第16話
我が愛する妹が元気を取り戻した。
得体の知れない男の治療は何かをしたようにすら見えなかったというのに、ターシャはみるみるうちに血色がよくなり体力を取り戻した。まるで悪魔と取引でもしたかのような結果ではあるが、それにしては礼儀も厳粛さも緊張感もない男だった。あれが悪魔や、あるいは神だとするのならあまりに俗に過ぎるというものだ。
男は我が妹を治療した直後、早々に部屋を出て……いや、消えていった。妙なことをしないうちに書斎に戻りたいものだが、ターシャの事も気がかりだ。近頃は会話も難しいほどの体調だったのだ、もう少しだけでも語らいたい。
ロジャーに今後の方針を伝え、先に書斎に向かわせる。向こうにはまだハンスとカルヴァンがいるとはいえ、あの男が二人に止められるような手合いだとは思えない。こちらもターシャと少し話したら急がねばな。
「……治癒師様ではなく、魔術師様だったのですか」
「あれだけの腕があるというのにその名前は今まで聞いたことも無い。怪しい男だ、ターシャも深く関わってはいけないよ」
「私はあの方に命を救われた身ですよ?その御方を疑うなんてこと、私にはできません」
「おい、まだ治ったと決まったわけでは」
「分かるんです。今までが嘘のように体が楽になりましたから。むしろ、体力が余ってるくらいです」
「……そうか。それは、よかった」
以前にもターシャの体調が一時的に改善することはあった。今回もその類の治療である可能性は残されていると思っていたが、本人が言うのならばそうなのだろう。
最後にターシャの体調に異常がない事を確認し、メイドを呼んだ後に書斎へ向かう。
あれは確実に父上の手の者ではない。さらに目的は『亜人を奴隷とした者への復讐』と、私の目的とも似通ったものだ。細かく掘り下げてはいないが、最低でもハンスに勝つ戦闘力に、三人以上を同時に転移させる機動力、そして不治の病を治すほどの治癒魔法がある。仲間に引き込めるならばあれほどありがたい存在はなく、そう出来る可能性も十分に高い。
しかし、あれは劇薬だ。ハンスを殺さず治療したあたり、手の施しようのない狂人というほどではないが……過度に頼るのは危険だろうな。
そう自らを戒めつつも、最大の問題が解決したという事実が足取りを軽くする。受けた恩はしっかりと返さねばな。
***
王子を無視して書斎に戻ると、まだギルドマスターと鑑定士の爺さんがいた。
「二人とも、まだいたのか」
「この部屋から他人が出てきたら大ごとなんだぞ。徒歩で帰れるわけがないだろうが」
それもそうか。王の居城に対する不法侵入だもんな。招待した覚えも入室を見た覚えもない人間が歩いていたらまず泥棒を疑う。
「姫様の治療はもう終わったのか?」
「おう。ちゃんと治してきたぞ」
「早いな。これが治癒魔法の真価か。我々の培ってきた治療技術とは雲泥の差だな」
「頼まれても医者の真似事はやらないからな」
「それがいい。そんな技術を大っぴらにすれば火種になりかねん」
お、意外だ。最低でも金品を対価に治療行為を頼まれるかと思ったが。
「ギルドまで送ってやろうか?俺はまだ残ることになると思うけど」
「おお、もう一度体験できるのか!?」
「おいカルヴァン、この男を殿下の私室に放置するというのはさすがに……」
ギルドマスターが鑑定士の爺さんを抑えていると、執事が入室してきた。行きに対して帰りがちょっと早かった気がするので急いだのだろう。息を切らした様子がないのは流石といったところか。
「二人とも、ここに残っていただけますか?リット様も、報酬の事についてご相談させていただくため、殿下がお戻りするまでここで待っていただきます」
しばらくして、王子も部屋に戻ってきた。妹との会話も終わってその体調に安心できたのだろう、王子の表情はいくらか明るいものになっていた。
「すまない、待たせたな。それで、聞きたいことは亜人を奴隷にしようとした者たちと、盗賊への支援を計画した者の名前だったな?……そなたは、亜人ではなく獣人と呼んでいたのだったか」
「彼らの自称はそのようだし、人モドキと呼ぶのもどうにもな。で、教えてもらえるか?」
王子は頷き、『妹を治療してくれた報酬がそれでは少なすぎるから』と、再度報酬の内容を俺に告げた。王子のできる限りのことをする、という話だ。元々は依頼の報酬として用意されているものだったらしい。
しかし王子ができることの全て、なんて具体的じゃない内容、どう扱えばいいものか。そもそも王女の病気すら伝説の果実という眉唾に頼っている文明レベルに何かを期待できるかというと……お察しである。
とりあえず保留としておいて、今は二つの質問に答えてくれればそれでいいや。
俺のそこまで嬉しくもなさそうな顔を見て理解したのか、王子も苦笑して『困ったことがあったら言ってくれ』と断った後に本題に入る。
「獣人の奴隷、盗賊への支援。それらを実行したのは、カルカン国王……この国の、頂点に君臨する存在だ」
王子が語ったのは、大っぴらには言えないであろうこの国の内情だった。
獣人はまあいいとして、盗賊と仲良くする国王って何だよ。国を潰す気か?……いや、かつての海賊は国の支援を受けてたんだっけ?付き合っててそんなメリットがあるようにも思えなかったけどなぁ。
「それでも、やる気か?」
「そりゃあな。難しい事でもないのは分かるだろ?」
元々やんごとなき身分のはずの王子にアポなしで訪問しているのだ。今更怖いものもない。
「それはこの国では反逆罪となる。そのことが分からぬほど愚鈍でもないだろう?」
「止めるつもりか?正気?」
こいつらに転移を使っての暗殺を防ぐ手段は多分ない。
魔力を見れない人間は論外。鑑定士の爺さんみたいな魔力を見れる人間であっても妨害するに足る魔力量を持っていないならば戦力外。この国全体を探しても、この条件をクリアできる人間は一人もいない。
やれそうなのはこの国以外での心当たりがたった一人、テュオがギリギリやれなくもない程度だが……テュオにそれをする理由がないし、そもそも彼らに面識もないだろう。よって防ぐのは不可能。
「確かに今の王が善政を敷いているとは言えぬ。盗賊に武器を貸すような凶器としか思えぬ行為に加え、国の守りの要となる騎士たちのほとんどを奈落に派遣しようとしている。明らかに悪政の極みだ。だが、ぞんざいに暗殺されるというのも、治安や正当性の面から見て望ましくはない。ゆえに、暗殺という手段だけは控えてほしい」
「……うん?」
彼らにとって暗殺で次の王が決まるよりは、もっと正当な手順で代替わりした方が何かと都合がいいってことか。要するに、雑に暗殺されると都合が悪いわけだ。それを容認しちゃうと、都合のいい人間が王位につくまで王を暗殺し続ける手段を取れる、とか。自信はないが、的外れでもないだろう。というか、暗殺だけはやめてくれ、ってそりゃあ他の手段を肯定しているように聞こえないか?それぐらいはやられて然るべき、という認識だろうか。
しかし、あれだけ外道なことをやらかしておいて王位を退いたら無罪放免です、じゃあ困る。こっちの動機は私怨だからな。目標は王の交代じゃなくて報復……にも満たないただの嫌がらせだ。
「ちゃんと処罰はするんだよな?」
「勿論だ。こちらとしても計画の都合上、国王に何もしないというのは道理が通らない。厳しい沙汰を下すことになるだろう」
「ならいいか……ん、計画?」
そんな話してたっけ?いや、難しい話が続いたせいで聞き逃している可能性も十分にある。
王子は俺の疑問には答えず、席から立ち上がり近付いて来た。その目は俺ではなく、隣に跪いているギルドマスターと鑑定士の二人を見ている。
「三人とも、異論はないな」
「……仕方ありませんな」
「この国のためにも、そうするべきでしょう」
「うむ、百人力じゃな」
何の話だろう、と眺めていると、王子は俺に向き合う。
「私は、父上を……国王を退位させ、新たなる国王となる。ギルドの二人は、その計画に外部から協力してもらっている仲間だ。そなたも、我々に協力してくれるか」
「……へぇ」
王子は思ったよりも大きなことを考えていたようだ。
しかし、いずれ寿命で退く王に代わって、自然と王位に就くことになる王子がこれを計画するとは。周りの人間は国王を止められなかったんだろうか。
と直接聞いてみると、周りの奴らもそれを利用してはしゃいでいたらしい。何とも救いようのない状況だ。バカな王は補佐するよりも利用するほうが利益大きいってか。
「周りの人間も、大概悪いんじゃないか?王だけが変わっても状況は変わらないように聞こえるけど」
「いや、それでも根本の原因は王だ」
王子は一呼吸入れてから、この国の状況を話し始めた。
「最近の重税。騎士団の増員。獣人の奴隷。全ては、国王が行ったものだ。日に日に年老いていく国王は、死が近付くたびに異常なまでに生に執着し始めた。怪しげな魔術師を城に呼び込んで妙な実験をさせ、奴隷を薬の素材として命を奪うような扱いをした。そして今は、存在するかも分からぬ、奈落に眠るとされる薬を求めている」
王子が語るには、奈落にはあらゆる宝が眠っているという噂があるそうだ。というか、この国に古くから伝わるおとぎ話のようなものらしい。実際あの森辺りは人類の到達した記録のない場所で、その場所になら何があってもおかしくはないと信じさせるだけの探索の難しさがあるんだとか。
死が近付いていく国王は、少しでも生き延びるためにあらゆる手段を取り始め、その過程で奈落にも手を伸ばした。そのせいで、奈落側に国土を広げたかった者たち、商売の規模を大きくしたかった奴隷商たち、ただ贅沢をしたい貴族たちなどにつけ込まれた。ついでに、人命を使って実験したり兵器を作ったりしたい奴らも口を挟んだらしい。獣人の奴隷はそのためだとか。
さらには奈落探索のための捨て駒にするために、犯罪者集団である盗賊を傭兵扱いしてある程度の武力を持たせたらしい。命を取らない代わりに奈落に突っ込んで騎士団が中に入るために魔物を追い払って来いと。そしてそれは盗賊の実力的に不可能らしい。バカなの?
「私が妹の治療のために求めたアルティードの果実も、国王に接収された。二つ目の依頼をギルドに出したのはそのせいだ」
「クソ野郎では?」
王子は頷きはしないものの否定もしない。多分同意見だろう。
実際には効果はなかったといえ、娘に渡されたはずの治療薬を奪い取るなよ。ご乱心ってレベルじゃないぞ。
「本来はこのような計画、内内で済ませるつもりで段取りや根回しを進めていた。それゆえ、そなたに暗殺されると都合が悪いのだ」
「なるほど」
都合がいいな。罪のない一般市民への被害を無視するほど非情ではない。国王が暗殺されるとなると少なからず国は荒れるだろう。比較的正当な手順で王位が変わる方が一般市民への被害は少なく済む……それ本当に正当性あるか?正当ってことにしておこう。
さっきも言ってたが、騎士団は奈落に出兵する準備をしているらしい。奈落の資源を得るための出兵であり、そのために未踏の地である奈落に山ほど人を送るのだとか。しかし奈落の魔物をこの国の騎士で相手取るには魔物一体当たり2人の騎士は必要であり、それでも頻繁に負傷者が出ることが予想される。王子の見立ては、得られるものに対してリスクが釣り合わないほど大きい、とのことだ。誰か止めろよ。
「……そうだ、そなたは獣人と関係があるのか?奈落への出兵は、あの辺りに住む魔物を排除してあの森の奥地を探索するためのものだ。騎士団次第では、放置すれば獣人に危害が及ぶ可能性もあるが、それは問題ないのか?」
「あー……多分、大丈夫だ」
「そうなのか?それならばいいが」
以前見た騎士団のレベルなら、テュオ一人の戦力で十分だろう。困ったら隠れ続けて魔物に襲われているところを狩りに行けばいいし、万一のための保険も渡してある。ということで、そっちはいったん放置。
「では、騎士団がこの国を出て数日たった時に計画を実行する」
その後、計画を話した相手にどこかへ消えられると不安になる、とのことで王城の部屋に数日暮らすことになった。体のいい監視ではあるが、不便が無いように使用人をつけてくれるらしい。王城での生活というのも初体験なのでありがたく楽しませてもらおう。
ちなみに、ギルドマスターと鑑定師の爺さんは転移でギルドまで送り届けた。爺さんのほうは転移の再体験に喜んでいた。ギルドマスターのほうはくれぐれも失礼のないようにしてほしい、と遠回しに頼まれ……いや、頼まれている途中に転移でギルドまで飛ばした。静かになってよいことだ。
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