新たな指令と、燃ゆ煙草


  *


「それで、今回の案件はどんなものなのかしら?」


 会議室にやって着たムクロが椅子に座りながら溜息をつく。つい数日前に戦闘を含めた作戦をこなしたばかりだ。結果的には楽な仕事だったとは言え、もう少しインターバルを欲しても文句は言われない筈だ──それが通常の状態ならば。


 しかし『組織』は万年人員不足なのだ。あやかしの跋扈や怪異の頻発、常に平和を脅かさんとする邪法集団『結社』に加え、近年は謎の第三勢力もが暗躍し幾つもの事件を起こしている。直接戦闘が可能な術士は意外な程に少なく、その貴重な戦力も度重なる事案の連続で疲弊しきっているのが現状だ。


 よって、スガタ達『第〇〇遊撃隊』は頻繁に駆り出される事態となっている。


 指令を突っぱねたくとも、組織の術士不足に思いを巡らせれば断る気力が失せてゆく。もし自分達が断った事案が原因で力不足の者達が駆り出され、彼らの生命が消える事態となったならば──寝覚めが悪いどころの話では無い。それにそもそもの立場上、断るという選択肢は用意されてはいないのが実情だ。


「私達に回って来たという事は、調査よりも戦闘がメインなのかしらね?」


 ムクロは持っていたポーチから煙草を取り出すと一本咥え、カチリと音を鳴らしガスライターで火を点けた。深く吸い込み、ふう、と溜息のように長く煙を吐く。このフロアで喫煙可能な場所は各人の私室とこの会議室だけなのだ。


 スガタはそんなムクロの方にそっと灰皿を押し遣りながら、おもむろに話を切り出した。


「……『フライング・スネイク』というのをご存じですか、ムクロ嬢」


「何それ、空飛ぶ蛇? ケツァルコアトルみたいなやつかしら? それとも龍? ワイバーン?」


「この場合、そういった幻獣や神話生物というよりは、未確認生物……UMAを指すようです。勿論、現実に居るトビヘビなどでもありません。空を飛ぶ人間、『フライング・ヒューマノイド』の亜種といった定義のようですね」


 スガタの解説に首を傾げ、ムクロはまた深く煙草を吸った。少し細く長い煙草を挟んだ指の先、深紅に染められた爪がメタリックな光沢を滴らせる。


「ふうん、空想の神話生物ではなくて、目撃された事のあるごく最近のモノという訳ね。それはまあいいわ、私達の攻撃が効くのならどっちでも。それにしても、問題はそこじゃないんじゃないかしら?」


 トントンと簡素な灰皿に灰を落としながら、ムクロは形の整った眉を少しだけ顰める。


「……飛ぶんでしょ、それ。明らかにそういう名前よね」


「ええ、まあ。飛ばない蛇ならばわざわざそういう扱いにはならないかと」


 しれっと何でも無い事のように応えるスガタを睨み付け、ムクロは煙草を灰皿で揉み潰した。ふわ、と空中に残ったままの紫煙が歪みとぐろを巻く。


「主任は銃器、私は近接戦闘。どちらも滞空や自在飛行は不可能なのよ。これでどうやって空飛ぶ獲物を狩るというの?」


 新たな煙草に火を点けたムクロの視線を受け流し、遠くを見遣りながらスガタは零す。そんな事は分かっている、と言わんばかりの達観した表情だ。


「それは勿論、上は『彼』の存在があるからこそ指名して来たのでしょうね」


「だって『あいつ』はまだメンテナンス中よ! このままだと作戦開始に間に合わないじゃないの!」


「その時には小生らだけで何とかするしか無いですね。しかし予想では調査にも幾分かの日にちが掛かりそうですし、必要な時には間に合うのではないですかね」


「……そうね、そう願いたいわね」


 ムクロも同様に諦めの溜息をつく。二人の口許には乾いた笑いがこびり付いている。『彼』──第〇〇遊撃隊のもう一人の仲間の事を思い、複雑に絡み合った思いで心が乱れる。


 結局、──上の命令には逆らえないのだ。組織に生かされている以上、唯々諾々と従う他無い。そういう契約、そういう生命なのだ、と心の奥底にずしんと冷たく重い物が溜まるのをムクロは感じる。


 そうして二人は打ち合わせを終え、それぞれ準備の為に自室へと帰って行った。じりじりと過ぎる時間をもどかしく思いながら、仕事に向けて精神を集中させてゆく。


 ──やがて訪れた二日後の夜。結局スガタとムクロは二人だけで、作戦の為に本部最下層『奈落』から解き放たれ地上へと現れたのであった。


  *


「このビルがそうなの? とても空飛ぶ蛇が現れたり、凄惨な人死にが連続しているようには見えないのだけれど」


 ムクロはロングコートのポケットに手を突っ込んだまま、とあるオフィスビルを見上げていた。


 時刻は深夜〇時を少し回ったところだ。隣ではスガタも同じようにビルを眺めている。窓の明かりが丸眼鏡に反射し、その表情を覆い隠す。


「このビルの八階、そこから人が落ちるのだそうです。正確には、飛ぶ蛇が現れてそれに引き摺り出された社員が放り出される……という事のようですが」


「被害が出るのは八階……最上階だけなのね?他の階には何も無いの?」


「今迄に四人が死亡しておりますが、全員が八階に入っている会社の社員だそうです。ちなみに八階はその会社が全て借り上げており、他の会社は入っていなかったとの事」


 ふうん、とスガタの言葉を聞きながらムクロはビルを丁寧に眺めてゆく。


 表通りからは一本入った所にある、適度に静かな場所に立つビルダ。見るからに普通の八階建てオフィスビルであり、ひょろりと細長く少し頼り無い印象を受ける。


 全ての階が貸しオフィスとなっているようで、それぞれの階の窓硝子などには様々な社名が踊っていた。しかし、問題の最上階には社名も何も出てはいない。他の階は真っ暗な中で八階にだけまだ明かりが点いている。煌々と点く照明が、恐らくまだ中に人がいるであろう事を示していた。


「で、主任。これからどうするの?」


「そうですね、見張りを続けつつ、余裕があれば聞き込みなど試してみても良いやもしれません。その会社だけが狙われているというなれば、何か理由がある筈です」


「了解よ」


 そうして二人は夜闇に紛れ、調査を開始したのであった。


  *

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