情報屋イオとサイコ特区
長尾 景一
第1話
世界が一望できる場所にアタシは立っていた。
墨でも塗ったかのように真っ黒に高くそびえ立つ電波塔の上からはこの街がよく見えた。眼下には無造作に建てられてるビル群と行き交う人々が蟻のように忙しなく動いていてちょっと気持ち悪いなとすら思う。
風が吹いて、黒髪に金のインナーカラーの入ったポニーテールがゆらゆらと揺れる。右に左にとその語源たる馬のしっぽのように。
にしても、高い所はやっぱ寒いわね。今が十月ってのもあるけど……。
身体をブルッと一瞬だけ震わせつつ、羽織っている緑のジャケットのポケットから双眼鏡を取り出した。
あちこち探し回ってるけどもまったく見つからないわね。
前にもらった情報だとこの時間にいたはずなんだけど……。
探してもどこにもいないし。
「目的の人物は今日もいないっと」
まあ、見つからないのはいつものことだしね。
それはそうと気になるものを見つけたわ。
キョロキョロと周囲を伺う女の人。挙動不審でいかにも怪しい様子だけど、そもそもこの辺が初めてなんでしょう。
あのお姉さんは地方からやってきたおノボリさんかしら。
荒浜はどうやら初めてきたみたいね。
そのまま興味を引かれて、なんとなく見てるとあからさまに不良っぽい奴らにお姉さんが絡まれる。
手首を掴まれてそのまま路地裏に連れていかれそうになっちゃう。大変! なんとかしなくっちゃ! このままじゃ、お姉さんが大変なことになっちゃう!
東京二十四区荒浜区。
海の上に建てられた新興都市はその実とっても治安が悪い。
こんなの荒浜だと日常茶飯事だけど見つけた以上放っておくことはできないわ。
いかにアウトローたろうと女の子が困っていたら、手を差し伸べなくっちゃ。ということでお姉さんをちょっくら助けに行きますか。
双眼鏡をしまい、青いジーンズのポケットからバードと書かれたビニールの包みに入った飴玉を取り出す。
包みを破ると中から小さい青い飴玉が出てくる。
それを親指でピンとはじいて宙へ飛ばす。
空中に飛ぶ飴を口で見事にキャッチして、きっちり噛み砕いてから飲み込む。
……いつものことだけどやっぱ苦いわね、これ。
なんでこんなことをするのかっていうとこっちの方がなんかかっこいいから。
アウトローたるもの常にカッコよくなければ。
前まではよく落としてたなあと感慨を抱きつつ、両手を高く上げて伸びをする。
準備は万端。いつでもいける。
後ろに徐々に下がっていって、それから勢いよく駆けだす。
アタシは電波塔から助走をつけて勢いよく飛び降りたッ――!
ビュウウウゥゥゥ――。
うぅっ、さっむっ!
落ちる時に感じる風が寒かったが、あのお姉さんのところに行くには飛び降りた方が早いからね。アタシの身体はどんどん地面へと向かって落ちていく。
街に行き交う人がアタシを見つけるもすぐに興味を失くす。
飛び降りなんかじゃないってことを荒浜区民なら知っているからだ。
地上から十メートル辺りのところで能力が発動する。
アタシの身体が突然、フワリと空中で浮き始める。
バードが発動した。まるで、空飛ぶ妖精にでもなったかのような奇妙な感覚。
アタシが前に進むように念じると身体が勝手に念じた方へ進み始める。
両手を広げて空を飛び、お姉さんの元まで向かった。
気分はまるで空飛ぶアメコミのヒーローのよう。
これなら、すぐにいけるはずッ――!
離れていた電波塔からあっという間にお姉さんたちのところまで近づけた。
いまだに不良たちが路地裏に誘い込もうとお姉さんの腕を無理矢理掴んで引っ張っていた。どうやら、抵抗されてうまくいってないようね。
「は、離してください。警察呼びますよ」
「いいじゃねえか、お姉ちゃん。俺らとちょっと遊ぼーうや」
「ねぇ、なにやってんのさ」
宙に浮きながら、声をかける。
これに驚いて黙って去ってくれば万事解決なんだけどなぁ。そうはいかないよね。
「なんだ、テメエ。俺らは忙しいんだよ」
「おい、こいつ。空を飛んでやがるぜ」
「バードだよ。この野郎は
使っているのがバレたところで地面に優雅にとフワリと着地する。
PSI飴。超能力飴の名前のことだ。噛み砕いて飲めば一定時間だけ超能力が使えるようになる。
本当の正式名称はサイアメっていうんだけど、アタシ達は面倒だから略してサイと呼んでいる。
この荒浜ではPSI飴を持っている人は珍しくはない。かくいうアタシもその一人だ。それにしても、敵は三人か。全員倒せなくはないわね。
なんせアタシには秘密兵器があることだし。
「きなよ、アタシがお姉さんの代わりに相手してあげる」
「誰だか知らないがヒーロー気取りかよ、お嬢ちゃん。後悔させてやんよッ!」
風を切って勢いよく殴りかかってくる不良の拳をすんでのところでかわして、その隙に腹に膝蹴りを叩き込んだ。
アタシに殴りかかってきた不良はその場で腹を抑えてうずくまる。
これで一人っと。
「まだ言ってなかったんだけどさ。アタシ、喧嘩けっこう強いよ。それでもヤる?」
「上等だよ。ゴルァァァッ」
掴みかかってくる別の不良をジャンプして避ける。
まだ効いていたバードの効果で自分の背丈より高く跳べる。
掴みかかろうと前のめりになった不良の背を蹴って地面へとごあんなーい。
アタシの体重が乗って、より勢いよく地面に叩きつけられた不良はそのまま動かなくなる。
どうやら気絶したようね。これで二人目ね。
身体の浮くような感覚が消えていくのがわかる。
三分経ったから、PSI飴の効果が切れたんだ。
PSI飴の効果時間はどんなもの三分って決まってるから。
「さぁ、残るはあんた一人だけど、どうする? まだ、アタシとヤるの?」
「少しは喧嘩慣れしているじゃねえか」
「まぁね。それなりにアタシ修羅場くぐってるから」
「余裕な態度じゃねえの。でも、こいつを使われたらその態度も改まるんじゃねえかな」
奥にいる不良がポケットから包み紙に入った飴を取り出す。
直感でわかる。アレはPSI飴だ。
どんなやつを飲もうとしているのか知らないが止めなきゃやばい。
拳で殴りかかって止めようとするも、誰かに腕を掴まれる。
振り向くと先ほど膝蹴りを当てた不良だった。
「おいおい、俺を忘れてもらっちゃ困るぜ」
「クッ――!」
アタシの右腕を掴んだ不良に空いている方の左腕でぶん殴って引き剝がそうと試みる。思いっきり殴った結果、不良のあごへとクリーンヒットし、そのままズルズルと倒れ込む。引き剥がすのには成功したけどさ……。
アタシが揉めている間に奥にいる不良は飴をガリガリと噛んで飲み込み、ニヤリと笑う。もうすでにPSI飴の能力を発動していることだろう。
あぁ、やっちゃった……。ただの不良だと思って完全に油断していたわ。
「PSI飴を使っているってことはパワーは知っているよな」
飴を飲んだ不良が地面を勢いよく殴る。
不良の拳が地面にめり込み、引き剥がすと砕かれたコンクリートがぱらぱらと落ちていく。拳はまったくの無傷だ。
常人離れした光景を見せつけられ、アタシは内心まいったなと思う。
そのPSI飴の厄介さを知っている分なおさら。
「これがそのパワーだ」
パワー。飴を飲んだ使用者の筋力や皮膚を大幅に強化するPSI飴。
一対一でやり合うならこいつを上回るのはなかなかない。
「いやいや、そんなの持ってるなんて……アタシ聞いてないんだけど……」
「俺らもテメェが喧嘩強いなんて聞いてないからおあいこだな」
パワーを飲んだ不良が勢いよく殴りかかってくるのをとっさによける。
拳は近くの自動販売機にめり込む。
中に入っていた缶が砕けたのか、ジュースが溢れ出す。
あぶなっ! なにすんのさ! こんなの一発でもくらったらお陀仏じゃん! いやいや、勘弁してよ。こんな喧嘩程度で死にたくないってのっ!
不良は自動販売機から拳を引き抜こうとするがひっかかって抜けない。
思いのほか馬鹿で助かった。今がチャンスね!
アタシはズボンのポケットから別のPSI飴を取り出す。
ジェットと書かれた飴をガリッと噛んで飲み込む。
これはハッカが微量に入っているので息がスーハーする。
バードの不味さに比べればこっちの方がマシだ。まあ、向こうの方が使い勝手がよくて便利だけど。
アタシの様子を見ていた不良が咄嗟に口を出す。
「バードでパワーを飲んだ俺に勝てるわけねえだろ」
「アタシが飲んだのはジェットだよ」
「あん? 足をスポーツカー並みに速くする薬を飲んだところでそれが……。まさか……」
「足をスポーツカー並みに速くする薬でさ、思いっきり蹴ったらどれくらい痛いんだろうね?」
「や、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
冷や汗を流しながら、叫ぶ不良にアタシは無情にもこう告げる。
「もう遅えよッと!!」
足を後ろに引いて思いっきり回し蹴りを不良の顔面に叩き込んだ。
あまりの衝撃からか不良はそのまま意識を失う。
顔が完全にノビてる。
あーあ、やりすぎちゃったかな、これ。
まあいいか、過ぎたことはしょうがないしょうがない。
それよりもっと……。
不良のポケットから手を入れてごそごそと探し回る。
色々とゴミが混じってるわね、レシートとかPSI飴の包み紙とか。
……あった。
「戦利品としてこのパワーは貰っていくから。あんたたちが持っていてもロクなことに使わなさそうだし。……って、言っても聞いちゃいないわね」
自動販売機に拳がめり込んだ不良は意識がまったくなかった。
というか、これあとでどうするんだろう?
どうやってこっから腕を引き抜くんだろう?
まあいいや。自分で自動販売機を殴ったんだし、アタシの知ったことじゃない。
ジェットの効果が切れるまでしばらく立ち尽くして待っていると、お姉さんが駆け寄ってくる。
「助けてくれてありがとね」
お姉さんがこっちに向かって軽く微笑んで礼を言う。
艶やかな黒髪ロングに整った顔立ち、まつげは長い。
白いブラウスにこれまた同じく青いスカート。
清楚な格好がよく似合っていて、お上品なオーラが漂っている。
なるほどー、美人さんだ。不良たちが夢中になっていたのもわかる。
「いいってこと。それよりお姉さん、荒浜は初めて? よかったら案内してあげうようか?」
「ええ、じゃあお願いしようかしら」
「アタシ、
「随分と変わった名前ね。私は花咲楓っていいます。道案内よろしくお願いしますね、イオちゃん」
名前通り花が咲いたような笑顔を浮かべる花咲さん。
ほんと美人さんだ。女のアタシですらついつい、見惚れてしまう。
べ、べっつにそんな気はないんだけどね!
「……えっと、それで花咲さんはどこに行きたいの?」
「実は西時須社の本社に少々用がありまして」
「西時須社か……」
その名前を出されて顔をしかめる。
花咲さん、あの胡散臭い会社に何の用があるんだろ。
西時須社。PSI飴を製造している製薬会社でこの荒浜区を牛耳っている大企業。
表向きは善良な企業として振舞っているけど、裏では人に言えないようなことも山ほどしている。
西治須社はこの都市に住んでるアウトローたちにPSI飴を売って儲けてる。
大企業に対して警察は捕まえようと躍起になるもPSI飴をもらった不良らが暴れ出し、結果的に敗北しちゃう。
この件は荒浜抗争と呼ばれ、西治須社の恐さを知らしめる一因となった。
荒浜区は実は西治須社の人体実験場と言われてて、PSI飴がこんな不良たちの手にも渡っているのは治験目的。
この荒浜に本社を構えたのもPSI飴がどれくらい機能しているか知るため。
全てはよりよいPSI飴を作るために。彼らの目的は人工的に超能力者を作り出すことだと噂されているけど真実は定かじゃない。
色々と危ない企業なのだ。
「お姉さんね、実はそこの社員なの」
「へ?」
衝撃の告白にアタシは頭がフリーズした。
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