骨の女王と、歪む音


  *


 バランスを保ちながらムクロはすらり、軽い身のこなしでタンデムシートの上に立ち上がった。コートがばさりとマントめいて翻る。しなやかな黒革のロングコートによって隠されていたのは、銀色のスナップボタンがびっしりと光る黒革の衣装だ。


「さあ、貴方達はどこまで楽しませてくれるのかしら」


 ワインレッドの髪を靡かせ紅を引いた唇を舐め、妖艶にムクロは笑う。風がなぶるのはモデル顔負けの見事な肢体、そして革のアームカバーと膝上までのロングブーツを合わせたボンデージスーツ。白い霊気を纏ったその姿は輝いているかに見え、漆黒の瞳に睨まれた首無し達は一様にたじろいだ。


「──覚悟は、いいかしら!?」


 ヒールがシートを蹴り、ひらり、その身が高く舞い上がる。──これがバイクだったならばこうはいかない、立つ事すらままならない筈だ。後部の車輪が左右二輪で安定感のあるトライクだからこそ、走行中の車両から跳躍するなどという芸当が可能なのだ。


 宙から黒いワゴン車を見下ろし、ムクロは笑う。そして優雅にすら見えるその身体から、不意にミキ、ミキ、ギギギ……という異音が上がった。


 ──メキ、メキメキメキ、という音と同時、ムクロの四肢の側面が突如膨らむ。覆っていた黒革が内側から膨張した何かに押され、そして──バチバチバチバチッッ、とスナップボタンが一気に外れた。煙のように噴き出す燐光、そしてその内からびちびちと血飛沫を飛ばしながらぐぼり、と現れたのは……。


 ──骨。


 そう、それは紛うこと無き骨だった。ムクロ自身の血や肉を纏わせながら、メリメリッと鈍い音を上げ、前腕と下肢それぞれの側面から白い骨が何本も生え出したのだ。生々しい白さをもって褐色の肌に映えるそれは、湾曲した形状と手足の先に向かって生える姿から、巨大な猛獣の爪を思わせた。


 先の鋭く尖ったそれは、あたかも牙、或いは角、もしくは剣の如く。冷徹な鋭利さをもってムクロの身体を飾る武具となる。


 ムクロは慣性に従って落下しながら、ビュン、と四肢を振るう。骨に付着した肉片や血液が飛び散り払われ、骨が白く輝いた。準備は万端、着地点は首無しひしめく黒いワゴン車の天井。狼狽えるかのように速度を落としハンドルを切り逃れようと試みているが、──時既に、遅し。


 ダァンッ、と派手な音を響かせ、着地と同時にムクロの脚の骨がワゴン車の天井に穴を開けた。復元する暇など与える筈も無い。踊るようにムクロが腕を振るうと、易々と金属板に大きな切れ込みが走る。そのまま勢い良く蹴り上げて天井をバカリと跳ね飛ばした。中では抵抗する気力すら失った首無し達が、逃げる事すら出来ず右往左往蠢いている。


 そこからはもう、一方的であった。


 およそ戦いとは呼べぬような虐殺、殲滅、掃討。ムクロが優雅に舞う度に、首無し達が姿形を失ってゆく。年齢も性別もバラバラの首の無い人間の身体が、斬られ、裂かれ、千切られ、分かたれ、捌かれて力を失い崩れ落ちて光の粒子と化してゆく。


 ──ムクロが首無し達を倒すのにさほど時間は掛からなかった。戦闘の余波を受けてフレームが壊され、オープンカーと同様の状態になったワゴン車に残るのは、もう運転手ただ一人となっている。ムクロは不満そうな表情で二列目シートに立ち、運転席のヘッドレストに手を突いて運転手の首無しへと語り掛けた。


「ねえ、もう終わりなの? 随分とつまらないわ、もっと楽しませてくれるかと期待してたのに。……それとも、貴方にはもっと歯応えがあるのかしら?」


 舌なめずりをしながらムクロは極上の笑顔を向ける。自然体のようでいて、しかし腕から生やした骨は首無し運転手をきっちりと狙っていた。ムクロの深淵めいた瞳がすうと細まる。運転手の左手の甲、そこにはくっきりと円形の印が彫り込まれていたのだ。


 ──それは、蜥蜴のような生き物が自らの尻尾を飲み込んでいる意匠だった。『結社』の構成員である事を示すものだ。


「どうかしら、私貴方とお喋りしてみたいのだけれど、やっぱり首が無いから貴方喋られないの? ああ、顔も見てみたかったのだけれど。勿体無いわ」


 更にムクロが呼び掛けると、それまでただ静かにハンドルを握っていた首無し運転手がおもむろに動いた。左手を伸ばしぱちり、と何かのスイッチを入れたのだ。訝しむムクロの眼前で、カーナビらしき小型の液晶モニターが光を放ち始める。


『──ザ、ザザザ、……ザザ』


 砂嵐の如きノイズだらけの画面に合わせ、スピーカーからは不明瞭な濁音がぶつぶつと流れてくる。呆気に取られながらも油断する事無くムクロが画面を見詰めていると、不意に砂嵐の中に人の顔らしき像が浮かび上がった。


『……ザ、ザザ。──ザ、聞こえ、ますか。……ザ、始めま、ザザ、して』


 幾分か薄くなったノイズの中、少し濁りながらも若い男性の声が響く。──この顔と声の持ち主が、首無し運転手の首なのだろうか? きっちりとスーツを着込んだ細身の身体を見下ろしながら、ムクロは考える。スピーカーは尚も、濁音混じりの音を垂れ流す。


『ザザザ、残念ながら、ザ、貴女とお話、ザ、するメリットが、ザザザ、こちらにはありません。ザザザ、情報が、欲しい、ザ、のでしょう? ザザ、』


「そうね、単刀直入に言うならば、喉から手が出るぐらいに情報が欲しいわね。でもね、それだけじゃないの。私、貴方そのものに興味があるのよ。──どうしてこんな事しようとしたのか、どうやって考え付いたのか、色々と訊いてみたいのよ」


『……ザ、ザザザ、──へえ。ザ、やっぱり、貴女、変わり者、ザ、ですね。情報通り、ザ、です』


「情報? 貴方、私の何を知ってるって言うの? ……おおかた本部のサーバーから抜き取ったデータでも見たんでしょうけど、ふふ、通り一辺倒の履歴書だけじゃ分からない事が、ヒトには沢山あるって知ってるかしら?」


 『組織』の術士や構成員のデータが『結社』に筒抜けだと言うのは有名な話だ。しかし、そんな入力された無機質なデータで何を推し量れると言うのだろう。ムクロは挑むように瞳を爛々と輝かせ、滲んだ画面の青年を更に挑発する。


「そんなフィルターを掛けた画面越しじゃないと不安なのかしら? 出てらっしゃいよ。この『スケルトン・クイーン』は逃げも隠れもしないから」


 ──画面の向こうの青年が、微かに笑った気がした。


 一瞬の後、パン、と画面が爆ぜた。スピーカーからも歪んだハウリング音が上がり、次いで沈黙が落ちる。バラバラと液晶の欠片が散り、それに伴って首無しの運転手が力を失いハンドルに倒れ込む。


 すう、と運転手の身体が光の粒子となって解け始めた。制御を失ったワゴン車が車体を揺らし蛇行を始める。


「全く、……後味悪いわね。『結社』の奴等も、もう少しスマートに事を運べばいいのに」


 もうこの車に用は無い。ムクロはすうと息を吸うと、フッと気炎を吐いて運転席のヘッドレストを蹴った。身体を高く舞い上がらせながら、生やしていた手足の骨を収めて行く。


 ビキ、バキリ、ミチミチミチ……。肉を抉る嫌な感覚が手足を疼かせる。幾ら繰り返しても、慣れる事は無い。『スケルトン・クイーン』と呼ばれるようになったその時から、もうずっと。


 そして溜息を漏らしながら、ワインレッドの髪とコートを靡かせ、骨の女王は優雅にトライクのシートへと再び降り立ったのだった。


  *

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る