増す線はリボンの
硝水
🎀✂️
十二月二十六日、二十六歳になった。いつものとおり半額のクリスマスケーキに、前日スーパーで買ったチョコプレートに不恰好な字。カタカナで書いたっていいのに、ご丁寧に漢字で記された柊の字。厳密には別物なのにプレートのデザインになっているクリスマスホーリーとマッチしていて、人は人の顔をほとんど髪型で判断している説などを思い出す。苺の隙間に蝋燭を突き刺して、マッチを擦る。お前は去年の残り。
「お誕生日おめでとう」
「どーも。しかし、嫌味かね」
「なんで?」
「なんでも何も」
売れ残ったクリスマスケーキは悪くない。環境や家計に配慮してそれを買う岩志も悪気はない。年始には私を置いてこの家を出ていくのだって悪くはない。でも、二十五過ぎたら行き遅れなんて昔聞いた喩えを思い出すから、今年ばっかりはやめてほしかったというのが本音で。
「あ!」
「うわびっくりした」
「柊、チョコケーキのほうがよかったんでしょ」
「違うわ」
そうだけど。チョコケーキのほうが好きではあるけど。毎年用意してくれているのに今まで味の種類なんか気にもしなかった彼女のことが私は本当に好きだった。
「じゃあ何がいけなかったの……字の汚さ……?」
「私はお前の字が好きだよ」
字だけじゃないけど。そんなことは言えないけど。
「て、照れるない」
可愛い顔になっている彼女から積み上げられた段ボールに目を逸らしながら、広くなってしまうなぁと思う。でも私はきっとここを離れられないだろう。
「岩志のくれるものはなんでも嬉しいよ」
嘘、結婚式の出欠確認ハガキは嬉しくない。けど。
「柊ってほんとうにあたしのことが大好きだねえ」
そうだよ。大好きだよ。なんでわかってるのにわかってくれないんだよ。苺ショートケーキを頬張る姿が広告の子役みたいな彼女が、そんな純粋の塊のような存在が、正式に誰かのものになってしまうことに堪えられなかった。
私達の苗字は魔除けだから、失っちゃいけなくて、二人でいればもっと強い効果が得られる。そんなことを考えていた中学二年生の私は二十六になっても成仏してはいなくて、未だにそんな迷信に縛られていて、おまじないめいた一緒にいるべき理由に縋っている。
私は式場にウェディングドレスで颯爽と現れて彼女を連れ出し外に待機していたブライダルカーをジャックしてどこか遠くへ逃げてしまうような傲慢さは持ち合わせていない。彼女が下した決断を否定したくはない。ただ、彼女自身が、それは間違いだったと気づいた時に戻れる居場所であり続けたい、それだけだ。
私と一緒にいることが間違いだと彼女が判断したのなら、それを覆す権利は私にはない。そんなのはもう、どうしようもない。だから私は欠席に○をつけるかわりに、出席にデカデカと×をつける以外にない。予定があって欠席なのではなく、ハナから行く気などないという意思表示。でも、そんな私のお気持ちが彼女の今後の生活にノイズをかけることになるなら、こんなハガキはそもそも貰わなかったことにしてビリビリに破いてしまったほうがいい。そもそもどうして一緒に住んでるのにハガキをわざわざポストに投函するんだ。消印までついてるし。
「おーい」
「はっ」
「柊もう眠いの?」
「いや、別に眠くは、あ、えっと、ある」
「煮えきらねー」
「眠い!」
「全然眠そうじゃなくて草」
「でも明日も早いし」
「明日から冬休みでしょお」
「あっそうだっけ、そうか、そうだわ……」
いかん、じゃあ、あと一週間は何者にも邪魔されず彼女とゆっくり過ごせるんだ、嬉しいな。これで最後だけど。
「どうしたんだよー柊、アラサーに片足突っ込んだのがそんなに悲しいの?」
「違うわ」
リブの伸び切ったジャージの袖でぐしぐし顔を拭われながら、こんな服向こうに持っていくなよ、絶対置いていけよ、と思う。
「よしよし、歯磨きしようねえ」
先に顔を洗わせてもらい、並んで歯を磨く。鏡越しに彼女の顔を見ていると、逆にどうして今まで一緒に暮らせていたのか不思議になってきた。そうだ、今までがおかしくて、ただ、普通に戻るだけなんだよ。
「ねえ柊、そっちで寝てもいい?」
「ふぇ」
「寒いもん、今日」
彼女のベッドはもう解体してしまっていて、たしかにリビングは暖房効率が悪いから、ひとところに集まると省エネルギーで暖かい、それは、そう。
「いいけど、狭いよ」
「いーのいーの」
ぎゅうぎゅうと押されるまま布団に丸められる。彼女の足はもこもこ靴下越しでも冷たいのがわかって、あんかをそっとそっちに押しやった。
「へへ、ありがと」
「んーん」
「こんな日々がずっと続けばいいのにな」
?
「え」
???
「思わない?」
「いや当然のように思ってるし、続けたいなら、続ければよいのではないですか……?」
あ、私、今、傲慢な女発動した。ちゃんと持ち合わせてた。どうしよう、このまま何もかも崩れ去ってしまったら。布団を手繰り寄せて抱き締める。
「できないよ」
「そう、だね」
「でも、柊がそう思ってくれてること、知れてよかった」
「わだじぼ……」
彼女が、私の発言ひとつで自分を曲げるような人じゃなくてよかった、曲げてほしいけど、それは正しくないから。
「また泣いてるのー?」
「だって岩志がいなくなるのに……」
「いつでも会えるよ」
「いつでもは嘘」
「うん」
「いつでもは嘘だ……」
彼女が布団の端を掴んでぐいぐい引張ってくる。冷たい手が頬に触れた。
「いつでもは嘘だけど、また会えるよ」
「やくそく……」
「はいはい」
小指を絡めて物騒な歌を口ずさむ。彼女に針千本飲ますことはないけど、私が自分で飲むことはあるかもしれない。この歌に背いたらどうなるんだろう。
「水槽が必要だね」
「なんで急に」
「ハリセンボンを育てないといけないじゃん」
「フグ目・ハリセンボン科」
そうはならんやろ。約束破った友達に飲ませるためにハリセンボン育ててる女嫌だよ。
「ま、必要ないと思うけど」
「そうならば非常によいことですが」
いつのまにか同じ温度になった手をにぎにぎとすると、彼女もにぎにぎとかえしてくる。
「ねえ、式きてくれないの?」
「いかない」
「柊の選んでくれたドレス、見てほしいのに」
「もう見たもん」
第三者の目としてフィッティングに連れて行かれたので。でも、私は、彼女に一番似合うドレスを指差さなかった。だから、行かない。行けない。私の前でだけ完璧で可愛い彼女でいてほしいなんて。
「じゃあ、名前を呼んで」
「岩志」
「ファーストネームのほう」
「やだ」
「なんで?」
「こっちの台詞」
狭いベッドで布団を取り合いながら、こんな日々がずっと続けばいいのにな、と思った。そうだよ。そんなことは、私のほうが、ずっと前から。
「そんなに嫌ー? 私が岩木になるの」
「お前はインコと金庫を誤差だと思えるのか?」
「さすがに思わないかも」
「そういうことなの」
「そういうことかあ」
約束、守れなくても守ってくれなくても別によかった。彼女が育てたハリセンボンを飲むために、私はまた彼女に会えるので。
増す線はリボンの 硝水 @yata3desu
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