第3話 俺の新しいバイト先が、友情と恋愛の激戦区だった件
01.
来斗には、誰にも譲れない夢があった。それは、アメリカでM&Aの資格を取得し、グローバルなビジネスの舞台で活躍することだ。
そのために必要な留学資金を稼ぐべく、大学入学以来、サークルにも参加せず、夕方から夜にかけてアルバイトに明け暮れる日々を送っていた。
彼が働いていたのは、地元の人気カフェだった。来斗の端正な顔立ちと柔らかな物腰は評判で、彼目当てに通う常連客も少なくなかった。しかし、店内の労働環境に疑問を持った来斗が店長に改善を申し入れたことをきっかけに、彼のシフトは極端に減らされてしまった。
「こんなんじゃ、やっていかれへんわ……。」
ついに見切りをつけた来斗は、カフェを辞めることを決意した。そして、新たなバイト先を探すため求人サイトをチェックし、人づてで情報を集める日々が始まった。
求人サイトでピンとくるものが見つからず、少し焦りを感じ始めた頃。ある日、大学への通学路で目に入った一枚のポスターが、来斗の目を引いた。
"スタイリッシュなスポーツバーで働きませんか?英語力に自信ある人大歓迎!明るい笑顔と元気な接客ができる方求む!"
その文言に、来斗は思わず立ち止まった。英語力を求められるバイトというのも珍しい。それに「スポーツバー」という響きに新鮮さを感じた。
「ちょっと面白そうかもな……。」
ポスターをじっと見つめながらそう呟き、来斗はスマホを取り出した。ポスターに書かれていた電話番号を入力し、通話ボタンを押す。数秒後、電話の向こうから快活な声が聞こえた。
「はい、スポーツバー『ラズベリー』です。アルバイトのご応募ですね?」
男性、おそらく同じ学生バイトだろう、の元気で明るい声。その一言に、来斗の中の不安が少し溶けていった。電話口で簡単な質問に答え、面接の日程が決まった。
通話を終えると、来斗は少し緊張しながらも、新しい環境への期待を感じ始めていた。
02.
面接当日、来斗が足を踏み入れたスポーツバーは、思った以上に洗練された空間だった。店内には大きなスクリーンがいくつも設置され、世界中のスポーツイベントが映し出されている。バーカウンターにはスタイリッシュな椅子が並び、自分と年の近いスタッフたちが笑顔で接客をしていた。
「電話くれた新人さんかな?今日は面接だよね?」
カウンターの中から声をかけてきたのは、穏やかな笑顔を浮かべた男性だった。その落ち着いた物腰に、来斗は自然と緊張がほぐれるのを感じた。
「はい、有坂来斗です。今日、面接で伺いました。」
「こんにちは。俺はここの店長だよ。こっちに来て座って。」
店長と名乗るその男は優しい笑顔で来斗を別室に案内し、簡単な面接が始まった。
「改めて、俺はここで店長している「渡会彰(わたらい・あきら)」と言います」
そういって、来斗に名刺を差し出して、柔らかな笑みを彼に向けた。
仕事内容や店の雰囲気について説明を受ける中で、どうして英語力が必要なのかという話題になった。
「うちは外国人のお客さんも多いんだ。スポーツ観戦が好きな人たちが集まるから、英語が話せると仕事がスムーズになるんだよ。」
「なるほど……それなら、僕も少しは役に立てるかもしれません。」
来斗は前向きに答えた。その表情に、渡会は満足そうに頷いた。
「それは頼もしいね。試しに何日か働いてみてよ。気に入るかどうかはその後で考えればいい。」
数日後、来斗はスポーツバーでの初出勤を迎えた。最初は不安もあったが、同年代の明るいスタッフたちや、常連客との気さくな交流の中で、次第にその場に馴染んでいく自分を感じていた。
「意外と悪ないかもな。」
そう思いながら、来斗は新しい環境での自分を楽しみ始めた。外国人客との英語のやり取りも、彼にとって刺激的な経験となり、自然とスキル向上にも繋がっていく。
「どうかな?ここでの仕事、少しは気に入ってくれた?」
渡会の問いかけに、来斗は素直に頷いた。こうして来斗の新しいバイト生活が幕を開けたのだった。
03.
図書館のいつもの席。来斗はノートパソコンを開きながら、静かな空間に集中していた。そこへ泰夢がやってきて、いつものように隣に腰を下ろす。
「なあ来斗、お前バイト辞めてんて?」
泰夢が突然話を振る。
「せやで。もう別のとこ行ってる。」
来斗は軽く肩をすくめた。
「そうなんや、なんてとこ?」
「ラズベリーっちゅうスポーツバー。」
「知らんなあ……。なあ! また今度遊びに行ってええ?」
「ええよ別に。」
「来斗の金で飲めるなんて嬉しいわ!」
「アホ、誰が奢る言うてん。」
泰夢は笑い、来斗もつられて笑った。会話の中にいつもの気楽な空気が流れる。それは二人にとってとても心地いいものだった。
来斗のバイト生活は順調だった。新しい環境に慣れるまでには時間がかかったが、店長の渡会や、同僚たちの支えが大きかった。
渡会はあらゆることに博識で、冷静で穏やかな性格だったが、時折見せるユーモアに来斗は親近感を覚えた。従業員や常連客からも信頼されており、その人柄がバー全体の雰囲気を形作っているようだった。
同僚の東田もまた、頼れる存在だった。来斗とすぐに打ち解け、冗談を交えながら協力し合う日々。そしてかつて働いていたカフェの、彼目当ての常連客も足しげく通ってくれるようになった。スポーツ好きの外国人客とのやり取りも増え、来斗の英語力も次第に磨かれていった。これらの出来事全て、来斗にとって満ち足りた毎日だった。
ある日、東田が来斗に真剣な表情で話しかけてきた。
「来斗さん、ちょっと相談があるんです。」
「なんや、急に改まって。」
東田の話によると、バーがオープンして2周年を迎える7月が近づいているという。そしてその記念日は、店長の渡会の誕生日でもあった。そこで東田は、常連客や従業員を巻き込んでサプライズパーティーを開きたいと考えていた。
「おもろそうやん! やろうや。俺も準備手伝うわ。」
来斗は笑顔で応じた。
それからの日々は、サプライズの計画に費やされた。飾り付け、料理の手配、招待状の配布――すべてがスムーズに進んでいく。渡会に気付かれないよう細心の注意を払いながら、当日を迎えた。
04.
パーティー当日、渡会が開店前に店に入ると、常連客や従業員が一斉に笑顔で迎えた。
「おめでとうございます!」
「彰さん、いつもお疲れ様!」
「今日は貸し切りなんで、仕事のことは忘れて思いっきり飲んでくださいよ!」
渡会は驚いた様子で立ち尽くしていたが、次第に穏やかな笑顔を浮かべた。
「…ありがとう。ごめんちょっと待ってて。俺も準備することあるから。」
そう言うと彼はスマホを手に店を出ていった。誰かに連絡を取っている様子だった。
宴が始まると、店内は笑顔と笑い声で溢れた。常連客たちは杯を交わし、従業員たちは肩の力を抜いて楽しんでいる。
「トンちゃん! ライト君! 飲んでますか~?!」
酔っぱらった常連客が来斗と東田に絡み、二人は苦笑いを浮かべながら対応する。
「始まったばっかやのにもうベロベロやないですか!勘弁してくださいよ!」
その時、店のドアが静かに開いた。
「えっ!? 誰この子」
「うそ、めちゃくちゃかっこいい……。」
ざわざわとした声が店内に広がる。その声につられて来客者に目を向けた来斗は、息を呑んだ。そこに立っていたのは泰夢だった。
「すいません、お邪魔します。」
泰夢は厳かに店内へと足を踏み入れた。その後ろには渡会の姿があった。
「えっ? この子、店長の知り合い??」
「うん、昔からの顔なじみでな。せっかくなんで呼んじゃいました。」
渡会は嬉しそうに笑い、泰夢は少し恥ずかしそうに俯いた。
泰夢の目が店の奥の来斗に向くと、彼は驚いた表情を浮かべた。
「なんやお前、渡会さんと知り合いやったんか。」
「うん、でも、ここで店やってらっしゃるのは知らんかってん。」
泰夢は渡会の隣に案内され、常連客たちと自然に溶け込んでいった。
「ねえ、君何か飲む?」
「普段どんなことしてるの?」
泰夢はその人懐っこい笑顔と軽快な会話で、あっという間に周囲の心を掴んでいく。そして親しげに渡会と会話を交わす。その様子を見ながら、来斗はどこか落ち着かない気持ちを抱えていた。
すると突然、酔っぱらった例の常連客が、泰夢にじりじりと近寄っていく。
「…君、ほんとかわいいね。」
まじまじと泰夢を見つめた彼は、にやりと笑いながら渡会の方を向く。
「彰さん、やるじゃん?」
その瞬間、渡会の表情が一瞬だけ揺れた。普段は冷静な彼の目に、動揺の色が垣間見えた。それは、何かを隠しているようにも見える微妙な仕草だった。
来斗はその様子に、胸の奥がざわつくのを感じた。その理由が何なのか、来斗自身にもわからなかった。
そして彼の横で、東田が何かを堪えるように渡会と泰夢の仲睦まじい様子をじっと見据えていることに、来斗は気づいていなかった。
05.
飲み会の片付けを終え、来斗が店を出ると、静かな夜風が頬を撫でた。ふと目を上げると、店の前で泰夢が立っていた。その姿に思わず驚く。
「一緒に帰ろうや。」
泰夢がにこりと笑う。
「お前、待っててくれたんか……ありがとう。」
来斗は少しだけ照れくさそうに応じた。二人は並んで歩き始め、駅に向かう道をゆっくりと進んでいく。
「しかしびっくりしたわ。お前がまさか、渡会さんの知り合いやったなんて。」
来斗が話を振ると、泰夢は少し考えるように視線を前に向けたまま答えた。
「中学の時からずっと、俺の家庭教師してくださっててん。」
「そやったんか。すごい偶然やな。」
泰夢はふっと微笑み、少しずつ渡会との過去を語り始めた。
「渡会さんてな、ほんま何でも知ってはるねん。」
泰夢の声はどこか懐かしさを帯びている。
「勉強のことはもちろん、スポーツのこととか、サブカルとかにも詳しいし。一緒に話しててめっちゃ楽しかってんよ。」
来斗は黙って、泰夢の話に耳を傾けた。普段はあっけらかんとしている彼が、どこかしっとりとした口調で過去を語る姿は新鮮だった。
「せやけど、俺が高校3年の時、一番大事な時期にやで? 渡会さんの夢やった自分の店やらんかって、恩人に頼まれて、家庭教師止めることになってん。」
泰夢はゆっくりと夜空を見上げた。その目にはほんの少しの憂いが浮かんでいる。
「…寂しかったわ。」
「そっか。」
来斗は短く応じた。それ以上言葉が見つからない。ただ、泰夢の率直な想いを受け止めることしかできなかった。
「…俺、渡会さんに憧れてるんよ。今でも、ずっと。」
泰夢が吐露したその言葉に、来斗の胸がざわついた。彼の瞳に宿るまっすぐな感情。それが渡会へのものだと分かると、何かを飲み込むような気持ちが広がる。
それでも来斗が何かを言おうとしたその瞬間、背後から甲高いクラクションの音が響いた。
「泰夢!」
見ると、一台の高級車が道端に停まっていた。運転席から顔を出したのは、泰夢の友人――いや、もしかするとそれ以上の関係かもしれない、菅原慧だった。
「迎えに来たぞ。家まで送るから乗れよ。」
慧の落ち着いた声に、泰夢はすぐさま駆け寄る。
「慧ありがとう! 来斗もついでに送ってもらっていい?」
慧は一瞬、来斗を一瞥し、小さく呟いた。
「別にいいよ。」
その短い返答に、来斗は少しだけ肩をすくめた。
「俺はええわ。もうすぐそこ駅やし。気使ってもらってありがとう。」
泰夢は少し不服そうにしながらも、車に乗り込む。そして、慧の運転する車は夜の闇に溶け込むように去っていった。
来斗は静かに立ち尽くしていた。泰夢の複雑な人間関係を垣間見たことで、胸の中に何とも言えないもやもやが広がっていく。
一方その頃、スポーツバー「ラズベリー」では、片付けを終えた渡会が常連客の一人と肩を並べて飲み直していた。祝賀会の余韻がまだ店内に漂っている。
「渡会さん、今日あのかわいい子呼んだのって――」
常連客が酒の勢いも手伝って、渡会を茶化すように顔を覗き込む。
「もしかしてみんなに、自分の『いい子』見せたかったんじゃないの?」
「……んなわけないだろ。」
渡会は視線を逸らし、ため息交じりに答えた。
「あいつが暇そうだったから呼んだだけだよ。」
その言葉は平然としたものだったが、その目は一瞬だけ何かを隠しているように揺れた。常連客は渡会のそんな様子を見ても、深く追及はしなかった。ただニヤリと笑いながら杯を傾ける。
泰夢と渡会、そして慧。それぞれの思いが、初夏の夜の静けさの中で交差していた。
来斗は胸のざわつきを抱えたまま、静かに駅への道を歩き始める。この感情が何なのか、まだ自分でもはっきりとは分からない。ただ一つだけ言えるのは、泰夢の存在が自分の中で思った以上に大きくなりつつあるということだった。
夜の空は澄み渡っていたが、彼らの心は少しずつ混じり合いながら、次の展開を待っているようだった。
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