歌紡ぎ

aqri

そよ

 ちくちく、ちくちく。


 古くなって破れてしまった振り袖。もう直すことができないと、あらゆる場所から断られたとのことだった。

 しかし彼女にかかればどんなに酷い状態でも直ると評判だ。虫食い、破れたもの、もうこの糸は作られていないと言われているものさえ。まるで何事もなかったかのように全て直してくれる。評判が評判を呼び、今や彼女に依頼をするのは半年待ちだ。

 縫うことは生きがいであり生きる意味そのものである。縫い物がたくさんあるのは願ってもないことだ。


「そよ」


 夫である省吾が部屋に入ってきた。


「特別な依頼を受けることになった」

「あらまあ」


 ちょうど直しが終わったので玉どめをしてパチンと糸を切った。出来栄えを確認して省吾に向き直る。


「その言い方は、あまり受けたくは無いのですね」

「三ノ宮からだ」

「あら? 九つの家はお互い連絡を取るのが禁じられているはずですのに」


 一ノ宮から九ノ宮。古くから続く家柄で裏から日本を支え操ってきた。明治が始まるとともに姿を変えて、一応華族という形にはなっているが。お互いの家が連絡を取り合うのを禁じられているのは変わっていない。


「わからぬように画策したのだろう。お前に和歌……今は短歌だったか。それを刺繍してもらいたいそうだ」


 どんなに難しい絵柄、複雑な模様でも刺繍ができるというのは一部では知られているが。刺繍までできると公表してしまっては本当に依頼が殺到してしまうので、直し以外は断っている。しかし今回は断るわけにはいかないということだ。


「短歌を刺繍ですか、それはまた風情があることで」

「本音は」

「金持ちの道楽は分かりません」


 三ノ宮は九家の中でもとび抜けて財がある家だ。それもそのはず、戦国のときより外の国との貿易を担ってきたのだ。日本が統一され、いよいよ国外との交流が本格化する中。今や三ノ宮の独擅場である。


「自分の家に出入りするところを見られたくないそうだ。こちらに来る」

「ふふ、分りました。詳しい内容を聞いて仕上げましょう」


 堅物の八ノ宮省吾があっさりと結納した。他の家にとっては驚きの知らせだったことだろう。しかも滅多にお目にかかれない清楚な美しさの女性だ。大和撫子が服を着て歩いている、とまで評されている。

 縫い物が得意でどんなものでもあっという間に直してしまうと、華族の間で噂になっている。


 その日の昼下がり。三ノ宮が予定通りやってきた。省吾と同じくらいの歳だろう。省吾を見るときは冷めた顔つきだというのに、部屋で待つそよを見た途端満面の笑顔となる。


「お久しぶりです、そよ殿。改めまして、三ノ宮行笠です」

「よろしくお願い致します」

「この度は無理な依頼を受けていただき、誠にありがとうございます」

「いえ。それで、どのような?」


 滞りなく挨拶も終わり早速何をするのかを尋ねる。すると三ノ宮は持ってきた荷物を広げた。

 それは三畳ほどの大きな布だ。布の下半分には既に絵が描かれている。美しい着物をまとった、姫と思われる美しい女性。


 どこか、そよに似ている。


「上のあいている部分に私が詠んだ短歌を刺繍していただきたい。文字の大きさ、糸の色は全てお任せします。あなたの望むままに縫っていただけますか」

「承知致しました」


 たった一言そう返事をすると、三ノ宮は少々驚いた様子だった。おそらくそれでは困りますとか、具体的にどういう風が良いのかなど色々と聞いてくると思っていたのだろう。


「明日にはできますので、同じ頃合いにいらして下さい」

「そんなに早く? 焦ってやる必要はありませんので、どうぞゆっくり」

「いえ、終わります」


 にっこり笑ってそう言うと、さすがに何も言えなくなる。できると言っているのにやる必要は無いなどと言えないのだから。

 しかもこれで話は終わりだと言わんばかりに一礼されては、引き下がるしかない。


「で、ではまた明日」

「お気をつけて」


 部屋を出た三ノ宮は省吾とすれ違うとき睨みつけると、そのまま馬車に乗って帰っていった。


「わかりやすい男だ」

「ふふふ。やること自体は簡単なので明日どころか今終わりそうなんですけど。さすがにそれだと早すぎるので明日にしてみました」


 そう言うと先ほど手渡された短歌が書かれた紙を省吾に渡した。


「これを縫ってほしいそうですよ」


姫思ひ

鮮やぐ指先

爪紅に

濃ひ匂ひ舞う

そよ風の元


「恋文だな」

「あら、そうなんですか?」


 三ノ宮がそよに恋をしているのは知っている。お互い連絡を禁止されているとはいっても、伴侶は紹介しなければならないので全ての家を回った。その時から完全にそよしか見ていないのは明らかだ。

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