第6話 揺れ動く日常
訪問者たちが去った後、家の中には沈黙が広がっていた。父親は椅子に腰掛けたまま、頭を抱えるようにして動かない。母親もまた、私を抱えながらじっと黙り込んでいた。その表情は心配や不安で覆われており、私を安心させるどころか、逆に恐怖を煽った。
「……何があったの?」
自分の中で湧き上がる疑問を押し殺し、私はただ母親の腕の中で静かにしているしかなかった。まだ言葉も動きも自由にならない体が、こんなにももどかしいなんて――。
その日の夜、父親は家に戻らなかった。彼がどこへ行ったのか、母親が何度か窓の外を気にするそぶりを見せたが、言葉を発することはなかった。ただ、私を寝かしつけるときの彼女の手は少し震えているように感じた。
「父さんは大丈夫なのかな……」
心配する気持ちはあったが、赤ん坊の体にはどうしても限界があった。母親の温かい胸の中で、私の意識は次第に薄れていった。
翌朝、父親が家に戻ってきたのは日がすっかり昇り切った頃だった。疲れた顔をしているものの、大きなケガはしていないようだ。母親が何かを尋ねると、父親は少しだけ首を振り、短い返事を返した。
その後、二人は私を挟むようにして座り、しばらく何かを話していた。内容はわからないが、二人の顔には微かな覚悟のようなものが見える。それが何を意味しているのかは、私にはわからなかった。ただ、私の存在が二人にとって重大な決断を迫る要因になっているのは明らかだった。
数日後、母親は私を背中に背負いながら外に出た。初めての外出だった。空は高く澄み渡り、冷たい風が心地よく頬を撫でる。私の視界には広がる草原と、遠くに見える森が映っていた。
「……こんなに広い世界があるんだ」
大きく深呼吸をすると、清々しい空気が肺の中に満ちていく。赤ん坊の体で感じる感覚は少し違うけれど、それでも新鮮な風景に胸が高鳴るのを感じた。
母親は村のような場所に向かって歩いていた。家々がまばらに建っており、どれも簡素なつくりだ。近くで薪を割る男性や、何かを編んでいる女性たちの姿が見える。
「ここが……私のいる世界なんだ」
村の中で母親は何人かの人と挨拶を交わしていた。彼女たちは母親の背中にいる私を一瞥し、少し驚いた表情を見せることもあったが、特に何かを言うわけではなかった。ただ、その視線に潜むわずかな好奇心と警戒心を感じ取ることができた。
「私……ここでも普通じゃないんだ」
母親が足を止めたのは村の中央にある少し大きめの建物だった。入口には年配の男性が立っており、母親が声をかけると、その男性は頷いて中へと案内した。
中に入ると、室内は意外にも広々としていた。木で作られた長いテーブルと椅子が並び、その奥にはいくつかの棚が置かれている。棚には古びた巻物や壺のようなものが並んでおり、どれも使い込まれた印象を受ける。
母親が私を背から降ろし、そっと抱き直す。その視線の先には、中央に座る一人の女性がいた。その女性は厳格そうな顔つきをしており、落ち着いた雰囲気を纏っていた。
彼女は私を見つめると、鋭い目で私の体を観察し始めた。まるで何かを見透かそうとするかのような視線――その瞬間、私の中にまたあの光が湧き上がる感覚がした。
「……!」
私の手先から漏れる淡い青い光。女性は目を見開き、何かを呟くと、棚の中から巻物を取り出した。その巻物には見たことのない文字がびっしりと並んでおり、彼女はその文字を指差しながら母親に説明を始めた。
「この光……やっぱり普通じゃないんだ」
女性の表情には興味と緊張が入り混じっており、母親も不安そうな顔をしていた。この巻物に書かれていることが何なのか、私にはわからない。ただ、この世界において私が異質な存在であることは間違いなさそうだった。
女性が巻物を指差しながら語る言葉を、母親はじっと聞いていた。時折頷きながらも、その目には不安が消えない。私がこの場にいる意味――それが、次第に明らかになりつつあるのかもしれない。
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