第3話

──頭が重い。まるで二日酔いみたいに、思考がぼんやりとかすんでいる。昨日酒でも飲んで寝たんだっけ?


身動きを取ろうとすると、全身の関節が軋むような痛みを感じる。

あまりの違和感に目を開けると、普段起きるときよりも目線がずいぶんと低かった。


……うん。床だ。床で寝てる。んん?


ああ、思い出した、昨日奴隷を衝動買いしたんだったな。適当に治療したら嫌われたっぽいけど。そうだ、あの娘はもう起きただろうか。


少女の様子が気になるので、きしむ体を何とか動かし体を起こす。ああ、節々が痛い。大した手間でもないし、もう一つベッドを作っておくべきだったな。


「腰痛ぇ……ん?」


背中をさすりながらベッドに目を向けるも、そこにいるはずの少女は姿を消していた。もう起きてるのか?変な部屋に入ってなければいいけど。


「おーい、どこいったー?」


返事がない。部屋の扉が開いていることに気付く。


「……」


嫌な予感がして探知魔法を発動する。普段は常時発動しているが、魔力が無くなって途切れていたものだ。

これだけの魔力を込めれば、家の中は隅々まで調べられるはずなんだけども……。


「……まずいな」


家の中には、何一つ反応がなかった。

すぐさま自分の全魔力を捜索に回す。外に出て目視で探すなんてことは効率が悪いのでやらない。持てる魔力全てを捜索に回し、この階層一帯を覆いつくすほどに探知範囲を広げていく。寝落ちする寸前は魔力が付きかけていたが、睡眠が取れたおかげで魔力にはずいぶんと余裕があった。


少女がいなくなった理由は……うん、心当たりしかないな。俺も見た目は人間だし、そんな奴が奴隷商と手を組んで外道すぎる人身売買を始めたと勘違いしても仕方ない。ここがどこかとか目指す先が明確でなくとも、逃げなければと考えるのは当然だ。

俺としても、奴隷ではなくなったから帰りたい、ということなら止めはしないが、しかしここはダンジョンの最下層。明らかに魔力の足りていない子供が、何の用意もなしに歩き回れるような場所じゃない。昨日のうちに忠告しておけば……いや、そんな都合のいいタイミングなんてなかったか。


探知のついでに転移魔法の準備をしながら探索範囲を続けていると、不自然に弱い魔力反応を見つけた。この階層では弱者は生きられないというのに、その魔力は極めて弱い。気を張っていたから見つけられたが、普段なら見逃してしまう魔力量だ。

感知できたのは、弱弱しい少女の反応と……その周囲の、少女を捕食しようとしている複数の魔物だ。このままでは数秒後には少女は魔物のエサだろう。


ああ、よかった。これなら──




「間に合ったな」


探知で見つけたそのままの場所に転移する。目前には口を大きく開いた黒い狼。影のようにおぼろげな形をしていて、空気と一体化するように透明化して移動、獲物を包囲してから確実に獲物を刈り取る魔物だ。意外と賢く、不自然に魔力の弱い少女でもすぐには襲わない慎重さを持っている。その習性は俺がしょっちゅう魔力を隠して魔物を釣り出しているから身に着けてしまった知識ではあるが、そういう意味では幸運だったな。その習性が俺が間に合うための数秒を作り出したのだから。


横をすり抜けて少女を襲いに行かれると困るので、餌として腕を差し出しつつ、魔法で吹き飛ばす準備をする。こういう、肉体を囮として使う戦術は高度な防御魔法が使えるなら常道だ──


「いぃっ!?!?!!?」


噛みつかれた瞬間に激痛が走った。な、なんでぇ!?


ああ、そういえば捜索のために防御系の魔法は全部切ってあっ──痛い!本当に痛い!


「……っ!死ね!」


ここで泣き叫ぶのは最高に格好がつかないので、気合で我慢しつつ狼に魔法を叩き込む。無駄に長生きしていようとプライドぐらいあるのだ。


狼の目の前の空間が一瞬光り、直後に破裂音と共に稲光が走る。使ったのは雷撃だ。この魔物は大部分が魔力で構成されている個体で、物理攻撃よりはこういう非実体の攻撃で体内の魔力を乱してやる方が効果が高い。

ついでに、周りを取り囲んでいる狼も雷で消し飛ばしておく。


周囲の敵対反応が消えたことを確認してから、痛みの残る腕を治して体を普段の状態に戻していく。あー、痛かった。本当に痛かった。


後ろに振り向くと、少女は俺を見つめていた。正確には、再生された俺の腕だ。ちょっと気まずい。


「……すまん。ここが安全じゃないことを忘れてた。怪我はないか?」

「……」


少女は声を出さなくとも、小さく、本当に小さくうなずいたように見えた。不安と怯えが入り混じった表情だが、昨日のような状態ではないように見える。


「一度、あの家で話せないか?もちろん、嫌なら地上まで送るけど」

「……」


少女は何も喋らない。今度は頷きもしていないようなので、彼女の心が決まるまで辛抱強く待つことにする。

数十秒経った後、少女はぎこちなくうなずいてこちらに近づいてきた。恐る恐る伸ばされた手を、少女を驚かせないように軽く握り、自宅へと転移した。






いやぁ、危ないことはするもんじゃないな。あれだけの攻撃をまともに食らったのは久々だ。探知と移動に力を割いていたから、鎮痛魔法も防御魔法もろくに発動しないままあの狼と対峙してしまった。次からは気を付けよう。次があるのかも分からないが。


今の時刻は……だいたい夜明け。自宅に帰り、寝るわけでもなく、かといって何かするわけでもない微妙な時間を過ごしている。普段なら寝ている時間だからな。飯の気分でもないし、外に出て何かをするという気分でもない。……それ以上に重要なことも目の前にあるわけだしな。


机の反対側の机に座らせた少女をちらりと見る。さっきからずっと下を向いているが無理もない。買われた家で死にかけたのだから。少女から会話をする様子もない。

というか、俺最近やたらと治癒魔法の出番が多いな……あ。


「そうだ、俺も腕を食われたからお揃いだな」

「……」

「ごめん」


なんとなく思いついたので言ってみたが、少女はうつむいた姿勢から目線だけを一瞬こちらに送っただけだった。当然笑顔はない。やっぱりダメか。


落ち着いたら急に腹が減ってきた。少女の腕を治したことも含め、いたずらに魔力を使いすぎたのが大きいだろう。朝も近いし、早めの朝食にでもするかな。


「飯、食うか?」


少女からの返事はないが……作っちゃうか。どうせ奴隷商にいた頃はまともに飯を食ってなかっただろうし。平気そうに見えているのは、治療魔法の副次効果で体内に栄養が補給されたからってだけだ。胃の中は空っぽなのでどうせすぐ腹も減る。余っても魔物の餌にすればいいだけのことだ。

とはいえ一口も手を付けなかったらそれはそれで泣くけど。


「食べられないものは?」

「…………。……ない、です」


やたらと反応が遅い。しかし、辛抱強く待てばこの少女は答えてくれることがだんだん分かってきた。昨日の治療も、焦ってするべきじゃなかったかもな。それが良くなかったのだろう。信頼関係を築けるまでは、出来るだけ時間をかけて会話をしていくのが最善だった。

……食べ物で少しは心を開いてくれるといいが。飯の力って偉大だし。


ということで今日の朝飯は、ベーコンエッグとパン、そして庭で育てている野菜と謎果実のジュースです。普段はもっと雑に済ませているのだけど、今日は奮発してちゃんとした朝飯だ。もちろん全部このダンジョン産。だってそれ以外に入手先がないから。


「ほら、できたぞ」

「……」


少女は何かを言いかけるように口を開き、閉じることを繰り返している。何ですかその反応は。まずそうとかじゃないよね?


「……まずそうだったら食べなくてもいいぞ。うん、気にしないから」

「ご、ごめんなさい……いただきます」


声をかけると、少女は焦って食べ始めた。

食事のために少し上げられた顔は、すぐにでも泣き出してしまいそうだった。そんな顔をされても困る。


「別に謝らなくていいけど……そんなに急いだら喉詰まらせるぞ。多かったら残していいからな」

「……」


少女は口の中に食べ物を無理やり詰め込んだままで声を出せず、黙って首を振った。変なところに入ったのか、ちょっと涙目になっている。せかしたつもりは無かったんだけど。


自分も飯を食いつつテュオに目をやると、食器を扱う手付きが覚束ないことに気付く。動作はぎこちないし、力もあまり入っていないようだ。まだ治った手が馴染んでいないかな。まあ、これもリハビリの一環だ、そのうち元に戻る。


治療したときは精神が壊れていたらどうしようかと思っていたが、意外とそうでもないようだ。ここから逃げたというのは一見悪いことのようだけど、彼女がまだ生きる気力があるということでもある。しばらくはここに住んで色々と治るのを待って、それから今後どうするかをゆっくり考えてほしいものだ。


「お互い名前すら知らないから、まずはそこからだな。俺はリットだ。えー……魔法研究家?わからないけど、そんなところだ」


この少女も目の前にいる男が何者か分からないままでは怖くて仕方ないだろう。ダンジョンに引きこもって一切外に出ない男に買われた現状だ、何が目的か見当もつかないんじゃ誰だって怖い。

ということで自己紹介を……と思ったが、そういう時に話せる肩書みたいなもの、ないな。自分の職業や所属を何も説明できない。だってそんなもの無いからね。自分で言ってて思ったが、露骨に怪しいなこの不審者。


「……名前を聞いてもいいか?」


本当は昨日鑑定した時点で名前が分かっていたのだが、教えてもいないのに名前を呼ばれるのも不気味だろうからな。

少女が喋ろうとしないので話を振ってみると、今度はそこまで待つこともなく返事が返ってきた。


「……テュオ、です。フレッドの娘の、テュオです」

「ん?うん、テュオね、よろしく」


誰だよフレッドって、とは思ったけどこれ名乗りにそういう風習があるかな?短い名前だし、同名の人と区別するためのものだろう。遠い昔に住んでいた村に似たような風習があった気がする。あの時は名前と村での役割がセットだったか。

とはいえ俺とこの娘以外この家にはいないので、普通にテュオって呼ぶけど。


「じゃあさっそく本題なんだけど……昨日俺が話した内容、覚えてるか?」

「……分かりません。ごめんなさい」

「いいよ。じゃあ、そこから話していくか」


テュオに昨日話したことを再度説明する。

普段は人里離れた辺鄙な場所に住んでいること。暇だったから出かけたらテュオを見つけたこと。見るに見かねて買ったこと。テュオには生死を選ぶ権利があったこと。目と腕を治したこと。


「昨日は返事を聞けなかったけど、生きる気はあるんだよな?」


そうであってほしいものだ。ここまで来て死にたいですなんて言われたら寝覚めが悪すぎる。


「死にたく、ないです」

「よっしゃ、いいね。その気持ちがあれば十分だ」


返答がネガティブな気もしたけど、今はそれで十分。

じゃあ話すべきは、未来のことだ。


「それで、だ」


大事な話をする雰囲気を感じ取ったのか、テュオもこちらをじっと見てくる。


「テュオは、これからどうする?」


聞いた途端、テュオはまた下を向いてしまった。さっきまでは元気そうに立っていた獣の耳も、その動きに合わせて萎れてしまった。


「……痛いのは、いやです」

「ん?そうか」


どうしたいかを聞いたのに、返ってくる返答は微妙にずれたものだった。何かを望めるような環境にいなかったのだろう、仕方のないことではある。しかし消極的すぎるのもちょっと困る。こっちがどう動いてやればいいか分からないからな。


「何かやりたいことはないのか?俺に出来ることなら協力するし、何でも言っていいんだぞ。ほら、故郷に帰りたいとか、親に会いたいとかあるだろ」


テュオにとって希望のある話題だと思って振ったが、彼女の表情はより暗くなってしまった。


「……里には、帰れません。私の居場所は、もうありません」

「里ってのは、亜人族の住んでいる場所か?」

「はい」


私たちの、ならば戦争や災害によって住処を失った可能性もあるが、私の、ということはどうも個人的な事情に聞こえる。


「追い出された?」

「……はい」


うつむきながらそう返すテュオの声は、少し震えているようだった。

想像していたことではある。アルビノなんてのはこの世界でもどうせレアだろう、多分。見た目の違い、というのは一番わかり易い差別対象だ。

同族には追い出され、人間には奴隷にされ、散々な目にあってきたようだ。俺一人くらいテュオに優しくしてもバチは当たらないだろう。不条理な苦痛を味わってきたのだ、それぐらいは報われるべきだ。


よし。ざっくりではあるが今後の方針が決まった。テュオがここを離れたいと言うまでは、ここに住まわせよう。ついでに、テュオが望むなら独り立ちできるようになるまでの教育もしよう。力があれば、大抵のことはどうにかなる。


「じゃあ、帰る場所がないならうちで暮らすか?」

「……私、何もできません」

「そんなことは知ってる。もちろんやって欲しいことはあるが、断っても俺はテュオを追い出したりしないし、当然危害も加えない。結局はテュオ次第だ」

「……ここに居ても、いいんですか?」

「気が済むまでいていいぞ。大した負担じゃないからな」

「……ありがとう、ございます」


少しだけ顔を上げたテュオの表情は、それでも明るくはなかった。そりゃそうだ。自分を奴隷として買った人間なんて、いくら優しくされたところで信用するに値しない。

だけど今はその不安を解消できるようなものはない。今後一緒に暮らしていく上で、少しずつ信用してもらうしかないな。どうせ時間はある、ゆっくりいこう。


「よし、じゃあ……まずはその見た目をどうにかしなきゃな。みすぼらしすぎてこっちが気の毒だ」


さっきから話していても、そればかり気になっていた。今のテュオの服は奴隷商にいたときから着ているボロい貫頭衣のままで、髪も白く美しくはあるが手入れまではしていないため長くボサボサだ。

着替えを用意するついでに風呂に入れさせねば。昨日浄化はしたが外を走った影響で少し汚れているし、そもそも治療魔法で戻した髪の毛は理想の状態ではないからな。うちのシャンプーはこのダンジョン産の魔物や植物を配合した、前世でもなかった程のオーバーテクノロジーだから、さぞ綺麗になることだろう。


「着たい服はあるか?好みを言ってくれればその通りに作るぞ?」

「……ありません」

「そうなるとTシャツとジーパンしか作れないんだけど?俺が着てる物と似たようなデザインになっちゃうけどいいのか?」

「……はい」

「分かった。じゃあ用意しておくから、その間にあっちで体洗ってきてくれ」

「……はい」


テュオは手渡したタオルを抱え、指差した方……風呂へと歩いていく。

子供用の服なんて持ってないし、今のうちに服のサイズを合わせて作っておかないとな。寸法は測っていないからわからないが、どうせ適当な服だし雑でも大丈夫だろう。


色を考えつつ服を作っていると、風呂に行ったはずのテュオがすぐに戻ってきた。


「ん、どうした?何かあったか?」

「……使い方が、わかりません。ごめんなさい」


……ああ、そうか。使い方が分かるわけないな。シャンプーやらリンスやら、よくわからんものが多いし、お湯に至っては魔法で出さなきゃいけなかったわ。ここに家を建てた時に、ガスも電気も水道も、全部面倒だから魔法で解決しちゃったんだった。


「すまん、説明が足りてなかった。魔法は使える?」

「……ごめんなさい。できません」

「謝らないでいいよ。しかしそうなると、俺が色々やるしかないか」

「……ごめんなさい」


テュオは再度縮こまるように謝罪の言葉を口にする。俺がためらうような言動をしてしまったせいだろう。

別に俺の手間が増える事を疎んでいるわけではない。ただ、娘でもない少女を脱がせて風呂に入れるとなると、事案すぎてなぁ……。しかし、湯舟に水を貯めてあとはご勝手に、だとシャワーが使えないしなぁ。仕方ないか。


テュオを風呂に入れ、シャワーを浴びせつつ丁寧に洗っていく。

テュオは相変わらず無気力な様子で、逆らう素振りを見せない。裸を見られることに羞恥心はないのか、立場として拒否権がないことがわかっているのか、どっちなのだろうか。今は都合がいいが、立場の違いを振りかざしているようで微妙に気が乗らない。いや、俺としてはどっちでもいいんだが、後々の関係に響くと面倒なんだよな。ちゃんと教えて、自分でどうにか出来るようになってもらわなければ。

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