血染めの布

「此度の事、俺の手で決着をつけようかと思ったのだが。その必要もなさそうだ。己の行いは最後まで己で責務を果たすことだな。身辺の女を先に片付けろ」


 そう言うと省吾は乗ってきた馬車に乗り込んで去ってしまった。省吾は罰する側としてきたので何も問われないだろう。本来であれば直接会うことを禁止していたのに会いに来た三ノ宮に非がある。

 しかし大きな戦いを終えて文明開化を果たした今、財は政治に入れるくらいに権力を持っているのは明白だ。他の家を黙らせることなど容易い、そう思って今回会いに行ったのだ。

 どうせ自分の手には負えないと思って尻尾を巻いて逃げたのだろうと鼻で笑うと、屋敷へと戻った。


「旦那様、もう八ノ宮そよに関わるのをおやめください! どんな噂がたつか! それに、どう調べても出自が怪しい女ですよ!?」

「そよ殿を侮辱するな下女如きが!」

「そんな……」


 この女とは幼い頃からの幼なじみのようなものだ。年が近かったので幼い頃は普通に接していたものの。

 歳を重ねるにつれて立場の違いを自覚し、今ではただの女中としか見ていない。


「同じ家で過ごす時間が少しばかり長かったから、親気取りか! 何様のつもりだ!」


 最近は特にそよについて口出しをしてくる。下の者に人の恋路について口を出されるのは最高に屈辱だ。怒鳴るのが常となってきた。

 

「……どうしてそんなことを言うの。しかも親ってなに、二つしか違わないのに」


 女として見られていない。その事実に震える。


「口を慎め! 自分は特別な存在だとでも思っているのか!? はっ、冗談じゃない、気色の悪い! 親父がうっかりお前の母を死なせちまって世間体が悪いから引き取っただけだろうが! 子供の頃は暇つぶしの相手がお前しかいなかっただけだ! 誰が貴様なぞ女と思うか!」


ひめおもひ


「姫のように美しいそよ殿と比べるまでまない、醜女にもほどがある! 蛙のような顔をして、気持ち悪いんだよ!」

「昔はかわいいって言ったじゃないかあああ!」


あざやぐゆびさき


「ぎゃああああ!?」


つまべにに


 右手が真っ赤に染まる。愛しい男の眼球を素手で突き刺した。両眼を潰されて何も見えず、激痛にのたうち回る。


「私の思いを知っていたくせに!」

「あぎゃあああ!!」


こひ にほひ まう


 顔を顰めるほどの濃い生臭さ。入り口の横にあった、草刈りのための鎌。それで何度も何度も男を切りつける。弧を描いた刃なので深く刺さる事はない、そのため何度も何度も。

 顔を、首を、肩を。地面に転がった男の腹に何度も何度も突き刺す。


そよかぜのもと


「私の思いを知っていて、なんであんなわけのわからない女を思うのよお! 大きくなったら夫婦めおとになろうって言ってくれたのに! 私ずっと待ってたのに! アンタの命令は全部聞いたじゃないか、どんな仕事も全部、全部!」


 夫婦など子供の頃の戯れだ、三ノ宮にとっては。だがこの男の妻になるのだと信じて疑わなかった女は、ずっと待っていた。冷たくされても、下女だと言われても、とても口にできない仕事をやらされたとしても。必ず自分のもとに帰ってきてくれると信じた。


「お帰りなさい、省吾さん」


 家に戻った省吾をそよが迎えた。その顔は鮮血に染まっている。


「変わった化粧だな」

「ごめんなさい、今顔を洗おうと思ったのだけれど馬車が見えたから。これ、出来上がりましたよ」


 血まみれのまま大きな布を広げてみせる。布の上半分は確かに鮮やかな糸で短歌が縫われていた。下半分に描かれていた女は、赤茶色に染まっている。


「ひっかく程度かと思ったんですけどね。思っていた以上に激しくて、こちらにも飛んできてしまいました」


 女の足元には男の亡骸、と思われるものが転がっている。赤黒い塊なのでよくわからない。


「ずいぶんと殺伐とした絵になったものだ」

「間違っていないでしょう? 秘めた思いをこじらせた女は、ちゃんと爪が真っ赤に染まっていますから」


 ふふふ、と布をきれいにたたんだ。懐から手ぬぐいを出してついた血を拭う。


「さて、どこに送りましょうかこれ」

「決まりを破った証拠品だ。瀬古殿を通して一ノ宮に送る。粗相をした三ノ宮にも厳罰だ」

「それが落とし所でしょうね」


 三ノ宮は最近行笠が当主となったばかりだ。前当主の行笠の父親が重病となったためである。


「大方父に毒を盛っていたのだろうな、女を使って。当主は父親に戻るが、仕事ができる状態ではない。貿易業を政府に譲渡することで罰を逃れるのが一番だ」

「そうして権力を削ぐわけですか。大変ですねえ、欲を出した者の後始末は」

「それも仕事のうちだ。あの程度の小物に出し抜かれるような愚かな当主もいらん。三ノ宮には分家から当主を出してもらうだろうな。そこは俺が関わることではない、六ノ宮の仕事だ。この件は終わりだ」

「はい……あら?」

「終わり、にはまだできんか。それはそうだな」


 二人が見つめる先には、血まみれの女。布を広げてみると描かれていたはずの姫が消えている。


「女の嫉妬の先は女だ」

「ふふ、そうでした」

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