第3話 暗い僻地

 シュナは拘束されたまま馬に揺られていた。


 最初は抵抗していたものの、どこにも捕まらず馬に乗せられているという状況が恐怖心を無駄に煽り立てた。不本意ではあったが、同行する黒髪の男の腕に身を委ねて大人しくするシュナ。

 男の顔を見上げてみるが、特に何の感情も浮かんでいない。


 先程収容されていた屋敷からもう随分走ったような気がする。高かった日も落ちようとしている。目に入る景色は、人や家の雑踏から長閑のどかな田園へと変化していた。


 広い耕地をぼんやりと眺める白髪の女に、アルヴィスは悟られないよう一瞥をやった。




 シュナを乗せた馬は平地を通り過ぎ、森の中へと入った。さわさわと心地よい音に耳を傾けていると、短い森を抜けて視界が開ける。


 人気のない所にぽつんと一つ家があった。二階建ての、世辞にも立派とは言えない建物だ。


 男はシュナを担いで家に入ると、隅に乱雑にシュナを放った。


(……汚い)


 外見は年季の入った味のある家だったが、一歩足を踏み入れれば、全く手入れのなされていないただの物置小屋だ。

 古びた机に椅子、傾いた棚、使われている形跡のない暖炉や穴の開いたソファが秩序なく置かれている。

 窓は煤で汚れでもしているのか、室内に少しも陽の光が差し込んでいない。だと言うのにランプの一つもなく、男の足音だけが近づいたり遠ざかったりしている。


 積る埃に咳き込み、身を起こして壁に寄りかかるシュナ。

 男はシュナを一瞥すると猿轡だけを解き、さっさとどこかへ出ていってしまった。


「……?」


 咀嚼しきれない状況に、シュナは一時思考を停止させた。


♢♢♢


 埃っぽい部屋の片隅に座り込み、シュナはじっと静かに考えていた。

 連れてこられた場所、あの黒髪の男の素性、連れてこられたのに何も求められていない理由。悶々と考え込んでは、出ない答えにため息をつく。


(おそらくここは、帝国ツァルのどこかだろう。カレンシャの被害はどのようなものだろうか……)


 砂漠の国カレンシャ。貧しくも景観の美しい良き国。東部の大公領は水がよく得られるため、鍛冶や麦作で栄えている。


 シュナの見た光景が正しければ、大公は死に、国王軍は全滅している。民家には火が放たれていなかったため、暫くは混乱するだろうが、また新たな指導者が統べることになるに違いない。


 そしてその新たな指導者は、ツァルの皇帝から信任を受けた人物になるはずだ。

 広大な領土を持つ帝国ツァルは、周辺国家に対して武力侵攻を繰り返し、今尚その猛威を伸長させている。侵略した地域から人も知恵も金も巻き上げ、そうして更に強大化するのだ。


 あれだけ呑気に構えていた王国軍だ、何の苦労もなく皆殺されたことだろう。殺されに行ったといっても構わない。


(しかしあの男、アルヴィスと言ったか。単なる同名でなければ、ツァルのアルヴィスと言えば皇帝の第一の子であるはずだ)


 一番目の皇子なのだから、もっと良い生活をしていても良さそうなものだ。しかも、皇子自らが戦地に赴き敵を壊滅させていくという事態は、少なくともカレンシャでは尋常ではない。


(噂通り、随分恐ろしい男だ)


 シュナは、カレンシャで聞き及んだ帝国の話を思い返す。


 皇帝の子を最初に宿したのは、寵愛を受けていた異民族の愛妾だった。そのため一番目と言えども、その子は庶子の立場に位置づけられた。

 翌年、貴族の出である美しい正妃が子を成した。皇帝は血統を重んじる帝国の伝統に則り、二番目の子に第一帝位継承権を与える。


 一番目の皇子はその無情な強さを恐れられ、二番目の皇子派に城を追われてしまった。追い出された先の北方で、元皇子は獣になった──らしい。


 噂の真偽は定かではないが、案外本当なのかもしれない。


「……化け物め」


 胸の内の毒が、思わず口をついて出る。

 シュナは、あの夜の爛々と輝く金色の瞳を思い出した。あの時、一口で食べられてしまうような恐ろしさを感じたのだ。

 容赦なく他者を蹂躙できる強さこそ、上に立つ者に必要である。迷いなくそう思わせるほど、シュナは男に畏れに近い恐怖を感じていた。


 その恐怖を思い出したのか、それとも単に部屋の寒さが堪えたのか。シュナは身震いをすると更に身を縮こまらせた。


「……そう言えば、私は矢で射抜かれていたはずだ。生きていたか……」


 脇腹と二の腕が多少ズキズキと鈍く痛むが、大したことはない。たった今痛みに気がついたほどだ。まあ衛生的に悪いこの空間で暫く過ごせば、二次的に悪化するような気もする。


(……私は、何のためにここへ……)


 最後の疑問が頭をよぎるが、それよりも強くシュナの瞼を睡魔が襲う。

 その心地よい睡魔に誘われ、うつらうつらと眠り込んだ。

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