私はまた屋上を二人占めする

 時々太陽が流れる雲によって覆い隠されたり、また顔を出したりをする、そんな長閑な日。

 屋上の風は、今日も心地いい。


 予定調和。

 私はまた、コノトちゃんにお昼の誘いを受けて、階段を登り、ここにいる。

 予定調和。

 周囲には、私とコノトちゃん以外には誰もいない。生徒も、教師も。

 この瞬間だけは、私達の貸し切り状態。


「ね、ねぇ、コノトちゃん」


 私は、訊く。

 何かって?そりゃあ……。

 今朝の件でございます。


「殴られたところ、大丈夫……?」


 着飾る為の言葉も思い浮かばず、私はストレートに訊いた。

 朝はコノトちゃん、そのまま保健室に行ったもので、あまり会話らしい会話を交わすことができなかった。

 その後も、私とコノトちゃんは、別々のクラスな為、あの子の様子はあんまり分からないのだ。

 でも、その後一応、途中から午前の授業で合流したらしいことは耳に挟んだので、やっぱり私としては容態が気になるから、授業と授業の間の、10分の休憩時間にコノトちゃんのいるクラスへ足を運んでみた。

 けど、コノトちゃんの机の周りには、私以外にも心配するクラスメイトの子達がいたわけで、肝心のコノトちゃん自身の姿は見れなかった、し、周囲にいる子達を押し退けて、コノトちゃんに話しかけにいく勇気は、やっぱり私には無かった。その選択は、『非凡』だから。

 だから私は、このお昼休みの時間で、いつものようにコノトちゃんが話しかけてくるのをただ、待っていたのだ。

 ……なんとも、情けなく思える。


 そんな情けない私に対しても、コノトちゃんと言えば、女神様みたいな笑顔を向けてくれる。


「え~?私は全然大丈夫だよお!みんな心配し過ぎなんだから、も~。あ、それよりも!それよりもだよ!」

 コノトちゃんが私に詰め寄る。

「良子ちゃんの方が私は大心配だよ!本当に、大丈夫だった?」


 ……あの時、私はしっかりと、「大丈夫」って答えたはずだけど、この子ってばまた確認をしてくるのだ。

 だから私の答えは、一緒で。


「コノトちゃんのおかげ様でね……。全然平気だよ。あとさ、これ、『普通』は逆だと思うんだよね。怪我したの、コノトちゃんの方なわけじゃない?だからさ、本来なら私の方がいっぱいコノトちゃんのことをいっぱい心配する必要があるわけでして、逆に血一滴すら流してない私のことは、コノトちゃんは何も心配する必要がないと言いますか」

「そんなことないよ!」

 食い気味に、コノトちゃんは否定した。

「怪我してないだなんて言うけど!でもそれって、外面だけだと思うの!目に見えない痛いのだって、本当はあるかもしれないでしょう?」

「目に見えない痛いのっていうと……心の傷、みたいな……?」

「うん!それ!」

 ぶんぶんと、頭を縦に振るコノトちゃん。

「いやあ、それに関しても全然だよ、うん、本当に」

 これは虚構が混ざってる、けど。

 ……私だって、気を遣える人間だ。

 うえーん、怖かったよーう!なんてことを、身を挺して、怪我を負ってまで護ってくれた子には言えないよ。


 気を遣うっていう表現は、もしかしたらあまり正しくないかも。

 なんていうか、やっぱり『普通』っていうのは、あると思う。

 ここで私がコノトちゃんに甘えだすのは、『不自然』な気がする。

 これは、ひょっとしたら私だけの感性なのかもしれない。

 人によっては「全然甘えちゃえよ」なんて言うのかもしれない。

 でも、私はそうなのだ。

 私にとっては、ここでは弱みを見せたくない。

 見せるべきではない。

 決して、私のプライドを保つためだとか、そういう理由じゃなしに、『自然』の為に。


「ほんとお?」


 じーっと、コノトちゃんは円らな可愛いお目目で私の姿を、瞳の鏡に映してくる。


「ほんとほんと。……ほら、それよりも、お腹ぺこぺこりんだよ。だから、さ、食べようよ?時間は有限、タイムイズマネー、光陰矢の如し」


 私はそんな目とずっと合わせられるほど肝も太くないので、逃げるように話題を変える。

「あ、そうだね!ふふふ~!今日はね、良子ちゃんの為に、肉じゃがを作ってみたの!」

 新婚さん?

「そうなんだ。なんていうか、すごいよね。肉じゃがってさ、言うほど作るの楽じゃないじゃん。なのにこうしてさ、私の為に作ってくれているわけだけどさ……」



 去来する、今朝のコノトちゃんの姿。声。

 ……いつもの、朗らかで、柔らかで、誰にも優しいあの子とは、全くの別人みたいな、あの子。

 今まで─────と言っても、まだ彼女と出会って間もないんだけど─────見てきた彼女の、どの一面にも該当しない。

 どこか……冷気のような、いや凍気、という辞典に無い言葉の方が、もしかしたら表現としては正しいのかもしれない。

 ……私は、ここまで敢えて、触れなかった。

 あの時のコノトちゃんって、一体?



 そんな私の抱く感情も相まって、口はすらすらと進んでいく。


 私は、なんだか核心に触れる予感がした。


 でも、続ける。



「ずっと訊いてなかった気がするんだけどさ。コノトちゃんは、どうして私のこと、そんなに好きなの?」



 ちょうどいいタイミングに吹かれる、屋上の風。

 なびく、コノトちゃんの柔らかな茶色の長髪。彼女曰く、この色は地毛らしい。

 そんな彼女はというと。


「?」


 お目目をぱっちり明けながら、きょとりとしていた。


 これは、前々にも同じような感じのシーンがあったような気がするけど、それとはまったく別の雰囲気。


 前のこの顔は『当然のことを訊いてどうするの?』というものだったけど、今回のこれは、どちらかというと、言語化をしていなかったものに触れられて、頭が一瞬真っ白になっている状態、みたいな。そんな気がする。

 ……どうしてそんなことが分かるのかって?それは……ほら、そこそこの付き合いだからさ。みたいな理由、通るかな……?


「……どうして、だろう。うーん、確かに、考えてみれば、どうしてなんだろうね」


「…………」


 私は黙して、コノトちゃんの方を見ながら、傾聴する。静聴する。


 やがて、彼女の柔らかな、桜色と見紛うほどの唇が開かれる。


「やっぱり、『一目惚れ』だから、になるかも」


「一目惚れ……」


 『平凡』な理由のようで、そうでもないもの。

 一目惚れ。人が他者に対し、LOVEの感情を抱く、突発的な現象。

 言葉として定義されているのだから、現実に生きている、そこそこの人達にとってはきっと、ぴんと来るであろう単語。

 でも、私にはちょっぴし、あんまり、理解が届いていない。

 漫画でしか見たことのないものだから。

 ……まぁ、私がそもそもとして、恋愛経験がミジンコ程も無いのが要因として大きいのも、あるんだけれども……。


「うん、一目惚れ。まるでね、それはね」


 コノトちゃんは続けた。




「─────まるで、私の心臓を『撃たれた』ようなものだったの」




 ドキリ。



 私の心臓まで、今の言葉で跳ね上がった。


 熱い。汗が、じんわりと滲み出てくる、気がする。


 心拍数上昇。


 バイタルサインは、果たして正常か?

 ……こうして意識があるんだから、正常に決まっている。


 私は、狼狽した。


 私にとって、まさかここで『撃たれる』などという……『銃』に関連した言葉が出てくるとは、思わなかったから。


 私にとって、現在進行形で隠し続けているものなのだから。


 私にとって、『平凡』を一気に『異常』へ変える、開けてはならないパンドラの箱なのだから。



 それでも私は、好奇心で進んでしまう。


「……撃たれるって、どんな風に?」


「こんな風に」


 コノトちゃんは、腕をゆっくりと上げていく。


 私の方へと、手を伸ばすように。真っ直ぐと。


 人差し指を、私の胸元へと向ける。やがて、手首を捻り、掌を側方へと倒す。


 最後に、極めつけに、親指なんかを、曇りがかった晴れのお空へと向ける。


 『それ』を手に取ったことのない子どもでも、『それ』を模すために、自然と『そういう形』にするもの。



「ばきゅん、って」



 ─────今の私は、一体どんな表情をしているのだろうか。


 想像が、つかないかも。


 ただ、熱を孕んでいる。とても、熱い。


 屋上は涼風が吹かれているのに、それだけじゃあ発する熱を逃すのに、まるで足りない。


 首元なんかも、がちりと固定されているみたいだった。均衡が保たれていないのか、胸鎖乳突筋に無駄な力が入る。



 ……参っちゃったかも。



 少女漫画で、イケメンの男の子が、女の子の主人公に惚れた理由が『一目惚れ』だったら、私だったらなんだそりゃって、もっと凝ってくれよってなるのに、なったことがあるのに。


 今こうして、そんな風に言われたら……。


 この形で、この状況で、この……私に、そう言われたら。



 ……『自然』に、思えてきちゃうじゃん。



「なんだそりゃ」


 だから私は、せめてもの反抗で、冷笑的に、口端をちょっぴりだけ上げて、笑ってみせた。


「え~~~!?今の笑うところじゃないよう!?私なりに、頑張って言葉にしたのに!まだ私からの愛の言葉が足りないの!?欲張りさん!」

 ぷりぷりと、コノトちゃんはほっぺを膨らまし、眉尻を立てながら怒っちゃってる。

 これがまた可愛い。キュートだ。

「わはは、ごめんごめん、冗談だよ」

 私は、これ以上掘り下げようものなら、『ガチ感』が出ちゃいそうな気がするから、やめることにした。

 このチキンレースは、私の根負けだ。

 崖から落ちそうなギリギリのラインで止まっているわけじゃないと思う。

 全然もう、まだまだ発進できるだろうってところで、私はブレーキを強く踏んだ。


 そもそも、崖に向かって車を急発進させるだなんて、正気の沙汰じゃないしね。

 私は、『平凡』なのだ。

 余裕を持って、安全に、安心しながら、車を降りるとするよ。


「私はもう、十分コノトちゃん様からの寵愛を堪能した。だから満足。それと、『納得』もした」


 そうだ。

 私は、私なりの『納得』をしたんだから、それでいい。


 コノトちゃんは、そんな私の顔を、じ~っと見た後に。


「ん!そっか。それなら~……良し!だよ!」


 にっこりと柔らかに、子どもっぽく笑った。


 そして、コノトちゃんは両腕をいっぱいに広げて、私の方に伸ばす。


「じゃあ、ぎゅ~しよ!」

「いや、お弁当を食べたいですね」

「ええっ!?ぎゅうは!?」

「あとでね」

「むう、本当?約束だよ?」

「うん、約束約束」


 そんな感じで、私とコノトちゃんは予定調和の、お弁当タイムの為にベンチへと向かうのだった。

 きっと今日も、コノトちゃんお手製の、『魔法』の掛かった美味しいおかずを食べることができる。

 実は私は、この瞬間を楽しみにしてたりする。美味しいものには抗えないのだ。生き物なのでね。


 軌道に戻った。自分から逸れた道を、自分で修正する。

 とんだマッチポンプかもしれない。


「ねぇ、ところでさ」

「ん?」

 なんだろう?

「良子ちゃんは、私のこと、しゅき?」

 きゅるるん、な瞳で見つめてくるコノトちゃん。

「……」




「─────『好きLike』だよ」

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