メビウス
ののせき
WORLD LOST
この現象は、大昔から確認されていた。
人が突然、姿を消すという。
神隠しなどと日本では伝わっている。だがしかし、それは決まって、霧の中や、森の深くなどの人知れないところで消息を絶つ事を指す。しかしこれは異なる。周囲に人が居る状況で、突然、目の前から消えるのだ。それを目の当たりにした者は皆がこう言う。
魔法陣が人を消したと。
仔細を解く内に、二つの情報の共通点が挙がった。『金色の魔法陣の縁に【∞】の文字があった』と。そしてその消えた人物は決まって、『死ぬ間際だった』と。
高台から飛び降りる最中。
通り魔に狙われた直後。
イジメを苦に首を吊る。借金を苦に自害。
事故で滑落、薬の過剰摂取で、またある者は病気で。
そこに共通点は何も無いが、『死者』を攫っているのは間違いない。
【∞】の文字を元にして、人々はこの現象を【メビウス】と呼んだ。
だがそんな名と噂が広まって数十年。誰もが忘れ去った頃に、これらとは全く共通しない異例の事件が起こる。
20XX年 7月。【南矢稔中学校】 1‐4組に、【メビウス】の魔法陣が現れ、そこに居た32名を全員、連れ去ったのだ。この事件は世間を大きく賑わせた。集団自殺などと噂されたがだとしても、4階の教室から突然消えるなどあり得ない。
黒い噂ばかりが流れ、陰暴論がこの学校を廃校寸前にまで追いやる。
その陰暴論の中に、とある記述がある。
【メビウス】は、人を天界に送り試練を与え、輪廻転生のチャンスを与える。
まるで、高級な布団で眠っているかのようにフカフカだった。触っているようで、触っていない。自分の身体が、空気よりも軽くなって浮いているような感覚があるのに、その手を握る感触は間違いなく、生きている。
自分だけでは無いらしい。
「皆…生きてるか…」
1‐4組 クラス委員長 【
傾いた眼鏡を整えて、中々開かない瞼を額の筋肉でどうにか開く。そこにはまだ数人、白い霧に包まれた地面に倒れるクラスメートの姿があった。
「皆! 起きてくれ!!」
呼び掛けると、跳び起きる者も居れば、ゆっくりと、朝と勘違いして起きる者。まだ寝続ける者。それぞれの反応だったが、全員がこれを、まだ夢だ、そう思い込んでいるらしい。
「なに…? これ…」
「何処此処…」
「私は誰…?」「それは分かっとけや」
「ふはっ。ふふふ」
だが、意識がハッキリしてくると、少しずつ、少しずつ、心臓がキリキリと悲鳴を上げるように脈打ち、息が詰まる。
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ…。なにこれ…」
『夢』などとは言えないほど鮮明で、確かな手応え。隣に居る人間の身体はちゃんと熱く、人並みの体温がある。
誰かが鞄の中からカッターを取り出した。
「な…何するの…?」
ぎょっとして距離を取ると、とある男子生徒はその刃先を指に近付けて、ピッと切り裂いた。
「……痛い…」
指を垂らして、赤い血を滴らせて見せる。
「さ…さ…サイコパすぎん…?」
「いや、生きてる事を実感したくて」
「うんそれを言ってるの…」
そんな、能天気な会話や、皆の平常心。その反動もあるかもしれない。一人だけは凄まじいまでの恐怖心にガタガタ震える。
「……トッキン?」
1‐4組 風紀委員 【
「ときふじ…大丈夫…?」
鞄を胸に抱いて、ガタガタ震える。隣に居た友人は、肩に手を置くが、それが、同じ人物だと思えなくなるほど疑心暗鬼に陥っていたのだ。
「いやぁ!! こんなところ居られるかぁ!!!」
「ま! 待って! みやときぃ!!」
「みやもっちゃん待って!! 一人は危険だから!!!」
「もっとん!!」
「とっきぃぃぃぃ!!!」
「ミーモー止めてぇ!!!」
時恵は一人、鞄を捨てて、霧の深くに消えてしまった。
「はぁ…はぁ…ど…どどど…どうしよう…。モトト行っちゃったよ…」
「……ついて…落ち着いて落ち着いて落ち着いて落ち着いて落ち着いて…。…………吉本」
ある男が、正仁に歩み寄る。中学生とは思えない屈強な肉体を有する柔道部。1年生にして、大将の座に着く男【
「俺を投げてくれ」
「コオォォォォ…」
熱い息を吐いて、正仁の胸倉を掴むと、思い切り、投げた。
「きゃあ!!」
女子生徒に衝突はしてしまったが、その痛みや、脳の揺れが、何故だか突然、彼の混乱を鎮める結果となる。
「ふぅ…。皆。落ち着いてくれ。もっちゃん事は、残念だった。俺も、もっちゃんの事は保育園の頃から一緒だった。この中には何人か同じ人が居ると思う。辛いと思う。けど、この思い出だけは絶対に消えない。もっちゃんは!! 生きてる!! 俺達の心の中でちゃんと!! 生きてる!!!」「あの…」
「そうだな。生きてる!! みゃー子はちゃんと!! 生きてる!!」「ねぇったら…」
「きー子…ごめん…私…忘れないから…」「あのさぁ…ねぇーえー?」
「俺がちゃんと引き留めておけば良かったんだ…」「おーい…あれぇ…?」
「でもまだ死んだって決まった訳じゃ」「田中。もう…大丈夫だから…」「えぇ…?」
「団結しよう。皆。この状況を、皆の力で切り抜けよう!!!」
「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!! なんでぇぇぇぇぇぇあ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!! なんでトウイツじでぐれないのなんであ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!」
「ミーモー…」「もっちゃん…」「みやもっちゃん…良かった…信じてた…」「とっきん…」
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!」
一人だけの激しい混乱は、逆に、他の者達の冷静を取り戻すのに十分な効果があった。それから列を作って点呼を取る。1‐4組、全員が此処に居る事が分かった。
「よしっ。全員居るな…。誰か、スマホ持ってるヤツ居るか」
「ガラケーなら」
「電話は」
「無理。繋がらない。ネットも」
「……そっか…。もっちゃん。先の様子はどうだった。何かあって戻って来たんじゃないのか?」
「…………」
時恵は大きく首を振って見せた。
「私…ずっと…ずっと…真直ぐ走ってた…。そしたら、村上くんの声が正面から聞こえて…私…」
「……………分かった。…皆。皆で一斉に先に進もう。さっきのもっちゃんみたいに、勝手な行動は絶対に取らないで。良い?」
「なんでそんな嫌味言うの…?」
そうして、32名が5列になって、歩幅を合わせながら歩いた。もしもを想定して、空の鞄を一つ、元に居た場所に置く事にした。それは、この世界がループしている可能性を考え、目印とする為だ。その鞄を確認する事が出来ず、先に進んでいる、そういう実感が芽生えて来る。そして、身体を動かすにつれて少しずつ、皆がこの景色に慣れ、心の平静を取り戻す頃。誰かが気付く。
「…そら」
「え?」
「雲一つない、美しい青が広がっている。まるで、俺達に、可能性を指し示すように…」
霧が裂けたそこには確かに、青く澄み渡る空が広がっていた。
「…空だな」
「…下はどうだと思う? なら、ここは空なのかな」
「……もっちゃん」
「え、あ、うん」
「得意だろ?」
小学生の頃、川原で遊んでいる最中にモグラを5匹捕まえた実績の元、そのあだ名が付いた。中学生になって、それが恥ずかしくて堪らず、『あだ名を変える』よう注意し続けているのに、他の何も、定着はしていない。
正仁の言う【もっちゃん】に【宮本】は関係無い。【モグラ】のもだ。
クラウチングスタートのようなポーズから、彼女は全力で、腕を回した。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
「すげぇ…これが噂の…」
「見るなぁ初めてだぜ俺ぁ!!」
「モグラ! 頑張れ!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「モグラは雲も掘れるんだな…」
「でももし、穴が出来たら…」
「大丈夫だ。ちょっと距離を取って?」
「私はぁ!?」
「穴に入るのが君の役目だ。もっちゃん」
雲が裂けて、そこに穴が開く。するとそこに、小さく、小さく、余りにも小さい、街が見えた。
「今のは…俺達の町…?」
「間違い無い…。今一瞬、俺、京都の心を取り戻したもん」
「お前京都人だっけ…?」
「いや、ワテ岩手やねん…」
「ワテ岩手…。ちょ! 堪忍してぇ!!」
「アンタらえろぅ元気にお喋りしはりますわなぁ…。楽しかばいたぁ」
「何調子に乗ってんの宮本さん…」
「ガチギレの時だけ苗字さん付けで呼ぶのマジで止めてよ」
「いや、なんかもうフザけたもん勝ちちゃう?」
「俺もそう思えて来た。なんか、これ、夢じゃね?」
「確かにな…」
「もっかい戻って、寝てみる?」
「あはっ。ありかも」
そんな、能天気な言葉が、この周囲の霧を更に薄くした。
「皆の精神を現している」
それは、最後尾に居る5人の一角。一人の女子生徒が、ニヤッと笑った。
「集団で転移みたいな事をやったのはこの為なのかな。皆が落ち着きやすいんだ」
黒髪に、赤いメッシュを散りばめた、男児のようなショートカットの女子生徒だった。その一人を護るかのように、4人の男子生徒が、周囲に立つ。
「
怠惰で、自分勝手なくせに、良い家柄に育ち、良い教育の元、クラス、学年の中で常にトップの成績を走る5人組。クラスに所属していながら、クラスの輪の中に居ない、問題児5人組だった。
「動揺しないでよ。霧が濃くなるよ?」
物の言い方にモヤッとしながらも、その苛立ちが更に周囲の霧を濃くした事を察すると、彼女の言葉が事実であると知る。
「…先に進む。お前達は変な行動を取らないよう後方を歩いてくれ」
肩を竦めて「はいはい」とため息を混ぜてまた、歩を進める。
そうして、20分ほど歩いた時の事だった。遠くに光が見えた。まるで、出口のように。近付くにつれて少しずつ、遠くに青い空が見えたのだ。だから、皆がそれを求めて、走った。
「あ! みんな!!」
そこには、真っ白な石の、崩れた柱が並び、儀式でもするかのような台座に、水瓶が倒れている。もう長く使っていないようで、ひび割れ、使い物にはならなそうだ。こんな光景を、とある生徒が「神の荒廃都市」と形容する。そして、まるでそれが事実であるかのように、遠くに、未だ健在の、神殿のような建物が聳えている。
「……」
呼んでいるかのようだった。
「行こう…」
皆が頷き合い、少しずつ神殿に近付き、そして、その正面に立つ。予想よりも、ずっと小さいものだった。32名が横にならんて、両手の幅に手を広げると、丁度それくらいだろうかそのサイズの正方形の、2階建てだが、非常に、厳かだ。
「綺麗…」
その時だった。
「探検しようぜ?」と、階段の1段目に足を掛けたのが、5人を束ねる、リーダー的な女子生徒。
「ま! 待て! 何が起こるか分からない。もうちょっと様子を見よう」
「何が起こるか分からないのに此処で立ち往生? その方がよっぽどバカさ。俺が見て来てやるよ」
「チッ」
「お待ちください」
脳裏に響くような言葉が皆に届いた。そしてそれは、悠然空の真正面。神殿の奥から現れ、目と目を間近に合わせる。
「へぇ…?」
透き通るガラス細工のような金色の髪の毛を束ねる黄金のアクセサリー。真っ白な肌に、ピンク色の唇。綺麗どころか、綺麗すぎる美女が、両掌を組み合わせて、祈るように現れた。
「お下がりいただけますか?」
「ふんっ」
首を振って、壁に背を預けて腕を組む。
「私は【女神】。名はありません。皆がそう呼び、そう名乗っています」
「女神、ねぇ…」
「表の世界と裏の世界。我々はその門番となり、世界の入口を管理する者」
「管理」
「皆様の中に何名か、異世界の血を引く存在が、紛れ込んでいます」
「異世界の血」
「時々、入り混じってしまう事があるのです。異世界から来た住人が、そのまま定着し、血を繋いでしまう。我々はそれを防ぐ為に、【メビウス】を発動します」
「あの光りの事?」
「はい」
「誰の事? それ以外は帰れる?」
「…………………いえ…」
「ッおいおい。俺達は普通に暮らしてただけだぜ?」
「何様のつもりで管理なんてしてんだよ」
「普通に暮らしていたとしても、人は知らず知らずの内に人も、大地も空気も傷付けています。それは、産まれた瞬間であっても」
「じゃあ、俺らはどうなるわけ?」
女神は笑んだ。
「【異世界転生】です」
「で、た、よ」
「剣と魔法。冒険と出会い。地球では見た事がない新たな世界で、人生を謳歌する」
「良い事しか言わないね。まるで俺達を納得させようとしているみたいだ。俺はそんな甘い蜜には興味は無い」
「そう受け取ってしまうのも仕方がありません。ですが、我々は我々の選別によって人を此処に呼びます」
「大迷惑」
「帰れるの?」
「皆様が、使命を果たした時、きっとその可能性に気付く事が出来るでしょう」
「使命?」
「今の皆様と同じ。【精一杯生きる事】ですよ」
神を称する癖に、人間のようにニコッと笑った。だが、表面的にはとても冷たく機械のようでもあったが、人である事を忘れない為の、心の中に残された小さな抗いのようにも思えたという。それを隠す為かどうか、女神は背を向けた。
「どうぞ。中へ。異世界の門を開きます」
この時、全員が悩みながらも、もうどうしようもないと、決心していたようだった。
「……それも、楽しいかもね」
「お母さん、どう思うかな…」
「皆どうなりたい? 俺、冒険者になるわ」
「冒険者ってなんだよ」
「知らねぇのかよ」
「はぁ…。どうせ俺は、レベル0のままなんだろうな…」「追放。お前追放な?」「復讐しに行くからな」
「早く寝たい…。俺、寝るのがこの世で一番好きだからさ。温かい布団で早く眠りたいよ。もうずーーーっと眠りたい」
「私は異世界の本が沢山読みたい。もしも紙すらも無かったら作ってやるんだから」
「コオォォォォ…。俺は柔道しか出来ん!」
「ねぇ俺って影薄くない? すげぇ影薄いって言われるんだよねねぇ俺って影薄くない?」「お前名前なんだっけ」「小杉」「もう黙れマジデお前もうマジで」
「あーーーーーー…スライムとかになったら最悪だよなーーーー…。なりたくねーー…スライムとかに絶対、なりたくねーーーーわーーー…」
「そういや俺の爺ちゃん、古武術の師範代だったな…。へへっ。昔はよく本気でぶつかり合ったっけ」「初めて聞いたわ」「始めて言ったもんな」
なんかもう、皆その気になっていた。
ドシンッ!
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…
殺風景な神殿の中。その奥。巨大な扉が開かれた。皆がため息一つして足を進める。
「行こう」
「行こう皆。俺達はずっと仲間だ」
「俺達はずっと、決して、離れない。32名。皆で生きて行こう」
「うん。行こう! みんな!」
27名が、光の奥に消えた。
「……ん? 今、少なかったような」
パチッ。
薄っぺらい何かを床に置く、そんな音がして振り向くと、赤いメッシュの女と、男が向かい合っている。他の3人は上から見降ろし、ニヤニヤと笑う。
「召喚。【悪蛇帝 レッドパルス】」
「お、
「やったれ
パチッ
「【闇の語部 ハーミットシャドウ】」
「あ…あの…皆さんは…何を…?」
厚紙に書かれたイラストと、その強さを表す数値。それを出し合って強さを競う遊戯ですね…。どの世界にもある俗なゲームです…。
「じゃあ、攻撃だ」
「うわ早速! へっ。【シールド】を発動する」
「チッ」
「攻撃」
「大丈夫。それは受けるよ。ハーミットシャドウには温存しながら戦う」
「ていうかなんで悪蛇帝?」
「最近ハマってんだよ。カッコいいでしょコイツ」
「レアだよなぁ。俺も欲しくて剝いたけど、5箱開けても出なかったわ」
「単品買い」
「あ、それ?」
「んー。俺も全然出なくてさぁ…。ん、あ、
「吸われたて」「運をな。運」「蚊みたいに? ぷぅん?」「アハハハハハハ。殺すぞ
「狙ってたもんが無かった。買ってない」
「新弾は買うもんだぜぇ」
「てなわけで攻撃。あ、これを使うよ。【
「んー…。悩みどころだけど、いやぁ…落としたくないな…」
「あの!」
「え? 良いでしょ。カードゲームくらい」
「くらいって…」
思い出作りでしょうか…。まぁまだ少し時間はありますし…。
「じゃあ、お、良いの引いた。もう使っちゃうわ」
「なにぃ?」
「【
「ぐぅ! それは強いな…」
「…かまいれんとうじん…」
「? 女神、どうかした?」
「いえ。なんでも。あの扉が閉じる前には潜ってもらいます。少し力づくでも」
華舞連投刃…。なんでしょう。頭に残る。声に出して、言いたくなります…。
「よし。攻撃だ」
「これは…もうしょうがない…。良いよ」
「ッしゃあ」
「ふぅ。終わりましたか?」
「召喚。『アビスエッジドラゴン』」
「お、カッコいい」
「ん、カッコいい」
「わ、カッコいい」
「女神?」
「違います! あ、あ! カットしてください。そう言いましたから」
私は…女神…。異世界の門番。女神…。規律と秩序を守る要…。
「ふぅん」
「へへへへ。覚悟しろよぉ? 攻撃」
「べーだ。【ブラックミストシールド】」
「あぁ! もう!」
「………」
この人は随分と狡い事をします…。華舞連投刃…こんなの…かまいれんとうじん…。でも【火力】…は…。あのドラゴンが強い華舞連投刃…ようですね…。華舞連ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…頭から出てってぇぇぇぇ!!!
「攻撃したいところだが…。俺はこのタイミングで、【
「ぐああぁぁあ! 俺もうそれ嫌!」
「ん!」
この人! でも! でもでも!
「でもまだやれる!!」
「何か手が?」
「女神?」
「もう! 早く終わらせてください!」
「俺は此処で【紅蓮の炎】だ」
「お、なるほど」
「……」
なるほど。確かにそれなら次の攻撃は凌げそうですね…。
「でも、甘いんだよなぁ…」
「なにぃ?」
「【無力の魔法陣】!! 紅蓮の炎を無効化する」
「あぁ…」
これじゃあ、ドラゴンが…。ダメ…。胸が熱くなる…。こんな感情…知らない…。
「攻撃だ」
「負けないで!!」
「ぐわああぁぁぁぁぁ!!!」
「はぁ…はぁ…はぁ…」
なんでこんなに…。右手が震える…。疼いている…? 私が…? あの場で…勝てる妄想を…。捲りたい…カードを…私が…。
「くっ…ふぅー…うっ…くぅ…」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「あ、いえ…あの…。もう、終わり、ましたか? あ、それは、異世界に持ち込み不可なので、置いて」
「「「「「女神もやる?」」」」」
「…………。…………………………。やる」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…。
扉は、閉ざされた。
会社員 【
通算36連勤。総睡眠時間 怒涛の10時間という驚異の労働を終えたその日の深夜の帰り道。家までの距離、凡そ3kmの道のりをフラフラになりながら歩いていると、踏切がカーンカーンカーン、鳴り響いていた。無意識に足を止めたのは完全な条件反射だった。だが足を止めている内に、早く家に帰りたいと思うようになり、何故止まっているのか、限界に達した頭では、理解する事が出来なかった。
「なんで…行けないんだ…?」
カーンカーンカーンカーン、赤いランプが点滅している。ガタンガタンガタン、遠くから音が聞こえているが、理解出来なかった。
「行こ」
目の前にある障害物を越えて、出た時。痛みすらも感じる事は出来なかった。
「…此処は…?」
「どんじゃかじゃかじゃかじゃんじゃかぱーーーーーーん!!! ようこそ。【
美しい女性が両手を広げて迎え入れた。その女性を、その美しさから「女神」と思わざるを得なかった。
「女神? あぁそんな役職あったねぇ。私の
「デッキ…?」
「カードゲーム、しよ?」
「…………する」
あれから、時間の流れを忘れた天界はカードゲームによって栄えた。
何十年と時を経て、人が増え、物資が増え、建物が出来、人が住み、ルールが出来た。
百年十年と時を経て、国が出来、紙が出来、車が出来た。
そして何百年と経ち、カードショップが出来た。
人間の三大欲求は、【睡眠欲】、【食欲】。そして【カードパックを剥く欲】だ。これはマジだ。科学的にも明らかになっている。だがしかしこの【カードパックを剥く欲】は非常に依存性が高く、危険だ。これを知られると、廃人となって治安悪化を招くだろう。だからこそ、世界の権力者たちはこれを隠し、【デッキ構築欲】の次、【性欲】を繰り上げて流布している。これは陰暴論などでもない。マジな話である。
鯨は、カードパックを剥く欲の強いドスケベ女だった。
ピンク色で統一した家具に囲まれ、フワフワの絨毯の上に転がって、カードBOXをひっくり返し、その傍に横たわる。鋏で上部を切るなど邪道だ。背面からペリペリするのが常識である。
パックを剥けば6枚のカードが出て来る。新しい紙の質感と、艶のある光沢。そして、耽美なイラストを、鼻に擦り付け堪能する。
「んー…。あっはっ。きもちっ…」
そして、十数パックを剥いた時、中でも飛び切り光り輝くカードが現れる。
「おっほっ!! お゛!! ん゛お゛ぉぉ!!! えぇ…へへ…へへへへへへへへ? レアカード…当てちった…。わぁ…これは…あはは…。来月あるもんねぇ大会。それまでに隠してビックリさせちゃうぞー? 来月からこの国の王様…私かも…」
そんな妄言を吐く。その時だった。
ドシンッ!!!!
凄まじい地鳴りが起きた。こんな事は、向こう数百年と無かった事だが、懐かしくもあった。
ゴゴゴゴゴゴゴ…。
「なに!?」
立ち上がって身構え、部屋の扉に近付いた時だった。
凄まじい爆発音が、部屋の壁をぶち抜いた。熱い炎が天井を覆い、降り注いだ火の粉がカードを焼く。
「そんな!! 嘘!! カードが!!」
近付けるほど、ヤワな炎でも無ければ、もう使えるほど、カードは原型を留めていない。
「なにが!? 一体!!」
「逃げろ!! すぐに!!」
「誰か…誰かぁぁ!!」
死にゆく人の声が響く神殿の中で、響く音は、生物の咆哮だった。
ガアァァァァァァァ!!!
「!?」
そこに居たのは、マグマの身体を持つ龍だった。歩くだけで周囲を溶かし、空気に触れると黒ずみ、更に硬い鎧を纏う。
「そ…そんな…アレは…なに…?」
それは、視線の端に捉えた鯨に向けて、口を開いた。赤く、熱い炎が口内の奥に集まる。
「!?」
「【
赤い鱗を纏う蛇が、マグマの鎧に額をぶつけた。シャカシャカと尻尾を鳴らして威嚇して、猛毒を分泌する牙を大きく見せる。
「【
なんで…? 魂が…実体化してる…?
【王】たる、赤い外套を身に纏う彼女は蛇に跨り、現れた。
「
「平気じゃない!! 全然。私のカード…私の…カードが…」
「そっか。今持ってるデッキだけか…。悲しむのは後だ。逃げて!! 俺が道を作る」
「ダメだよ!! 一緒に逃げよう!!」
「…………」
前髪で隠した左目を見せた。それは赤く染まり、抉れてしまっているらしい。そして、外套を僅かに開いて見せるとその脇腹にも、深手を負っている。
「……総帥…」
「【
「え?」
「俺の名前。忘れてた? 俺のデッキを持って行って。俺の魂のデッキだ」
「魂の…そんなの…」
「命よりカードが大事だ。俺の魂を燃やさないで」
「…………空」
「【
鯨は走った。焼け焦げた神殿の、蛇が通った道を只管に。だがその正面に、もう一匹。
ギャアアァァァァァァァ!!!
甲高く鳴く鳥が雷を纏い降り立った。
「!?」
「【闇の語部 ハーミットシャドウ】」
ガコンッ ガコンッ 稼働する巨大な貝殻を持つ漆黒のヤドカリの背に乗るのは、シルクハットの男。鞭を弾き、鳥の頭部に傷を与えた。
「【
「鯨。ははっ。なぁにが起こってんだか…。知ってる?」
「知らないよ…。なんなのあれ…」
「俺らもよく知らん。鯨。これ。俺のデッキ。持って逃げて」
「……鎖は」
「あ…。ははっ。【
「…そんなことない」
「行け!!! 失くすなよ!?」
鯨はまた、走る。そして、そこは神殿の外。凄惨なものだった。ものの数分の出来事なのだろう。炎に包まれる人々は必死に抗うが、成す術も無い。
ギャリギャリギャリギャリ…
数百年の集大成。車を走らせる為のコンクリート道路を割りながら進む、黄金色の機械がある。両手に10本の銃砲身を持つ機械は、頭部の金色の目玉が鯨を敵として認識した。
「【
上空、マグマを宿す巨大な拳が、鯨の前に落ちる。
ダダダダダダダダダダダダッ!!!
火を噴いた銃弾が、マグマの中に溶けて防ぐ。鯨の肩に手を置いて、前に出る通称【
「ふぅ…ふぅ…」
「岩男…。もう、無理だよ…。逃げようよ…」
「【
「…でも」
「せめて逃げない!!!」
「重逸…」
重逸もまた、鯨の手にデッキを渡す。
「行け。全員纏めて、皆殺しやあぁぁぁぁぁ!!!!」
走っていても気付けた。巨大な豚のような生物が居る。それは血を流して倒れているが、誰かが、その下敷きになっている。
「……蟲…野郎…? 蟲野郎!!!」
火に焼かれる集落の中を掻き分けて駆け寄った。顔を持ち上げると、「う゛…う゛…」、僅かだが意識があるらしい。
「嘘…イヤ…」
「蟲野郎!!!」
そこに駆け付けたのは「【
「……蟲野郎…お前…クソ…クソォ…クソがッ!!!」
「鎖。ねぇ鎖!!! 何があったの?」
「よく分からん!!」
「だってカードが!! みんなだって!!」
「俺も分からんが、何故か出来たんだ。頼りになるのはカードだけだろ。だから、もう縋る思いで…したら…出来た…。俺もよく分からん。鯨。お前は逃げろ」
「嫌だよ!! 鎖も一緒に」
彼は必死に、無理をして、笑ってみせた。
「ッばーか。【
ブオオォォォォォォ!!!!
鼻息を鳴らす、巨大な猪が、前足を掻いた。
「おぉ来たな豚野郎。【
紫色の瘴気を纏う、紫色の着物の少女。刀を携え、舞うように敵を斬る。
「行け。鯨」
「でも…でも…」
「でも行け!!!!」
背中を押されるように、鯨はまた走るが、何処へ走れば良いのかも、まるで見当も付かないままに、ただ、走った。
「みんな…みんなばっかり…。私も戦いたい!! 私だって!! みんなと一緒に居たいよおぉぉぉぉ!!!! お願い!!! 来て!!! 【
白銀の鎧を纏う美男子。その声は、全ての者を癒し、邪を祓う。その力強い声を放つ。
その声が、雲を裂いた。
「きゃあ!!!!」
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