【3】貴女はわたくしの旦那様

 黒い髪に赤い瞳を持つ人間は、数少ないが、古くからここ東都で生まれていたらしい。

 待遇も『人間』と同じ扱いだった。

 だが、〈悪死鬼〉の登場により、彼らの待遇は大きく変わる。

 〈悪死鬼〉に似た色合わせは不吉の象徴だと、忌み嫌われ、迫害を受けた。

 一時期は〈悪死鬼〉に転じるのではと疑いを持った過激な者たちから、『鬼狩り』と称して命を奪われたこともあるのだという。

 長く続いた悲劇の時代は、およそ百年前に唐突に終わる。

 東都を支配する高位貴族たちに、黒髪赤目の子が立て続けに産まれた。

 当然、黒髪赤目の子は不遇の対応を受けたようだが、彼らはいずれも突出した能力を持ち合わせていたのだ。

 例えば、優れた頭脳を持ち、没落しかけた家を建て直した。

 あるいは、魔術の素養に秀でていて、〈悪死鬼〉を焼き払い、多くの人々を救った。

 そして彼らは皆一様に、美しい容姿を持って生まれた。

 それから貴族の中で、黒髪赤目の扱いは一転したのだ。

 黒髪赤目は幸運の子。幸運をもたらす、美鬼であると。

 次第に、貴族だけではなく、平民にも同じ思想が広まった。黒髪赤目は誰からも愛される存在となったのだ。

 だからこそ、『奴隷』としての価値も高い。

 黒髪赤目の奴隷は稀少価値が高く、好事家たちの中では高額で取引されていると聞く。

 彼もまた、それを目的に攫われたのだろう。


(明らかに、身なりは貴族の子息なのだが……。人売りの度胸には恐れ入るぞ)


 呆れつつもどこか感心するヒバナに、サクヤは耳元で興奮気味に囁いた。


「おいおい、やったじゃねーか! 黒髪赤目の美男子なんて高く売り払えるぞ! それともウチで男娼として働かせるか?」


「なんと、浅ましい……」


「分かってねぇなぁ。俺は敏腕有能経営者なんだよ」


 こいつも大概である。ヒバナは軽蔑した視線を向けるも、当の本人はケロリとした顔をしていた。


「馬鹿を言うな。どこぞの貴族の子息であれば、わたし達が彼を攫ったと疑われるのも、あり得るんだぞ?」


 平民であるヒバナの言い分を、果たして聞き届けてくれるか。自明である。

 ヒバナはベッドの傍に寄ると、男の上半身を助け起こした。


「貴殿。怪我はないか?」


(しかし、ぞっとするほどの美貌だな……)


 遊郭〈夜鷹〉には選りすぐりの美男美女が揃っている。だから美形は見慣れていると思っていたが、彼はなかなか絶世の美男子であった。

 ヒバナが穏やかな声色で問いかければ、男はまだ意識がハッキリとしないのだろう、曖昧に頷く。


「それは重畳。どうやら貴殿は、人売りに攫われたらしい。だが、その人売りは〈悪死鬼〉に喰われ、命に危機が及んでいた貴殿を、このわたしが助けたのだ」


 ヒバナは恩を売るように、わたしが助けた、を強調して言う。

 混乱しているようなので、今のうちに思い込ませるのが大事だ。

 彼の手をそっと握る。意外とゴツゴツした、大人の男の手をしていた。


「もう、何も恐ろしくはないよ。貴殿を脅かす存在は、退けたのだから。自由の身だ。だからな、安心するといい」


「……」


「わたしを、頼ってくれ。貴殿の役に立つと約束する」


「そう、ですか……」


 男の声は若く、想像に違わず、清淑なそれである。

 優しく語りかけると、男は長い睫毛を伏せ、何やら考え込むように黙り込んだ。

 物思いに耽るような姿は、一枚の絵のよう。うっかりすると、溜息がこぼれでそうな美しさだ。


「つまり、貴女様はわたくしの命の恩人であると」


「ああ」


 そうそう。命の恩人はいくら謝礼を貰えるだろうか。卑しくもヒバナは考えた。


「そして、わたくしは貴女様の、所有物になったと」


「ああ…………って、は?」


 頷きかけて、ヒバナは目を瞬かせる。

 男は艶然と微笑んだ。

 見る者によっては、国が傾きかけないそれだった。


「お買い上げいただき、ありがとうございます、旦那様。今後とも末永く、よろしくお願いいたしますね」


 そろり、とベッドから降りた男は、床に跪いて、ヒバナの手首を恭しく手に取る。

 彼の柔らかなくちびるが、ヒバナの手の甲に優しく触れた。


「一夜と言わず、生涯。わたくしの躰も心も、すべて、貴女に捧げましょう?」


「………」


 どうしてこうなったのだろう。

 ヒバナは予想外の展開に困り果てて、サクヤに縋るような視線を向けた。

 だがそれは彼も同じだったらしい。唖然とした顔で、「冗談だろ?」と呟いていた。


 ***


「ええと……貴殿は、その……」


 ヒバナの頭の中は疑問符でいっぱいだった。

 聞きたいことはたくさんあるのだが、まず、何から聞けばいいのか。

 視線を泳がせながら、ふいに、彼が床に跪いたままであることに気づく。


「その、貴殿の姿勢は辛いだろう? 病み上がりであるのだし、横になるといい」


「旦那様を立たせておいて、わたくしが寝ているわけにも参りません。……しかし、ご用命であれば、従いましょう」


 この男、物腰こそ低いが、なんだかちょっと、めんどくさい性格をしているらしい。


「わかった。頼む。寝台で寝てくれ」


 ヒバナが雑に頼むと、男は嬉しそうに微笑んだ。


「旦那様は大胆なお方ですね。他の殿方もいるというのに、閨事のお誘いだなんて……」


「ね、閨っ!? 違う、病人は大人しく寝床で横になれと、そう言ったのだ!」


 ヒバナはギョッとして言い直した。

 常日頃から「テメーは言葉が足りないんだよ」と、サクヤから注意されているが、ここまで極端に言葉の意味を取られたのは初めてである。

 声を張り上げてから、ヒバナは後悔した。

 発言こそ怪しいが、黒髪赤目の美貌の男は、身なりが上流階級のそれなのだ。

 やんごとなき身分の者であれば、ヒバナの振る舞いは不敬にあたる。場合によっては物理的に首が飛んでしまう。

 だが、男はヒバナの言葉に従って、素直にベッドに横になった。

 爽やかすぎる笑顔の裏で、何を考えているのか、さっぱり分からない。

 正直胡散臭すぎる。

 とんでもないものを拾ってしまったと、内心頭を抱えるヒバナに、助け舟を出すように横やりを入れたのは、サクヤだった。


「なぁ、おにーさんさぁ。アンタぁ、どこの家のもんだ?」


「どこ、とは?」


 どこかとぼけたように首を傾げる男に、サクヤは率直に切り込んだ。


「テメーがどこの貴族の坊ちゃんだって、聞いてんのよ」


 サクヤも口の利き方がまるでなっていないが、日頃から「俺の生家ってすげーのよ?」と豪語している。ヒバナは鼻で笑い飛ばしていたが、今はその言葉を信じたい。


「わたくしは、とある高位貴族に囲われていた……奴隷のようなものです」


「ほー、奴隷ねぇ……」


 男をジロジロと不躾に見るサクヤの呟きは、しかし納得しているように思えた。

 黒髪赤目は幸運をもたらす。

 彼は持ち前の美しさもあって、そのとある高位貴族とやらに愛玩されていたのだろう。人形のように、美しく着飾られて。

 待遇は奴隷とは天と地ほどの差があるだろうが、境遇はそれに違いない。


「ええ。わたくしにはひどく、耐え難い暮らしだったのです。幸運にも屋敷から逃げ出す機会を得ました。そこを、人売りに攫われたのでしょうが、途中から記憶がなく……」


 男は美しい顔の半分に手を当て、申し訳なさそうに口にするが、連れ去るのに気絶させられたのだろう。覚えていないのも無理がない。

 話を聞いているうちに、ヒバナの胸には同情が湧いた。

 意識を取り戻したら家へと帰そうと考えていたが、彼に戻る意思はないようだし、元の場所に帰すのも躊躇われる。

 奴隷の身である彼だが、身を立てる手段はいくらでもあるだろう。

 何しろ彼は美しいのだ。

 けれど、再び人売りに攫われる、その危険は一生付きまとうだろう。

 元の場所に返してやろう、と安易な方法は選べそうになかった。


「旦那様?」


 ヒバナが静かに考えを巡らせていると、男は首を傾げて問いかける。

 旦那様。仕事柄男装はしているし、男扱いは慣れている。

 だが、そのように呼ばれるのは初めて、ヒバナはどうにも居心地が悪い。


「すまない。わたしのことは、ヒバナと呼んでくれないか?」


「ええ、ヒバナ様」


 まるで宝物を愛でるかのように、とろけるように甘い口調で、男はヒバナの名を呼んだ。

 これはこれでむず痒い。


「いや、様はつけなくともよいが……。えっと、君、何と呼べば?」


「名はありませんので、お好きにどうぞ」


 名前がないなんてことあるか、と言いかけて、ヒバナは飲み込んだ。

 彼は奴隷だ。本来の名を捨てるよう、逃げた家で躾けられたのだろう。


「そんじゃ、仮に名前をつけてやるか? 『赤目』とか『美鬼』とかどう?」


「安直すぎるだろう……却下だ却下」


 即興で思いついたらしいサクヤの案を否定して、ヒバナはそれとなく思い浮かんだ名前を口にする。


「そうだな……『ツバキ』は、どうだ?」


 ヒバナの好きな、赤い色の花だ。

「色の連想ならテメーも似たようなもんじゃねーか」とサクヤはぼやくが、男はいたくお気に召したようだ。

 赤い瞳をキラキラと輝かせて、コクコクと頷いている。


「素敵な名前を授けてくださるのですね、わたくしの旦那様は……!」


「だから、ヒバナと呼んでくれ」


「申し訳ございません。ヒバナ様。ですが、貴女はわたくしにとって、生涯の旦那様。呼び間違えてしまう不手際も、たまには見過ごしていただけますか?」


「……ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、待ってくれ?」


(生涯の、旦那様ァ?)


 そう言えば、彼は目覚めてから一貫して、ヒバナを『旦那様』と呼んでいる。

 つまりどういうことだろう、と考えないようにしていたけれど。

 合点がいったらしい。サクヤはニヤリ、と不敵に笑うとヒバナに言った。


「おいヒバナ。テメーが最初に言った通りになりそうだなぁ?」


「は?」


「この兄ちゃんが目ェ覚める前に言ってたろ? 『人売りは死んだ。奴隷は拾ったわたしのものだ』ってな」


「ええ」


 美貌の男――ツバキはにこやかな笑顔で頷く。


「そちらの殿方の仰る通りです。……すみませんが、貴方とヒバナ様のご関係を伺っても?」


「俺ェ? サクヤだよ。ここの遊郭〈夜鷹〉の主で、こいつの……まぁ父親みたいなもんか?」


「なるほどなるほど、お父様でしたか」


(全然、違うのだが)


 ヒバナが訂正を入れる前に、ツバキは訊ねた。

 絶世の、凄みのある笑顔で。


「では、お父様。貴女の娘さんを、わたくしの旦那様にしても、よろしくて?」

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