現れる物と、追う車
*
黒いボックスワゴンの走行速度は遅く、スガタ達の乗るトライクはグングンと車間距離を詰めてゆく。と、不意にそれまで蛇行していたワゴン車の揺れがピタリと収まり、それぞれバラバラに蠢いていた首無し達が動作を止めた。
そして──一斉に振り向き、スガタ達を凝視したのだ。
首は無い。頭も、顔も無いのだから、当然眼も存在しない。だと言うのに分かるのだ。それらが皆、こちらを見詰めている事が。注視している視線が突き刺さるのが。
ぞわり、とうなじの産毛が逆立つのをムクロは自覚する。見られているだけだ、まだこちらに手を出してくる様子は無い。しかし嫌な気配をビリビリと感じ、ムクロはコートのポケットから幾つかの小さな玉を取り出した。
「主任。先手必勝、……してもいいのかしら?」
「どうぞ、試してみて下さい。躊躇は不要です」
「なら、遠慮無く」
短い遣り取りを交わし、そしてムクロは重みのある小さな銀色の玉を握った。パチンコ玉の表面に簡単な術式陣を彫り込んだ簡易な霊的物質対応弾である。霊気を送り込むと、手の中でそれは淡く術式を光らせた。
「──ふっ!」
強く短く気合いを発すと同時、ムクロは弾を勢い良く指で弾いた。射出された弾は真っ直ぐに前方のワゴン車のタイヤに命中し、バス、と鈍い音を上げる。通常ならばこれでタイヤはパンクし、車の動きを止められただろう。
しかし、ワゴン車は一瞬大きく車体をよろめかせたものの、また直ぐに平常の走りを取り戻した。弾で穴を開けた筈のタイヤが凹んだり歪んだりしている様子も無い。ほう、とスガタは感心したように声を上げる。
「残念。思ったよりも丈夫なようですね。いや、瞬時に修復されているという方が正しいですかね」
「……まあ、こんなのは小手調べってところよ」
ムクロの言葉は負け惜しみじみて、その声色には些か焦りと悔しさが滲み出ていたが、スガタはそれに気付かない振りをしながらこっそりと苦笑する。いよいよ近付いたワゴン車の乗員は攻撃された事に気付いたようで、途端により一層濃い瘴気が黒い車体から噴き出した。ハンドルを強く握り直すと、スガタは前を向いたまま大きく声を張った。
「では、本腰据えて対処に当たるとしましょう。──一気に抜きます」
言うと同時、グン、とトライクが加速する。唸りが大きさを増す。三輪は滑るようにワゴン車の右側に回り込んだ。
車内の首無し達が二人を追うように一斉に向きを変える。ついでとばかりにムクロがまた弾を放つが、一瞬小さく砕けた窓硝子は水面の如く直ぐに元に戻った。更にスピードを上げたトライクはワゴン車の前方に躍り出ると、速度を落とし進路を塞ぐように位置を整える。
「予想はしてたけど、運転手も首無しね。あれを倒さないと止まらないのかしら?」
「それが手っ取り早いかと。しかし、倒すべき目標はあの車だけでは無いのです」
「え? 主任、それってどういう──」
「──あれですよ」
ムクロが疑問を口にしようとしたその時、不意にすいと左腕を持ち上げ、スガタがバイクグローブを嵌めた手で前方の空を指さした。つられてその指先の示す先へとムクロが目線を上げる。
「何よ、あれ……」
煌々と光を放つライトに照らされ、夜に浮かぶ奇妙な物体が中空に存在していた。それはそびえ立つ巨大な大橋の主塔を背景に、群れを成して蠢いている。思わず上がったムクロの疑問に、スガタは何でも無い事のように問いを返した。
「ムクロ嬢、ここで小生からの質問です。──あの黒い乗用車が頻繁に出現し煽り運転を繰り返したとして、果たして公的団体が『組織』に調査を依頼する程の多数の事故は、果たして起こり得るでしょうかね?」
「煽り運転で? 故意に車をぶつけられたり、煽られた側がパニックになったりしなければ、そこまで酷い事故には……」
「そうです、煽り運転だけならば重篤な事故に発展する事例はそこまで多くありません。しかし最初に起きたと言われる玉突き事故、そして報道に規制が掛けられた以降も続いている多数の事故……これらは死人が出る程の悲惨なものばかり。では何故、そのような事態になっているのか」
「その答えが、あれらという訳なのね?」
言ってムクロは飛行する群れに眼を細めた。徐々に近付いて来るそれらは小さな翼のようなものでバタバタと羽ばたき、無秩序に蠢きながら距離を詰めてくる。鳥にしては不格好で、しかし何処か既視感のあるフォルムのそれは──。
「人間の、頭……!」
そう、それは首から上だけの、人間の頭部であった。耳で羽ばたき宙に浮いている姿は滑稽で、しかし十数体群れて蠢くさまは言い知れない不気味さを醸し出している。
「後ろから煽られただでさえ追い詰められた状態であれが現れたならば、平常心で居られる人間はさぞ少ないと思いませんか。事故多発の原因は、首無しの詰まった乗用車と飛行する首、その二つなのですよ」
スガタの説明に息を飲み、ムクロは飛ぶ首と首無しを交互に見遣った。そしてああ、と溜息のように言葉を漏らす。
「もしかして、あの飛ぶ首の持ち主はあの首無し達なの? ならばあれは何、デュラハンとかそういう類いなのかしら」
「恐らく首無しの数だけ首が有ると思われますが──デュラハンとは違うかと。デュラハンは首を飛ばしたりはしませんし、何より老若男女入り乱れています故。デュラハンは確か、女性だったかと」
成る程と納得しながら、ムクロは油断無く気を巡らせる。後方のワゴン車は煽るように何度もトライクに接近しては離れを繰り返し、前方の飛ぶ首達はいよいよもってこちらに近付いて来ている。長い髪を靡かせ、ムクロはコートのボタンを外し体勢を整えてゆく。
「あれは恐らく、ヒトウバンかと」
ハンドルを操作しながらのスガタの言葉に、ムクロは首を傾げた。聞いた事の無い名称に疑問符が浮かぶ。
「火の当番? ……そんな訳は無いわよね。何かしら、それ」
「飛ぶ頭に蛮族の蛮、と書きます。中国由来のあやかしですね。こちらではろくろ首の一形態として知られている次第」
「へえ、知らなかった。覚えておくわ。──それであれは、どっちを倒せば良いのかしら?」
バチリ、とムクロがコートの前を全開にし、腕を抜いてマントの如く肩で固定する。黒革のコスチュームで覆われたすらりとした肢体が露わになる。全身から淡い霊気を放出し、やる気充分といった様子だ。
スガタは臨戦態勢に入ったムクロの気合いに苦笑を漏らしながら、それでも自身も眼鏡の位置を直し前髪を掻き揚げると、薄らと気を纏った。
「療法ですね。手分けしましょう、ムクロ嬢はどちらが宜しいです?」
「選ばせてくれるの? だったら私は後ろの首無しで。何だか暴れ甲斐がありそうだもの」
「はは、了解です」
物騒な返答に笑い声を上げ、スガタは端末を操作した。式神を起動しトライクに憑依させて自動運転の命令を下す。
前方からは首達が奇怪な唸りで不協和音を奏で、後方からは黒いワゴンが瘴気を撒き散らしながらトライクに迫る。肌がびりびりするような感覚に、二人は揃って笑みを零した。
「戦闘──」
「──開始!」
二人は同時に、咆哮を上げた。
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