罪喰う奈落のシンセティカ
神宅真言(カミヤ マコト)
第零章:海峡を舞うパルチザン
巨大な橋と、荒ぶ風
*
星々の煌めく晴れ渡った夜空に澄んだ海風が舞い上がる。潮騒が遠く響く中、女は風に乱されたワインレッドの髪を掻き上げ、少しだけ溜息を零した。
──初冬と呼ばれる季節、時刻はもうじき二十三時を迎えようとしていた。まだ十二月に入ったばかりとは言えどやはり夜の潮風は冷たく、刺すような痛みを伴いつつ剥き出しの肌から体温を奪ってゆく。
「最近、急に寒くなったわね。こんな吹き曝しの中で何日も待ち惚けだなんて、本当やってられない」
呟く女の視線の先には、ブルーグリーンの光でライトアップされた巨大な橋が夜闇に浮かんでいた。日本皇国が誇る世界最大の吊り橋、明石海峡大橋だ。海峡を臨む広い駐車場に立つ背の高い女のロングコートが海風に靡き、黒革のロングブーツに包まれた美脚を数秒の間露わにする。
──それは浅黒い肌に長い睫毛、そして何処かエキゾティックな雰囲気を匂わせる整った顔の女だった。ワインレッドに染めた髪と黒革のコートをそよがせながら、女は深淵めいた漆黒の瞳をすうと細め、幻想的に煌めく大橋から視線を外し背後を振り返る。
「──主任、それで今夜こそ標的は出現するのよね?」
言葉を投げられた先、ハーレーダビットソンの三輪に跨がったままの男が顔を上げる。乱れた黒い長髪を無造作に束ね、丸眼鏡を掛けた白衣の男だ。『主任』と呼ばれた如何にも研究者じみた痩せぎすのその男は、軽く肩を竦めて苦笑を浮かべて見せる。
「張り込みを開始して以降、本日で三日目です。証言の通りなれば、『怪異』は四日か五日に一度の頻度で出現するようですので、そろそろ現れる頃合いかと。まあ所詮は小生の憶測に過ぎぬのですがね」
「いいわ。私もその憶測とやらに乗ってあげる。きっと今日が出現日に違い無いわ」
「それはそれは……この不肖スタレ・スガタ、光栄の至りです。ムクロ嬢」
少しおどけた口調で返す男、スガタが片眉を上げて芝居掛かった動作で貴族の如き礼をする。その肌は病弱なまでに白く、しかしその目鼻立ちは雑な身なりと違い随分と整ったものであった。
ムクロと呼ばれた女はフッと短い笑みを零し、そして自分を見詰めるスガタの深紅の眼から逃れるようにまた大橋へと向き直る。ライトアップされた白亜の吊り橋は淡くファンタジックに染め上げられ、天空の星々に負けじと煌びやかな姿を海の上に浮かべている。その中を走るヘッドライトとテールランプの列がちらちらと不規則に光り、更なる彩りを橋に与えていた。
「こんな仕事で来たので無ければ、寒さも気にならない程にロマンティックな光景よね」
「……ムクロ嬢、何か仰いましたか?」
「いいえ何でも無いわ、ただの愚痴みたいなものよ」
聞き取れなかった呟きに首を傾げるスガタに、ムクロは皮肉めいた笑みを返した。と、──瞬間、視界の中の色彩が鮮やかに移り変わる。
「──ああ。もう二十三時ね」
明石海峡大橋を浮かび上がらせていた光の色彩が、不意にブルーグリーンから鮮やかな虹色へと変化したのだ。時報のライトアップである。各時刻の〇分からの五分間、橋を覆う光はその色を七色に変える仕組みとなっていた。
この三日間ですっかり慣れてしまったプログラムに、ムクロは肩を竦めた。初めて見た時にはその美しさに軽く感動すら覚えたものだが、短期間の内にこう何度も目にしていると流石に飽きてしまうのは致し方無いだろう。
また強い風がムクロの髪を掠う。滑らかな肌を冷気がなぶる。うんざりとしながらムクロは手櫛で髪を整える。
刹那、──冷気とは違うビリビリとした感覚が神経を走り抜け、うなじを灼いた。
「主任!」
「ああ、ようやくお出ましのようです」
咄嗟に振り返ったムクロに、スガタは大きく頷きシートに座り直した。ヒールの音を鳴らし駆け寄ると、ハーレーのエンジンを掛けてハンドルを握るスガタの後ろにムクロは飛び乗った。ドルン、と腹に響く重低音が身体の芯を震わせる。
ムクロがタンデムシートに座ると同時、低い咆哮を上げてトライクが走り出す。ワインレッドの髪と黒革のコートが靡く。ヘッドライトが闇を裂く。するとその時になってようやく、取り付けられた通信機器から警告音と共に声が響いた。
『ターゲット出現、ターゲット出現。膨大な瘴気エネルギーが発生、明石海峡大橋を淡路側から明石方面へと低速で移動、報告にあった怪異と思われます。現場へと急行して下さい』
「了解。第〇〇遊撃隊所属、スタレ・スガタ及びムクイ・ムクロの二名、現場へと向かう次第」
機械的な女性の声にスガタが返答し、そしてトライクは速度を増す。ムクロのコートだけでなくスガタの白衣も風を孕んで音を立てる。バイクとは違い三輪であるトライクにはヘルメットの着用は義務付けられておらず、二人共何も被ってはいない。懐から取り出したグラスを掛け、ムクロは飛ぶように流れる景色に目もくれず前方を見遣った。
もう明石海峡大橋は目前に迫っていた。三輪のハーレーは滑らかな動作で道を駆け、さほどの時間も掛けず光に彩られた大橋へと躍り込んだ。
混んでいるという程では無いものの、土曜の夜とあって走行する車両の数はそれなりに多い。スガタは端末を操作し、通信機へと声を投げる。
「目的地、到達しました。これより怪異の対応に入ります。一般車両の安全保護の為、大規模次元隔離結界の使用を申請します」
『申請、受理されました。明石海峡大橋の次元隔離結界を軌道します。衝撃にご注意下さい』
返答と共に、ズン、と音にならない響きが空気を震わせた。ひた走るトライクの周囲が一瞬揺らぎ、そして橋の上を走行する車両の姿が霞の如く掻き消える。
──次元隔離結界。それは強い霊気を発する物のみを現実世界から一時的に異なる位相へと移す術の事である。怪異が原因と思われる明石海峡大橋での事故の多発について、大橋を管理する団体からの調査依頼を受けた『組織』が設置したものだ。この術を使えば、一般人はおろか建築物などにもダメージを与える心配が無くなるという便利な代物である。
但し、その規模が大きくなればなる程に、必要なエネルギー量は膨大なものとなる。故に、──時間制限が発生するのは当然と言えるだろう。
『次元結界の限界まで残り十五分です。術が解除されるまでに対処完了して下さい』
「了解」
アナウンスの音声に短く言葉を返すスガタの後ろで、通信の内容を聞いたらしきムクロが前を見据えながら鼻を鳴らし笑った。
「十五分も掛からないわ。本部は私達の事舐めてるのかしら?」
「まあ、形式的なものです故。それよりもムクロ嬢、見えて来ましたよ。あれです」
「……ああ、あの黒いのがそうね」
二人の視界の先、無人となった筈の橋上に、一台の黒いボックスワゴンが存在していた。ゆっくりと低速で走るそのワゴン車は不規則に車体を揺らし、蛇行しながら我が物顔で車線の中央を占拠している。
スガタがアクセルをふかしスピードを上げる。ぐんぐんとトライクがワゴン車に近付く。黒い車体からは黒煙めいた瘴気が漏れ、その輪郭を僅かにぼやかしている。そのワゴン車は今にも壊れそうな程にぼろぼろで、だと言うのに黒い塗装はぬめぬめと光り、橋の照明を受けててらてらと不気味に輝いていた。
「主任、見てよあれ。中に乗ってるモノ──」
「ん、……ああ」
二人がワゴン車の車内に眼を凝らす。明らかに定員をオーバーした人数がひしめいているが、そのどれもが窓を叩いたり天井を殴ったりと蠢いている。見る限り、老若男女無差別に詰め込まれた車内の人物達。
そのどれもに──首から上が、存在していなかった。
*
罪喰う奈落のシンセティカ 神宅真言(カミヤ マコト) @rebellion-diadem
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