恋の歌
連絡が禁じられているというのに直接来たのも、そよに会いたかったから。何とか話を続けようとしたものの、そよがあっさりと了承して時間指定までしてしまったので帰るしかなかったのだ。
歌はそのままの意味を見れば、姫を思う者が化粧道具を贈ったという内容だ。描かれている女の爪は一本だけ赤く染まっている。
「姫思ひ。これは『秘めた思い』をかけている」
「同音ですか。爪紅は鳳仙花の別名でしたね」
「鳳仙花に強い匂いは無い。つまり濃い匂いとは、恋の香りとかけているということだ」
あなたへの秘めた思いは、鳳仙花のように弾けそうだ。恋の匂いがあなたから湧き起こり私に届く
そよを思う歌。あなたを愛しているという、強い思い。
「気色悪いな」
「そうですねえ」
「普通なら無視するが。相手が三ノ宮なら、お前に縫わせることにどんな意味があるのか。それをわかって言っているはずだ、見過ごせない」
「なるほど」
そう言いながらも、そよは既に道具箱から糸を選び始めている。
「平安時代ならまだしも、既に妻なっている女にこのようなことをする。しかも八ノ宮当主の妻に。頭の中に春風が舞っておられるようで」
同じ色にしか見えない、何十種類もの赤い糸。依頼をこなすようになってから、日本各地の様々な糸を集めるために最近は外出も増えた。そのたびにこそこそとつけ回っていたことも知っている。
「宮を授かっているものとして、けじめをつけなければいけない。明日を指定したから明日で良いかと思ったが。今から縫うのなら、今行った方が良さそうだな」
「対処はお任せします。私は頼まれた刺繍を縫うだけです」
「わかった」
屋敷のすぐ外に呼び出された三ノ宮は、機嫌悪そうに省吾を睨みつける。年が近いこともあって幼い頃から何かと比べられてきた。
喜怒哀楽もなく、「あんな仕事」を担っている男など取るに足らない。日本を今後背負っていくのは知識、異文化を交えた商売である。尊厳や風習などではない、金だ。
「さっさと用件を済ませろ、俺は忙しい」
「忠告だ。金があるのは権力があることに偽りはないが。我々の権力とは己のために使うものではない。行き過ぎた言動は文字通り身を滅ぼす。よく覚えておけ」
「口の聞き方に」
「どの家が一番偉いというのはない。俺とお前は立場に上も下もない。そよに関わるのはやめろ、俺の妻だ」
「黙れ!」
そよから預かった短歌の紙を広げると、目の前で破り捨てる。その様子に三ノ宮は顔を真っ赤にして怒り狂った。
「他の女を見つけるんだな。他人のモノを欲しがっているうちは、童だ」
「貴様ぁ!!」
「旦那様! お声が大きいです!」
家の中から飛び出してきたのは、おそらく女中だろう。家の周りは家を支える分家や警護の者が住んでいる。あまり大事にできないように家の外に呼び出したのかと今更気づいた。
「ただで済むと思うなよ、八ノ宮!」
「そうか」
ちくちく、ちくちく。
そよは縫い進める。
「私には学がありませんので、含みや裏を読み取ることは苦手なんですよ。だから見たままの、爪紅をしようとする姫として縫いましょう」
まるで絵の女に語りかけるかのように声に出すと、先に女の爪に赤い糸を縫っていく。糸とは思えない、まるで絵そのもののように見事に彩られた。そして布の上半分に文字を縫い付けていく。
「私の好きに縫っていいと言っていたので。好きにさせていただきましょうか」
『ひめおもひ』
漢字は使わない。
「文字の読み書きができるのは、文字を学べる地位の高いものだけ。私は豪商の養女となったお針子。と、いうことになっていますから。針仕事以外は知らないんです」
ふふ、と笑うとそのまま続けて文字を縫っていく。
「それにしても。これでは一体誰が姫を思っているのか分かりませんね。もしかしたら姫が思われているのではなく、姫に思う相手がいるのかもしれない」
姫の絵を優しく撫でる。先ほどまで美しい穏やかな表情の女の顔だったというのに、その表情は明らかに暗くなっている。
「あら、本当に思い人がいらっしゃるようで。振り向いてもらえないとは難儀なこと」
ギリギリと音がした。歯を食いしばって歯ぎしりをしているらしい。
「なんともまあ、面白い顔立ち。
「そよの噂を知っていて仕事を頼んだのだろう。文字や絵、それらを縫うと現実となる。鳥を縫えば鳥が飛び出し、願いを縫いつければその願いが叶う」
「……」
「そよ自身があの歌を縫い込めば、己の思いに強制的に気づかされてお前に心を寄せるとでも思ったのか。愚かの極みだ」
「黙れと言ってる!」
「そよは仕事をこなす。今回の意図も全てわかった上で完成させる。お前の思い通りにならないとわかっているからだ」
「なんだと?」
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