスに残っていたカクテルを干し、席を立とうとした。


 その時、そうそう、とマスターが何かを思い出したように口を開いた。


「あっちの角にある弁当屋、そこの婆さんとは長い付き合いなんですがね。以前、あのビルに入っている会社に勤めているっていう女の子とよく喋っていたそうです。あんな所で働いて大丈夫なのかと心配していたそうなんですが、ここ最近その子を見ないとか言っとりましたな」


「その人、どの会社に勤めていたかは……?」


「さあ、そこまでは。──でも何かもっと詳しい事を知っているかもしれませんので、話を聞いてみても宜しいかと」


「成る程、是非そうしてみます。ありがとうございます」


 二人はマスターに礼を述べ、代金よりも幾らか多目の額をカウンターに置いた。暖かい空気と渋みのある洋楽に見送られながら通りへ出ると、吹き抜けた冷たい風がムクロの髪を靡かせる。


 街はもう闇に沈み始めている。まだ煌々と照る例のビルの八階を一瞥し、二人は深みを増して行く夜へと歩みを進めたのだった。


  *

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る