恋する女 迎田千尋

 20XX年 10月。


 まだ、残暑が残る、半袖でも十分過ごせるくらいだが汗を掻くほどでもない、涼しい朝だった。


 四国 愛媛県 西宇和にある小さく、過疎化の進んだ商店街【骸野商店街むくろのしょうてんがい】。シャッターに閉ざされた錆びた店舗が大半を占める、老婆と、ほんの僅かな物好きが住む小さな町の一角だった。


 そこに、トレーディングカードを専門的に扱う店舗があった。


 カードショップ【日之召ひのめし


 バナナジュース専門店と、夜しか開かない小さなバーに挟まれた、前面を白い壁と、黄色の小さな扉が一つあるだけの、小さな家。その扉には【カードショップ 日之召】という名前と、営業時間がこじんまりと書かれているだけの、淋しいものだった。


 ミシッ…、ミシッ…。


 7時半を越えた頃、その2階に向かって階段を踏む音があった。


「かあぁぁぁぁぁぁぁぁ…」


 2階の4つの扉の、その最奥。音が聞こえる。

「かあぁぁぁぁぁぁ…」

 扉の前に立って、そっと音を立てないようドアノブを捻る。これに、意味は無い。どうせ彼女は起きないから。

「かあぁぁぁぁぁぁ…」

 何故、地面からその音が聞こえて来るのか理解出来なかった。扉を開いたら、真正面にベッドが横たわっているはずで、その麓、床から上に向かって、大きく口を広げて寝息を立てているようだ。きっと、アホ面に決まっていると、少年は「はぁ…」ため息を漏らした。

 その顔を覗き込むようにしゃがみ込む。どうやら、ベッドからずり落ちたらしい。腹部を触ってみると、落ちる際に捲れたのだろう。艶やかな腹があるから、擽ってやる。

「ああんっ!! ッおぉい…」

「起きた? 【くじら】さん」

 そのまま床に倒れ込んで、シバシバの目を擦りながら、彼女は少年の顔に指を突き付けた。

「女の肌を無許可で触るのはマナー違反だ」

「女性として見てない場合も?」

「生物学上の話をしている。それが罷り通るなら君は女湯に入り放題だな良かったね。私は世の中に蔓延る性別透明人間ではない。まさしく、不可侵の女神なのだ。全知全能。最強の、女神だ」

「そんな最強の女神さまの事、俺、何度か起こしたんだよ? カーテンも開けたし」

「太陽の光りなんて、私の美貌の前には弱いものだな」

「いつまで女神やってんの…」

「そんな夢を見たんだよ」

「そう。俺も変な夢見たよ」

「聞いてみよう」

「それはそれは美しい女神さまが、夜な夜な冷蔵庫を開けて生ハムを食べる夢」

 目が右上を向いた。口がへの字に曲がって、腕を組むと首を一度回す。

「……ちゃんと鍵掛けないから泥棒が入る…」

 彼はまた、腹を突いた。

「食ったろ」

「あぁん!! ッ女の子が!? 深夜に!? 無い無い」

「お腹は正直だったよ。謝ってくれたのが聞こえた」

「胃袋とは今喧嘩中でさ。コイツはすぐに嘘を付いて私を売る」

「俺は胃袋くんの味方をしたいな。朝ご飯はどうする? 実はもうお腹いっぱいなんじゃない?」

「胃袋はなんて?」

「大盛って」

「はぁーーーー…。意見が合ったのは久しぶりだ。しょうがない胃袋トモだよ本当に。付き合うよ」

「居候が偉そうに」

「感謝はしてる」

「態度で示して」


 これは、3か月前の事だった。

 夜になって物音がしたと思って裏口の扉を開く。すると、焼け焦げた臭いと血の臭いを纏う彼女が居た。

『ごめんよ。君、助けてくれないかな…』

 鯨は、カードを愛していた。だから、ショップの仕事を手伝うという条件から、鯨という得体の知れない女を家に置き続けている。


 この建物は、昔はレストランだったらしい。それが潰れてすぐ、少年はこの場を買い取り、カードショップを開いた。一段下がったタイルの床。ステンレスの台に囲まれていて、三段に重ねられた業務用電子レンジに、焜炉が4つ。そして、業務用の冷凍庫がある。これらをそのままもらい受け、生活が始まった。

 冷凍庫の中には宅配弁当が敷き詰められている。それを2つ取って、2つの電子レンジにそれぞれ入れる。

 16歳の男児でも、流石にこの長さの髪の毛をしている人物はそう居ないと思えるほどの、長い髪を後頭部で結ったポニーテール。大きな丸メガネを掛けた、小柄な少年の背中をジッと見つめる。

「…【がん】くん」


 高校生 カードショップ 店長 【日之召天院ひのしょうてんいん がん


 冷蔵庫の牛乳に差したストローに口を窄めて吸い取る彼は、台を背凭れにして振り向いた。

「んー?」

「感謝はしてるんだよ。それはホント」

 頬杖をついて、白い歯を見せて笑む。ゴロゴロゴロ…、余すことなく牛乳を吸い取ると、パックを握る手の人差し指が立つ。

「別に何でも良いよ。俺も助かってるから」

「助けた事なんて一度も無いよ」

「だったらきっと鯨さんはヒーローだね。そのままで居て?」

 きょとんとしてしまった。だが、彼の言う、こういう変な言い回しを、鯨もまた少し気に入っていた。

「ぷはっ! ッ君ってめっちゃ変な奴だね」

「自分を棚に上げて…」


 彼女の名は【くじら】。


 丸は彼女の過去を聞かなかった。なのに、聞いても無いのに【記憶喪失】を主張し、そう名乗った。きっと、嘘なのだろう。だがそれでも一人で暮らすにはあまりにも静かな環境が一転して、賑やかなものになった事で、それを赦し、何も聞かずに生活を続けて3か月。もう慣れたものだった。

 丸は白い学生服を身に着けた。

「学校行くから、店番宜しくね」

「開いて良い? 一日店長したい」

「良いわけ無いだろ。最近、泥棒の被害が各地であってるから気を付けててねって事」

「カメラあるじゃん」

「カメラがあっても、来る時は来る。隙を突いて来るものだ。ちゃんとウチのカード達を護っててよ」

「はいはい。分かりましたよ」

 

 白のブレザーを纏う。そしてネクタイをギュッと締めたら、店舗の中を通って玄関に立つ。

「じゃあ」

「てら」

「てき」

 そんな雑な会話が、なんか良かった。


「…………………私が…ヒーローなもんか…」


「お待たせ。香奈かな」


 赤赤としたハーフツイン、満月のような大きく、金色の瞳を持つ女子高生が玄関の傍に立っている。


 高校2年生 【亜式あしき 香奈かな


 桃のようなフルーツ系の香りを纏う、長身の美女。「ん」と恥じらうように返事をして、丸の傍に寄ると肩に手を置いた。

「行きましょ?」


 入学当時の事だった。彼女は突然訪ねて来て以来、平日は毎日のように迎えに来ては、肩に手を置いて通学するのが習慣付いた。朝食べた食パンに、どうやら今日はブルベリーのジャムにしたらしい。コーンスープに、サラダ。そんな、いつもの匂いを纏う彼女に安心感を得て、顔を背ける。

「……例の人、まだ居るのね…」

 香奈は後方を気にしながら、照明が点いた店舗の二階を視る。

「実際、色々手伝ってくれるから助かってるよ。カードの扱いも抜群に上手いし」

 かなり、大きな間を置いた。胸の奥に溢れそうになるモヤモヤとした感情を抑えようとはしながらも、ピリッとして「そ?」、一蹴するように吐露する。

「うん。賑やかなのも悪くないしね」

「…ふぅん?」

 何か言いた気で、含みのある声に、丸は背けていた顔を香奈に向ける。

「どうかした?」

「別に? 綺麗なお姉さんが家に居て、さぞや充実しているんでしょう」

 失言、というほどのものでは間違いなくないが、この言葉で、丸の心が少し強張った事を香奈は感じ取った。

「…しないよ。充実なんて」

 ツンとした言葉だったが、嫌味や、悪言などではない。むしろ、弱音を吐くような、寂し気な、謝意のようだった。

「………………」

「………」

 暫くの沈黙。言葉や話題を探すと、丸は、つい、咄嗟に出る。

「あーーーーーー…」

「ん?」

「駅の近くにさ」

「んー」

「……カフェが出来たみたいだ」

「あー…。知ってるかも」

「……………充実感がありそうだ」

「…そ? 家に丁度良いのが居るじゃない」

「……店番が居なくなるだろ」

「だったら私がやってあげようか? カウンターに座っていれば良いんでしょ?」

 分かっている癖に、不機嫌そうにして鼻を吊り上げて見せる。鯨ならこういう時、必ず「行く行くぉ! いつ行くぷぉぇ?」アホ面下げて言うはずなのに、融通の利かない女だった。

 身長150cmという、【女子高校生】の平均身長すらも大きく下回る低身長。香奈はこれを子供のように見ているのか、まるで庇護するように、いつも肩に手を置いて、傍を歩く。きっと、そういう対象として見ていないのだと、丸の劣等感があった。


 商店街を出て、バスに乗って30分、バイパスの真ん中で降りて、歩いて10分、坂道を下ると、田畑が広がっている。その奥に、ポツンと佇む高等学校がある。


 【渦闇高等学校】


 気付けば、もうその校門の前にまでやって来た。もう既に、遅刻間際。ギリギリの滑り込みだがこれは、いつもの事だ。

 1年生と2年生は、別棟だ。校門から入ってすぐ、香奈は「じゃあ」、学校玄関の中央の花壇の前で、肩から手が離れる。

「うん。また」

 笑顔で手を振っているが、肩が軽くなって、風が冷たい。彼女が背を向けると、その香りがどんどん遠くなってゆく。

「…香奈!」

「んー?」という、とても軽い返事で彼女は振り向いた。俯いていたが、突然彼はキッと眉間に皺を寄せた。


「誘うから!」


「……………。ご予約はお早めに?」

「良い席、予約しておく…」

「バカアホマヌケチビ」

「?」

「これでもバイトしてっからさ。忙しいのよ」

「あ……そういう…う…うん…分かった…」


「楽しみにしてる!」


「………」


 まさに、盲目的に、丸は、亜式香奈という人物を愛していた。


 二人は、特別だった。そしてそれは、悪い意味で。


 丸が教室の扉を開いた時、皆の言葉が一瞬止まる。そしてシンと静まって、決して視線を合わせないよう、向けないよう、背中を向ける。一瞬、怖いもの見たさで視線を送ろうとする者が居ても、隣の誰かがその肩を小突く。

「見んなっ。…な」

 そうさせるのは、明らかに異質な、邪悪な気配だった。運悪く隣の席になってしまった者は、皆が必ず視る。彼の身体から滲み出す、邪悪なオーラだった。これと同じものを、香奈も発している。これらを、こう形容する。


 【死神しにがみ】と。


 その証拠に、とある事件がこの四国を中心として起こっている。


 通称【カードゲーマー不審死事件】


 インターネットの片隅で話題になる程度の、腕のあるカードゲーマーが、謎の死を遂げているという。外傷は一切無い。まるで、突然魂のみを抜き取られたかのような、そんな死に様だという。そしてその事件の第一発見者が、【亜式 香奈】であるという噂がある。

 それと同じオーラを纏う彼が無関係なはずは無い、というのは噂の域を出ないが、ある生徒が話した。


 彼はむしろ、被害者である、と。


 昼休み。本を開いて適当にページを流していると、トッ…トッ…という、顔色を窺うような足音が耳に届く。それは徐々に大きくなって近付いてくる。

「?」

 丸の視線に入り込もうと、少しずつ、少しずつ、距離を詰めては覗き込む。

 黒縁眼鏡をした、黒髪のショートボブ。地味地味とした気弱そうな女子生徒が、丸の傍に寄る。

「あの…丸…くん…」


 1年生 【迎田むかえだ 千尋ちひろ


「呼んだ?」

 とても、冷淡だった。相手が緊張しているから、というのもある。だがそれにしても、人を寄せ付けない、冷たい言葉と、まるで作り物のような、冷たい瞳で直視する。そこからでは彼の感情を、まるで掴む事も出来ず、声が震える。

「何か用事?」と、彼は更に催促した。

「あ…え…と…これ…」

 彼女は前に何かを差し出す。紙のようだ。

「………」

「私の携帯番号と、メールアドレス」

「……なんで?」

「困ってるなら、連絡して? あ、あの…」

「別に何も困って無いよ?」

 本当に困っていない人間は、こんな時に無表情なはずが無い。笑顔に成れない理由があり、それを悟られまいとする意地のようなものが作用しているに違いない。


 という、完全な邪推だった。


「……それでも、受け取って?」

 千尋は強引に、丸の手を握って紙を握らせた。

 人の好意に気付けないほど鈍感ではない。この紙に書かれた熱い感情くらいなら理解する事は出来る。焦りもあるようだ。ただ、薄暗い、陰湿な策謀のようなものも、確かに感じる。


 千尋は、普通の女子高生だ。群を抜いて美人とか、生徒会に所属するとか、おっぱいがデカいとか、何か秀でた才能があるとか、逆に病気がちで可哀想とか、そんなものも何も無い。成績は常に真ん中から少し下。3DKのマンションに親が二人と弟が2人。決して裕福ではなく、休日はいつもアルバイトを入れて、小遣いを稼ぐ。そんな、地味で平凡。それが、【迎田 千尋】という女子高生だった。


 それが、公然の場で、ほぼ告白に近い行動を取った。


「今日は一歩、踏み出した」


「召喚」


 パチッ!


「?」


「【ヘヴンルンルン刃】」


 パチッ…。

「【アルティメットアンビシャスゴージャスグレートパニックタイフーンドラゴン ダイヤモンドアイ THE レクイエム】」


「……カード…」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る