第22話
燃える焚火が辺りを照らす。焚火といっても小さいものではなく、広範囲を照らせるキャンプファイヤーぐらいには大きく明るい火だ。その光に照らされた人々は、座って話し込んでいたり夫婦らしき関係の二人が踊っていたりとそれぞれが思い思いに過ごしている。飯や酒に夢中なものも多い。平和を絵にかいたような光景だ。
俺はテュオに連れられ、獣人たちの開催する宴に招かれていた。人間が入っていいものかと聞けば、獣人たちを治療した恩人という立場での参加だから大丈夫らしい。それでもほとんどの獣人とは面識がないし、嫌悪とまではいかずとも困惑した目で見られることも多いので若干の疎外感を覚えてはいる。そりゃそうだよね、ほとんどの獣人とは面識がないし。
テュオは俺のそばを離れたがらなかったが、彼女は彼女で何人もの獣人に話しかけられていた。他の獣人との関係は、彼女が中心となって獣人たちを引っ張っていた過程で大半が改善されたらしい。こっちはいいからと、ひとまずは喧騒の中心となっている場所に送っておいた。彼女に味方が増えたのは嬉しい事ではあるが、少し寂しくもあるな。こっちに注意を払う暇はしばらくなさそうだ。
静かに立ち上がり焚火のそばを離れる。
あの後、奈落に派兵されていた騎士団は国へ帰り、あっちの情勢は落ち着いた。獣人たちも荒らされていた元々の住処を数日で取り戻した。破損していた部屋や家具などもテュオが魔法で修復したから、獣人たちが元の生活を取り戻すのに時間はかからなかった。
盗賊たちにも生き残りがいる可能性は十分にあるらしいが、それでも獣人たちが襲撃され危害を加えられる可能性はもうないだろう。テュオもいることだしな。
後は、最後に残った仕事をこなすだけだ。
「なあ、そこのお前。どこ行くんだ?」
「あ?ああ……魔導士さんか。どうした?道に迷ったか?」
声をかけたのは、夜の闇に紛れてどこかへ行こうとしている獣人の男。話したことはないが、この男は明確に目立っていた。奇妙な魔力がその身に染みついていたからだ。
「聞きたいことがあってさ」
「なんだ?」
「お前、盗賊と戦ってる間、どこにいたんだ?」
「どこって……森の中だ。奇襲と情報収集の役割を担っていた」
困惑と疑問を含んだ声音、表情、仕草。そこに嘘をついているような兆候は一切なく、その反応は全く予想もつかない事を聞かれた時のものにしか思えない。ポーカーフェイスの上手い男だ。
その身に魔力を纏っているんじゃあまったく意味がないが。しかも、その魔法は過去にテュオにかけられていたものと同じもの、つまり隷属だ。しかし獣人は魔法を使えない。どう考えても異常な事態なので、わざわざ調べたということだ。
「魔法はある程度慣れれば、過去が分かるんだよ。かなり魔力を使うから、あまりやらないんだけどな」
「……だから何だ?」
「ずっと不思議だったんだ。テュオの話によれば、この広い森で、獣人たちが集まっている場所にしょっちゅう襲撃が来ていたらしい。魔法で位置を知られているかもなんて考えてたらしいが、あの盗賊たちも騎士たちも、そこまでの高性能な魔法を使えるようには思えない。ただの人間ならまだしも、魔力をほぼ使わない種族だからな。ウサギと大して変わらん魔力量の生物を探し出すのは、あの人間たちのレベルじゃ無理なんだよ」
「……何を言っているのか分からないな。用がないなら、俺はもう──」
彼が何かを喋る前に、存在をこの世から消した。その髪の、血の、肉の一片すら、土に還る事すらもなく完璧にだ。死体すら残してやらない、そう決めて俺はここにいる。
本当は、その口からどんな言い訳を吐くのかのか気になってはいたんだが……不愉快になってしまったのでやめた。真実は分かっていたし、あとは適度なタイミングで存在を消し去るだけのこと。
過去を調べた結果、最初にこいつが盗賊に捕まり、見逃される条件として獣人たちの情報を売り渡していたことが分かった。隷属魔法で強制されたならば情状酌量の余地があるかなぁ、なんて調べてみれば、先に話を持ち掛けていたのは彼の方だった。それを見逃すのは流石に無理だ。
しかし、盗賊相手にその口約束が守られるとでも思っていたのだろうか。バカなの?
「……帰るか」
しばらく離れていた俺に疑問を持つこともなく、宴は未だ賑わいでいた。俺は相変わらず喧騒から離れ、魔法で作られた綺麗なベンチに一人さみしく座っている。
自宅から持ってきた酒やジュースをちびちびと飲んでいると、焚火の周りで話していた人々から一人離れて俺のほうに向かってくるのが見えた。テュオではないが顔立ちの似た美人さんだ。テュオの母親だっけな。名前は……名前、聞いたっけ?
「リットさん、お話よろしいですか?」
「どうも、テュオのお母さん。いいですよ、見ての通り暇なんで」
「あなたの家にいた時、娘はどうでしたか?何か失礼なことをしませんでした?」
「……んん?」
友達の家に娘を預けてたみたいなノリで話をされてる気がする。自分、あなたの娘さんを奴隷として買っちゃった人間なんですけど。むしろ、奴隷として買ったのだから、失礼なんてものはない。隷属魔法は命令すれば何でもいう事を聞かせられる魔法なのだし、それを自分から解除した以上は彼女の行動に文句を付けるつもりもない。嫌なら最初から奴隷のままにさせておけという話だし。
「真面目でいい子でしたよ。勉強熱心で、才能があって頭もいい。失礼なんてなかったですよ」
家庭訪問かよ、と思ってしまうような返しになってしまった。やってることは教師みたいなもんだったし、間違っちゃいないか。
「そうですか。それは良かったです」
「お母さん?変なこと話してないよね?」
母親が俺と話しているのを見て、テュオもこちらに寄ってきた。そりゃ気になるか。
「あなたが迷惑かけてないか心配だったのよ。優しい人でよかったわね」
「うん」
母の隣ではなく迷わず俺の隣に座ったテュオが、返事をしながら耳を寄せて「お母さんの名前はカイラだよ」と小声でささやいてくれる。俺の記憶力の弱さを理解してくれて非常に助かる。覚えてもすぐ死ぬだろう他人の名前は、いまいち覚える気にならないんだよな。
「そういえば、デレクはどこに行ったか知りませんか?」
おっと、いきなり核心に迫る質問だ。流石にちょっとびっくりだな。
「あんたらの仲間の事なんて知らないな」
これは真実だ。あれは獣人たちにとっても俺にとっても仲間ではなく、敵だったのだから。しかし、カイラさんの心を読む能力とやらが何もかも見通せるというのなら、それも含めて見抜かれているんだろうか。それならそれでいいけど。
「そうですか」
それ以上の追及もなく、カイラさんはその一言だけで会話を終わらせた。心を深くまで読める訳ではないのか、あるいは深くまで読んだうえで追及が不要だと判断したのか、どちらにしろありがたい。テュオに余計な責任を背負わせるつもりはないので話すことはなかっただろうし。
「テュオ。リットさんのお家に戻っても、あまり迷惑かけちゃだめよ?」
「はい」
カイラさんはテュオが今後も俺のところで生活すると思っているのか、そんな話をしている。
しかし、俺にそのつもりはない。
「その事なんだけどさ。テュオはそろそろ、みんなのもとに帰るべきだと思うんだ」
「……え?」
テュオは何を言われているのかわからない、というような顔で俺を見る。
「俺はテュオを奴隷として買っただろ?その意味では、俺も奴隷制度の利用者だ。せっかく盗賊たちを殺してこれ以上捕まることがなくなったのに、俺たちがその関係を引きずるべきじゃない。本当なら、こんな関係は生まれない方が正しいんだ。歪んだ上下関係なんて捨てて、森で仲間と平和に暮せばいい」
「……で、でも……」
「それに、テュオが俺の家にいたのは帰る場所がなかったからだろ?俺の家にテュオが必要なわけじゃないし、帰る場所が見つかったのならそこに帰るべきだ」
こちらから見捨てるような言い方によほどショックを受けたのか、テュオは黙ってうつむいた。うつむいて涙を流すその光景は、心が痛まないといえば嘘になる。
だけど、これでいい。一時的には落ち込むことになるだろうが、信頼の置ける家族も仲間もいる。俺の役目はここで終了。テュオはまだ子供だ、今からやり直すことだっていくらでもできる。奴隷なんて過去は忘れて、ただの少女として生きていけばいい。自由に生きていくための力は、もう十分に与えた。むしろ、そのために色々と教えたのだ。
テュオにはテュオの、俺には俺のいるべき場所がある。
「……じゃあ、俺はもう行くよ。カイラさん、後はお願いします」
「ええ、分かりました。万事任せてくださいな」
この人は心を読めるようだし俺の感情もバレていそうだけど、テュオには黙っていてくれるだろう。それがテュオのためになる。
テュオの表情は、俯いてしまって見ることができない。最後に頭を撫でてから帰ろうとも思ったが、これ以上この場にいたら戻れなくなりそうだ。
「元気でな。これからは、好きに生きろよ」
名残惜しい感情を振り切るように、自宅へと転移した。
テュオには転移を教えていないので、追ってくることはできないだろう。ここはダンジョンの最下層、簡単に会いに来れる場所じゃない。もう彼女と会うことはない。
テュオのいなくなった家はひどく寂しく思えた。テュオは獣人としての生活へと戻り、俺も長年続けてきた日々に戻った。全てが元に戻り、異常な生活が終わったのだ。
きっと、これで正しかったのだ。そう信じたい。
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