第24話
テュオがこの家からいなくなってからは、平和で平坦で変化のない日々を過ごしていた。地上の様子を見に行こうとは何度も思ったが、未練は絶たなければならない。次に地上に出る可能性があるのは、テュオが俺を忘れた時か、もしくはテュオが寿命で死んだと確実に言い切れる時になってからだろうか。地上はどうにも感情を動かされすぎるので、あまり出たくもないが。
そして、ダンジョン最下層に引きこもる日々を過ごしたまま何年かが経った。
今日も目が覚める。起こしに来る人は誰もいない。ああ、孤独だ──
突如、音もなく部屋の壁が消える。
「……?」
いきなり壁が無くなった。
……ん?
自宅から外の草原が見える。え?
呆然としたまま外を眺める。
雷が飛んでくる。
当たると死ぬ。
「ぅうおおっ!?」
飛んできたのは殺意の塊のような、人を殺すのに十分な火力を持った魔法。いつも通り転移で回避……が、できねぇ!?なんでだ!?
どうにか身を投げ出し床に伏せる。頭の上を弾丸の様な何かが通り過ぎ、ガラガラと家が崩壊していく音が聞こえる。ああ、俺の家が……。
既視感のありすぎる魔法だが、威力が記憶のものとは桁違いだ。相当に殺意がこもっている。
地面に伏せた姿勢のまま顔を上げる。何もいなかったはずの景色が揺らぎ、姿が見えるようになった襲撃者が声をかけてくる。
「おはようございます、ご主人様。気持ちのいい朝ですね」
「……」
目の前にいるのは、銀の髪と獣の耳を持った少女。記憶に残る彼女と同じ……よりも、少し成長した姿だ。
幻惑魔法か?そんな魔法をかけられた覚えはない。記憶を読み取っての擬態?それを見抜けないほど感覚が鈍ったとは思えない。一体なんなんだ、さっぱり分からない。
「返事が返ってこないのはさみしいですよ、ご主人様。おはようございます」
片手に雷をまとわせながら、もう一度挨拶してくる。かつてどこかで見た光景だ。あの時はその魔法を向けられる対象ではなかったが、しかしこの魔力は本物だ。俺が育てたようなものなのだから、間違えるはずもない。
うん、もう認めるしかない。
「……久しぶり、テュオ」
久しぶりに見る彼女は、少し大人びていた。背も伸びたようで、今は可愛さと美しさを兼ね備えて最強に……じゃない。今はどういう状況だ?
相手を警戒させないようにゆっくりと起き上がる。周りにいるのは、テュオと同じ一族の獣人たちだろう。未だに姿を隠しているらしく、魔力でしかその存在を捉えられない。かつては魔法を使えなかったはずなのに、今ここまで成長したのか?いや彼らにここまでの魔力と練度はなかったはずだ。それこそ俺がテュオにやったみたいな抜け道のような方法でもなければ、こんな短時間での成長は……。
まさか、やったのか?いや、そうじゃないと辻褄が合わない。このダンジョンはそもそも魔法を使えない人間が生きて進めるような場所でもない。
……そういえば、何で急に即死級の魔法をぶっ放されたんだ?
「急に殺されかけた気がするんだけど」
「あれくらいで死んじゃうような人は私のご主人様ではないですよ。偽物です」
かつての可愛かった面影を残しつつも、迫力と風格をまとっている。これが時が過ぎるという事か。
しかし魔法をぶっ放したのは否定していない。まあそりゃそうか。今でも戦闘態勢を解いていないし。
ひしひしと嫌な気配を感じる俺に対し、テュオは笑顔のまま一歩距離を詰める。
「私、気付いたんです。ご主人様に勝手なことをさせると、私が困っちゃうなって」
「……テュオ?顔、怖いよ?」
「あの時私に教えてくれましたよね?不満があるなら自分で何とかしなさいって」
テュオから明確な殺意のある魔力が放たれる。正真正銘、このダンジョンを攻略しきった者の魔力だ。昔の貧弱な魔力とは見違えるほどのその姿に、経った時の長さを嫌でも感じさせられる。
しかしやろうとしていることに反して、テュオの表情はあの頃の面影の残る純粋な笑顔だ。いや実際、テュオに邪な心などないのだろう。彼女にしてみれば、自分の幸せを追い求めているだけなのだから。
「だから、今だけは。本気で殺しにいきます」
「おいおい、本気かよ?」
本気なんだろうな。テュオの周りの獣人も、その表情に迷いはない。
しかし、その戦闘態勢だけはいただけない。
「これから、あなたは私のものになります」
「面白いじゃんか。やってみろよ」
相手は数十人の軍勢、それら全員がこのダンジョンをここまで生きて進んでこれるほどの精鋭たち。
だからどうした。何年ここで生きていると思ってるんだ。ダンジョン暮らしを舐めるなよ。
結果──
「私の勝ちです」
「ずるくない?」
「でも勝ちです」
結果、ちゃんと負けた。
テュオは倒れた俺の上に馬乗りになって、両手を俺の首にかけている。テュオとはそれなりの時間を過ごしたが、今まで見たことのない笑顔だ。顔だけなら誰もが見とれる美しさなんだけど、いかんせん体勢がとても物騒である。手に力を入れるだけでも俺を絞め殺せるだろう。
一応、戦局は終始俺の有利に動いてはいたのだ。いくら人数が多いとはいえ、付け焼き刃の魔法に負けるほどやわじゃない。このダンジョンには、これ以上の数、質で連携を取って殺しに来る魔物も少なくないからだ。
状況が変わったのは、遠距離から攻撃してくる獣人たちを一掃するために高火力の魔法を使おうとした瞬間のこと。
その射線上に無理やりテュオが割り込んできた。遠距離で十分な被害を与えられるように撃とうとしていたので、至近距離で当たると死にかねない。そこまでするつもりは無いのでためらったところを、一瞬で制圧された。ちょっとずるくない?
「死んだらどうする気だったんだよ」
俺が撃たなかったから良かったものの、ちょっとでも遅れていたらテュオは消し飛んでいた。それに、テュオへの攻撃を躊躇しなかったとしてもテュオは死んでいたかもしれない。だというのに、テュオは迷わず飛び込んできた。今考えると、むしろそれを待ちかねていたような動きだったな。俺に殺されないという確信があったのだろうか。
「それならそれでいいんです。ご主人様に殺されるのなら本望です」
あ、確信があったわけじゃなくて覚悟が決まってただけみたいだ。それならもう仕方がない。
別に、俺もテュオに死んでほしいわけではない。彼女のためを思って地上に置き去りにはしたが、自ら会いに来るのならそれを止める道理はない。勝負を挑まれたからつい応戦したけど、話し合いで解決するのならそれでもよかったのだ。
「……負けは負けか。すごい人数だけど、何人連れてきたんだ?」
「60人です」
「まさか、全員連れてきたのか?」
テュオは小さくうなずいた。まじかよ。彼らも自分たちの暮らし、住処があるだろうに、それを捨ててまで全員がこのダンジョンを上から降りてきたのか……?
だから大人から子供までテュオと似た戦い方をしてきたのか。手ずから獣人族全体を軒並み鍛え上げたのだろう、恐ろしくなるほどの連携力だった。それで説明がつくほどの統率の取れ方ではなった気もするが。
しかしなんで急に60人と戦わされるはめに……。まあ、心当たりはありすぎるけど。
「俺、そんなにテュオを怒らせるようなことしたっけ?」
「はい」
はっきりと肯定された。地上に放置してきたの、そんなに駄目だった?
「ご主人様は、私の気持ちも考えずに、私を地上に置き去りにしました」
「いや、あの関係は──」
「ご主人様は、自分勝手な勘違いで、私を見捨てました」
「はい、すいません」
喋っている途中に割り込まれた。昔はそんなこと一度もなかったのに。表情も笑顔から真剣なものに変わり、より迫力が増した。間違いなくめっちゃ怒ってる。
まずい、首がだんだん絞まってきた。
「どうして、そんなに嘘ばかりつくんですか?」
「……嘘?記憶にないぐぇっ」
テュオがさらに体重をかけてきた。元々体重が軽いことに加えて手加減もしてくれているようだが、さすがにちょっと苦しい。
「転移魔法を教えてくれるって言ってたのに、教えてくれませんでした」
「そりゃ教えちゃうと、ここに戻れちゃうからな」
「壊れちゃったネックレスも、新しいものを貰ってないです」
「……ごめん。それは本当に忘れてた」
まずい、それはやっておくべきだった。新しいのを作る、と言った覚えが確かにある。
「自分もさみしいのに、さみしくないフリをして」
「……心読めたっけ?首振ってなかった?」
「許可がないのにご主人様の心を読むことはしないだけで、私だって感情ぐらい読めます!」
あー、あれはそういう意味だったのか。じゃああのときは無許可で心を読んだってことでは?……急に変なこと言い出したら正気かどうか確かめるぐらいはするか。
なるほどなぁ、と過去の出来事を今更ながらに理解していると、テュオの表情が急に曇ってきた。瞳から零れた涙が頬に当たる。
「私は、ずっと、会いたかったです……」
「ごめん、俺が悪かったよ、泣かないでくれ、頼むよ。もう置き去りになんてしないから」
「本当ですか……?」
「ああ。負けた以上拒否権はないし、もちろん拒否する気もない」
さっきまではどう地上に返そうか考えたりもしたが、泣かれた以上はどうしようもない。テュオに泣かれて追い返せるほど俺の心は強くない。
そもそもの話、ここまで来られた時点で追い返すことは不可能だ。この階層までに、転移魔法や空間を操作して戦う魔物は何匹もいる。それと戦えば仕組みは分かるし、仕組みが分かれば転移を覚えるのはそう難しい事じゃない。実際、仕組みが分かっているからこそ俺が転移で逃げるのを防げたのだろうしな。
「それに、俺もさみしかったからな。また会えて嬉しいよ」
テュオとまた会えたことで、俺も幸せ、テュオも幸せ、それでいいか。正しさなんて無理にこだわらなくてもよかったんだろう。
首の締め付けが緩んだと思ったら、テュオがそのまま倒れこんできた。ちょうど首筋に顔をうずめるような体勢だ。テュオの体温が直に伝わってくる。
「これからは、ずっと一緒ですから。ご主人様」
「ああ。でもその呼び方は変えような。一度勝敗の決まった俺たちに主従関係なんておかしな話だし、妙な制度の名残を残したくない。名前でいいよ」
「じゃあ、リットさん」
「……まあいいか」
若干固いが、これがテュオの性格な気もする。金で買った関係からくる名前よりもよっぽどいい。
それにしても……疲れた。60人から魔法が飛んでくるのを頭で処理するのは負担がデカすぎる。魔物相手なら力加減を考えないから好き勝手やれるし、そもそも強力な魔物の大群だったら搦め手で何とかするものだ。しかし急に襲われちゃそんな小細工をできる時間もない。弱い相手なら集団でもどうとでもなるが、ここまで下りてこられている猛者集団、弱い訳がない。出来ることなら二度と戦いたくない相手だ。
ふと、テュオの耳が目に留まる。リング状の金具に小さな宝石があしらわれたアクセサリーだ。かつてはそんなものを身に着けてはいなかったが、この姿もよく似合っている。
「イヤリングか。似合ってるよ」
「これはアンバーさんに頂いたものです。服もアンバーさんに用意してもらったものですよ。ごしゅ……リットさん、アンバーさんにもう一度あの店に来るように言われていたんですよね?その前にいなくなっちゃいましたけど」
「……忘れてた」
「別の服も作ってくれるみたいですから、また一緒に行きましょうね」
「ああ、そうしようか」
怒られるのかな。怒られるんだろうなぁ……。
前回テュオの種族をバラさなかったのはちゃんとした理由があったけど、今回のはちゃんと忘れてたからなぁ。ちょっと行くのが躊躇われるが、仕方ない。
少し離れた場所から足音が聞こえてくる。無理やり首を動かして視線を向けると、近づいてきたのは見覚えのある人だった。
「お疲れ様です、リットさん」
「どうも、テュオのお母さん」
前にあったのは体感で言えば大昔なので、名前も覚えていない。
「あなたはいつ私の名前を覚えるんですか?カイラです。覚えてください」
「すんません」
いい加減、テュオ以外の名前もちゃんと覚える必要があるな。今まではどうせ関わらなくなるからって理由で、真面目に覚えるつもりもなかったが。
「あなたに頼まれた通り、テュオの事は正しく導きましたよ」
頼まれた……って。
「『後を頼む』って、そういう意味じゃないっす」
「知っていますよ?あなたがテュオとの関係を負い目に感じていたから、一度こうしないとテュオと話し合えないことまで、全部」
ひぃ。しっかり心を読まれている。
そういえばさっきの戦闘中も、俺が移動しようとした先に淡々と攻撃魔法を置き続けていた。そこに行こうと考えるより前に攻撃を飛ばしていたから、もはや心が読めるってレベルじゃない。未来の思考を読むってことなんだろうか?いったい何をしたらそんな技術が身につくのやら。
「経験の違いですよ」
考えていることも全部バレているようだ。この人には逆らわないようにしよう。
「さて。後の事はお二人で話し合ってもらうとして、私たちは帰りますね」
「あー、地上まで送りましょうか?」
「お構いなく。ここに来るまでに覚えてきてますから」
カイラさんは呼び止める間もなく、大勢の獣人と共に地上へと転移していった。ああ、やっぱり覚えてたか。
普段はこんな大人数が集まることのない自宅から、獣人たちが帰っていく。残されたのは地面に寝転がる俺と、その上に乗っているテュオだけ。獣人たちの会話がなくなったせいで急に静かになったように感じる。
そろそろ戻って家を直さないとなぁ、と考えた瞬間にテュオが起き上がり、手を差し伸べてくる。少し大きくなった手と安定した体幹、そして何よりも俺に手を貸すというその行為自体に、過ぎた時間の長さを感じる。
人は変わるものだ。これからは俺の生活も変わるのだろう。
「……帰るか」
「はい!」
まあ、こんな生活も悪くはないか。
「……それと、リットさん」
「なんだ?」
「私は、あなたを逃がしませんからね。永遠に」
……ん?
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