第21話
時刻は夕方、カーテンを開けば多少は明るくなるはずなのに部屋の中は薄暗い。部屋の奥には、椅子に腰かけ揺らめくろうそくの火に照らされる一人の老人。
彫りの深い顔つきには多くのしわが刻まれ、その頭は白髪でおおわれている。王としての正装なのか、その身には豪奢な服装と王冠をかぶっている。自分の部屋でも王は正装するものなのか?お世辞にも快適に過ごせる服装だとは思えないが。あと本人の見た目が死にかけの老人だから似合ってない。
暗い室内、ぐったりとソファに腰掛けながらどこか遠くを見つめるその姿は、一見身の終わりを待つだけのよう……だというのに、侵入者に気付いてぎょろりとこちらを見たその目には強い執着の炎が宿っているように見えた。
「国王陛下」
執事に守られながらも、王子が国王に近づいていく。ずいぶん無警戒に近寄っていくけど、本当に大丈夫か?
「あなたはもう、王ではありません。意味は分かりますね?」
「……王とは、永遠でなければならぬ。私は、永遠となる」
「永遠などありません、父上。あなたには、我々の指示に従い、王の座を退いていただきます。従わないならば、力ずくで連れ出すことになりますよ」
「……ああ……愚かな」
王子が『父』と呼んでいるから家族として接しているようには聞こえるが、悲しいかな会話が微妙にかみ合っていない。国王は話を聞いているのかいないのか、王子のほうを見ようともせずにぼそぼそと呟いている。
「父上。私も手荒な真似は……なんだ!?」
しびれを切らした王子が国王に一歩近づいたとき、王子の足元が赤く光る。魔法陣か。間違いなく安全なものじゃない。特に、戦闘力の低そうな王子にとっては。
執事が王子を守るように間に立った。戦闘もこなせるとは言っていたが、雰囲気から見るに今回ばかりは相手が悪そうだ。肉壁ぐらいにはなれるかな?
直後、王子と国王の間に肉の塊のような魔物が出現した。いや、魔法陣から生えてきた、という表現のほうが近いだろう。
うん、こりゃ無理だな。執事の持ってる剣だといくら何でも相手が悪い。剣のサイズがそもそも足りていないから殺しきるには十数回は切る必要がありそうだが、それより前に魔物にぶん殴られてお陀仏だろう。という事で。
「ほい回収」
「……すまない、助かった」
ここで死なれても後味が悪いうえに話の通じる相手がいなくなりそうなので、王子と執事を横に避難させておく。遠隔で守る方法もないではないが、当然近い方がやりやすい。
「戦力はあんまりないって話じゃなかったっけ?」
「すまない、まさかこのような手段に出るなど思いもしなかった。明らかに自殺行為だというのに、それすら理解できていないとは。それで、やれるのか?」
「当然だ」
赤黒い肉の塊のような見た目、魔力の波長から見てもテュオを襲っていたものと同種の魔物だ。室内で動かせるように調整しているのか前よりも小さいが、それでも部屋には収まらないようで天井にぶつかって窮屈そうに身じろぎしている。罠として仕掛けるならもっと適した魔物がいたんじゃないかな……ああ、平たくなれるのね。何か骨や骨格のようなものを肉が覆っているんじゃなく、そのまんま肉が本体なんだろう。まるで肉のスライムだな。どっかの物語にいたよな、こんな奴。
しかしテュオの話によれば、死体を吸収して発動する魔法だったらしいが、この部屋にそれらしきものはなかった。じゃあ何で魔物を呼び出せたのか……まあ、最初から床に大きめの魔力があったから、死体を消費して魔力を蓄えた後だったのだろう。王子をすぐに避難させられたのもそれが分かっていたからだし。
王子によれば、王城の魔術師が獣人を実験に使っている、なんて話もしていたらしいが、なるほど確かに獣人の魔力の残滓をかすかに感じ取ることができる。何をやったらこんな事になるのか尋問する必要があるが、この王には無理だな。だって、目がもう虚ろだし……。
後ろでテュオも戦闘態勢に入っている気配がするが、俺一人で済むので手で下がるように示しつつ肉の魔物に攻撃する。
肉の魔物を炎で包み、完全に消えるまで燃やし尽くす。さっきは楽して物理攻撃にしたが、今回は力押しでの焼却だ。魔力の通りが悪くはあるが、通らないわけじゃない。ちょっと手間がかかるだけ。
発声器官がないのか、肉の魔物は静かに燃やされ続けている。
「……炎を使うのは、珍しいですね」
「そうかもな」
そこまで使う魔法にこだわりがあったわけじゃない。元が獣人の可能性があるから、何となく火葬を選んだだけだ。肉体は魔法で出来ていたから、別に灰が残るわけでもないんだけどな。
「…………ァ……」
国王は声にもならない声を上げながら、呆然と炎を見つめている。しばらくして、さっきと同じように肉の魔物が跡形もなく消えた。
見たところ隠し玉ももう品切れのようだし、国王の処理を考えないとな。
「もう何も用意してないみたいだけど、どうする?殺してもいいぞ?」
「……いえ、必要ないです」
「そうか」
そう語るテュオは複雑な表情をしていて、耳もどことなく元気なさそうに伏せている。自分に危害を加えたはずの人間が、今にも死にそうな気の狂った老人じゃあやるせない気持ちにもなるか。テュオに多くを話したわけじゃないが、話の流れからして寿命が迫ることを恐れただけの老人だというのは分かってしまっただろう。
「なんだか、疲れちゃいました」
「分かるよ」
しかし、死にかけの老人とはいえ罪が許される道理はない。むしろ老い先短い者だからこそ、若者に危害を加えるのはもってのほかなのだ。死を以て償ったとしても、生きて償うとしても、等価とはならないのだから。
つまりはそう、必要なのは罰だ。
「よし、決めた。俺がちょっとだけ話してもいいか?殺しはしないからさ」
「構わないが、話は通じるのか?私が言うのもなんだが、実の息子を殺そうとする相手だぞ?」
「ああいう相手にはそれなりの話し方ってのがあるもんだから、いけるだろ」
精神操作魔法というのはそこまで習熟しているわけでもないが、それでも思考力を鈍らせる魔法ぐらいは使える。もう必要もなさそうだけど。
未だに感情の読めない目で火を見つめている国王にそれを使いつつ、自身の姿を変えていく。翼を生やすのはやりすぎか?宙を浮くぐらいに留めておこう。服装は白い布一枚に変えて、髪色も白く変えておくか。昔に神様を見た髪は白髪だったしな。あれは俺の老人イメージが具現化しただけな気もするが。
んで、国王の名前は何だったか……ああ、ゼレイね。覚えてないというか、聞いたことすらなかったかも。
「カルカンの王、ゼレイよ。我がもとに跪け」
かくして出来上がったのは、天から登場する、神っぽい見た目をした男である。本物を見た頃があるのでどうせなら実物を、とも思ったが、本当に神の見た目を模倣したら罰が当たりそうだ。あの神はあまり現世に干渉しないなんて話をしていたから、これはただの自己満足だ。
俺の声に反応した国王は、驚いたように目を見開き、すがるように椅子から転げ落ちながら跪いた。
ちなみにこれは判断力の低下した老人に魔法をかけたゆえの成果で、現に後ろのテュオと王子が跪いている気配はない。どちらかというと急にどうしたこいつ、程度に思っているだろう。浮いてるだけの不審者だな。
さて、話をどう続けていくか困る。神っぽい話し方とか知らねぇ……適当でいっか。
「これを見ろ。何かわかるか?」
手に持ったのは自宅の倉庫から持ってきた薬。以前、テュオと家の片づけをしていた時に見つけたものだ。
「……」
「不老不死となれる薬だ」
「……な、なんと!御使い様!それを、私に──」
国王は座ったままにじり寄ってくる。そうか、神じゃなくてその使いだと思われたか。神の使いという解釈は、この体自体はあの本物の神の爺さんに作られたものなので意外と嘘でもなかったりする。神に何を命じられたわけでもないので、本当でもないのだが。
ともあれさっきまではどこを見ているかも分からない目をしていた国王は、狂気と懇願がないまぜになったような瞳で俺の手に浮かぶ薬を凝視している。急に会話が通じるようになったのは、神っぽい相手を前にしてに正気を取り戻したからか。残念、この手の上に乗っているものはお前が望んだものではないが。
当然、渡すはずもないので国王を遮って話を続ける。
「ただこれは若返りの薬じゃない」
同時に、手のひらに浮かべていた薬を自宅へと転移させる。国王からすれば、喉から手が出るほど欲しかった薬が、手のひらから消失したように見えたことだろう。
しかし、実際あの薬がもたらす効能は、国王が欲したものではなかっただろう。あれの効果は年を取らなくなるだけ、不老の効果で体が若返るわけもなく、老衰で弱った体のままだ。不死の効果もないので下手をすればそこら辺の石に躓くだけで死ぬ可能性もある。死の恐怖におびえる生活は変わらないのだ。
ちなみに若返りのほうは薬ではなく魔法で実現できる。教えないけど。
「今更お前がこれを飲んだとて、その老いた体のまま永遠を生きることになる。若返る薬なんてものはないんだよ」
「……な、なぜ……」
なぜ、そんなものを見せたのか、かな?なぜもっと早く渡してくれなかったのか、という意味かもしれない。
「お前は罪を重ねすぎた。見捨てられたのだよ。お前は、その古びた体で、一歩ずつ迫る死に怯えながら一生を終えるのだ」
神を騙ると罰が当たりそうなので、『誰に』見捨てられたかは明言しない。一応、神を敬う気持ちぐらいは俺にだってあるのだ。
「…………」
国王は徐々にその言葉の意味を理解していき、脱力するようにうずくまる。頭に載せていた王冠が床に転がるが、それを取り戻そうとすらしない。ただ浅く息を繰り返すだけだ。
王子は父を殺したくはない、とは言っていたが、こちらとしても都合がいい。簡単に死なれちゃ困るからな。各方面に迷惑をかけていたのだろうし、生かさず殺さずのこの対処が、ちょうどいい落としどころじゃないだろうか。国王の精神は粉々に砕かれてしまって、もう逆らうどころか何かをするという気力すら失われただろう。王子の心情は別として、この国はこれで平和になったという事だ。多分。
もういいぞ、と王子に一声かける。傍に来ていた兵士二人が力なく崩れ落ちる国王へと近づいていき、肩を貸しながら連れ去っていった。国王レベルに偉い人間も、こうなってしまえば酔っ払いと扱いが変わらないな。なんか新鮮な光景だ。
自分の姿を元に戻し、王子とテュオの元へ戻る。二人とも喜びとも悲しみともつかぬ微妙な表情をしているが、テュオの方は思ったよりも機嫌がよさそうだ。思う所は色々とあるんだろう。
「やりすぎだったか?」
「仕方あるまい。それだけの罪を犯してしまった人だ。……それで、どこまで本当なんだ?」
「全部嘘だ。相手はおかしくなっちゃった老人だからな、姿さえそれっぽく見せればこんなもんだ」
「……そうか」
本当はあの薬については嘘じゃないんだけどな。別に偽物を持ってきてもよかったが、どうせなら真実味を持たせたかったから使っただけだ。
王子は地面に転がった王冠の元まで歩いていき、それを拾い上げて表面を拭い、頭に戴せる。実際に王子にその王冠の所有権が移るのは、国が開く王位継承の儀式で王子の頭にそれが乗った時らしい。大々的に式典を開くことで国民に王が変わったのだと印象付けることができるそうだ。
だから今ここで被ったところで何かが変わるわけでもないが、これも王子なりの決意の形なんだろう。少なくとも、凶器の目をした老人よりははるかに似合っているように見える。
「あー、そうだ。あれでよかったのか?テュオが不満なら──」
「いいんです。それに、悪いことばかりじゃなかったですよ」
「そうなのか?」
「はい。だって、ご主人様と会えましたから」
「……どうかな」
俺と会えてよかった、という感情自体、あの国王のせいで生まれてしまったものなんじゃないだろうか。例えばテュオが奴隷になることなく俺と出会ったとして、そこに喜びも何も生まれるはずがない。今のこれは、あるべき形ではない。いつかは、解決しないといけないことだ。
王子はこの後事後処理に追われるだろうが、その処理にテュオに危害を加えたやつらへの制裁も盛り込んでもらおう。幸い、王女を治した報酬は保留にしてもらっている。それを使えば動いてくれるだろうし、動いてくれなかったとしても名前だけ教えてもらえれば十分だ。
やりすぎた国王へのお仕置きも果たしてついでに王子……次期国王への恩も売った。テュオの種族の問題もテュオが解決した。これですべてが丸くおさまった……ああ、一つだけ残ってたが、それもすぐに終わる。一件落着というやつだ。
「じゃあ、俺は行くよ。テュオも来るよな?」
「はい」
「早いな……とはいえ、こちらも事後処理が山のようにあるからありがたいのだがな。今回の件が落ち着いたらここに来てくれ。総力を挙げて歓迎しよう」
「そうするよ。じゃあ──」
またな、と言いかけてふと違和感を覚えた。何か忘れているような?
「そういえば、閉じ込めていた人たちはどうするんですか?」
「ああ、それだ」
あっちの森にはこの国の騎士団を閉じ込めているんだった。無遠慮に他人の生活領域に入ってくる輩なんていっそ皆殺しでもいいのだが……彼らのうち大部分は命令を聞いているだけだろうし、変な恨みも買いたくない。かといってすぐに解放するのも問題がある。王子が今動いたのは、騎士団が遠い場所にいて王の守りが薄くなるから、みたいな理由だった。騎士団が帰ってきてすぐ、元国王の仇を取るなんて理由で反乱を起こされたら目も当てられない。
「奈落に送ってた騎士団はいつ解放すればいいんだ?」
「今すぐでもいい。どうせ移動には時間がかかる。本来はもっと時間がかかる予定だったんだが、そなたのお陰で相当に早まったからな」
「帰ってきた奴らに殺されるとか、やめてくれよ?」
「問題ない。そのためにギルドとも協力体制を築いたのだ。遠征帰りの兵士に負けるほど、冒険者は貧弱ではない」
なるほど。ギルドのおっさんたちと仲が良かったのはそれが理由だったか。じゃあ最初の作戦に冒険者らしき奴がいなかったのはなんでだ?と聞いたところ、連日拘束するのは金がかかって無理だから、という理由だった。世知辛い。
騎士団が帰ってきてからも、反乱を起こされる理由はそこまでないようだ。国王への面識がなく義理もない下っ端の兵士たちには行動を起こす理由がなく、厄介な上層部はこちらも冒険者や騎士を使って粛清する、という話だ。しかし命の危険があると危険手当として冒険者により多くの金を支払わなくてはいけなくなるので、それでまた財布が薄くなるらしい。世知辛い……。
ともあれこれで、ここでやるべき事は全部終わったわけだ。
「……じゃあ、帰るか」
「はいっ」
テュオを手を繋ぎ、王城を後にする。何とも、やりがいもなく後味の悪い仕事だったが──
「……どうしましたか?」
「いや、何でもない」
テュオの機嫌がよさそうだし、どうでもいいか。
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