1.3


 怒りっつー感情も相手を選ぶもんだ。


 たとえば電車の中で、急に後ろから髪を引っ張られたとしよう。

 振り向いたらそこにいたのが禿げたおっさんで、引っ張った理由が仕事でむしゃくしゃしてて誰でも良いから痛がらせたかったっつーんなら、キレて良い。

なんなら殴ってもいい。


 だが振り向いた先にいたのが母親に抱っこされてる赤ん坊で、自分が何してるのかも分かってねえような存在なら、赤ん坊にキレるのは理不尽だ。

 「ガキのしたことだから」で許すし、怒るとしてもせいぜい母親の管理不行き届きや謝罪の欠如に対してだろう。


 マトモな人間は、理性がある人間とそうじゃない存在とで態度を明確に使い分ける。


 詰まるところ今の俺の状況もそれと同じだ。


 人間に対する善意やらボランティアを強制されてるって考えると、嘔吐感で胸がムカムカする。

 理性ある存在から善意を食い物にされて、利用されてることを自覚する時の不快感は筆舌に尽くし難い。


 だが相手が人間じゃないんなら、動物の世話と同じように認識できる。

 犬や猫に餌をやって世話しても、搾取されてると感じるバカはいない。

 なぜなら相手は人間のように理性ある行為主体じゃねえんだから。


 などと自己暗示をかけながら、俺は風呂場で狐を洗っていた。

 そのまま部屋に寝かせるにはあまりに汚いので、シャンプーで洗いシャワーで流し、ドライヤーで毛を乾かす。

 本来なら犬用シャンプーとか使うべきなんだろうが、今日の一回くらい人間用でもよかろう。


 体を洗われる間も、イネさんだった狐あるいは狐だったイネさんは眠り続けた。

 すぴすぴと寝こける狐を自分の部屋に置き、俺は一階へと降りていく。


 俺が二年前にこの街に帰ってきてから居候してる家は、一階がカフェ、二階が住居になっていた。


「爺さん。客の入りはどうだ」

「いつも通り閑古鳥だねぇ」


 カフェのカウンター。

 俺の祖父にあたる鷺原幹広が小さく笑う。


 かつては婆さんと二人三脚で店をやっていたが、婆さんが亡くなり今は爺さん一人で経営しているカフェとまり木。

 そこはいいように言えば「昔ながらの」喫茶店だった。


 パッとしない外装と看板。棚には珈琲豆やらトロフィーがごちゃつく、年季の入った木のカウンター。

 やや油でベトつく薄汚れた床。

 ドリンクメニューは、シンプルなコーヒー類とジュース。

 食事は流行から程遠い味付けのカレーやチャーハンやナポリタン。


 店内はこのご時世でもヤニカスの常連たちのために喫煙オーケー。

 おかげで店にヤニの臭いが染み付いてやがる。

 タバコが嫌いな俺はこの空間で飲むコーヒーを旨いと感じたことがない。

 コーヒーの旨さは九割が香りだと考えてる俺のような非喫煙者には到底好きになれないカフェだろう。

 その証拠に、店に来るのは昔馴染みの地元のヤニカスたちと、迷い込んできてヤニ臭さに辟易しすぐに出ていく若者ぐらいだ。

 新しい客はほとんど定着しない。

 そうして昨今のブームで乱立した近所のカフェに客を持っていかれ続けてるのが現状だ。


「王雅くん、晩御飯はどうする? 今日もカレーが余ってるんだけど」


 作ったはいいが注文が入らないせいで、軽食のカレーもロス廃棄となる。

 まあ料理もさして旨いわけじゃないからそうなる。

 俺は腹の調子を確かめる。胃が空なのでがっつり食いたかった。


「じゃあもらうわ。原価で」


 そうして俺は、爺さんにカレーの原価分を払う。


「家族なんだから払わなくていいっていつも言ってるのに」

「仮にそうだとしても借りは作りたくない。対価は払う。俺はそういう生き物だ」


 今日も店の奥の席でタバコをふかしている常連のジジイと一言二言交わすうちに、今日の晩飯がよそわれる。

 そして俺はカレーとサラダを手に二階の自室に戻った。


 イネさんがカレーの匂いにほんの少し鼻をひくつかせる。

 だが起きる気配はなく、ビジネス書が山積みされた俺の部屋ですやすやと眠り続けた。


 そういえば犬は玉ねぎ食うと中毒になるらしいが。同じイヌ科のキツネは玉ねぎとか大丈夫なんだろうか。起きたら何食わせりゃいい?


 なんてぼんやり考えつつ、鞄から教科書を取り出す。

 飯を食いながら今日授業でやった内容を復習し、明日やる範囲の予習も終える。


 食器を洗い、冷やしてたエナドリを手にパソコン前に座ればいよいよ仕事モードだ。

 常連のクライアントから請けていた依頼の動画ファイルと指示書を開く。

 この常連からは、はじめは動画編集業者の仲介サイトで仕事を請けていた。

 だが、繰り返し仕事を請け負いビジネス上の信頼関係を築くことで、今や仲介サイトの中抜きナシでダイレクトに仕事を請ける関係になっていた。


 向こうからすると仲介手数料を抜いた安い値段で依頼ができる。

 俺も仲介料を引かれるよりも高い値段で仕事を請けられる。

 ウィンウィンだ。


 この常連は現在、ウィーチューブという動画サイトにゲームプレイ動画を投稿する実況者だ。いまは登録者がようやく一万人までいったくらいだが、贔屓目抜きに、今後さらに伸びることが見込まれる相手でもある。

 実況スタイルは、高難易度ゲームをやり込んでバグすれすれのテクニックをも駆使して変態的プレイを魅せるというもの。

 だが時におっちょこちょいでミスしたり、高難易度ゲーム特有の理不尽なゲームオーバーにキレる様を見せたりもする。

 卓越性とエンタメ性のバランスがとれた実況者で、視聴者ウケも悪くない。


 そうした実況者の持ち味を活かす形で、俺もプレイの見せ場を切り抜き、キャプションをいれてエフェクトや効果音をつける。そうしてどうすれば元動画の旨味が最大限引き出されるかを考え編集する。


 この常連と契約したての頃は、編集の方向性や魅せ方を細かに指示されていた。

 だが今やとくに細かいオーダーもなく、企画内容だけ説明され「あとはいつもの感じ」で片が付く。細かい打ち合わせが不要なのでストレスフリーに仕事ができる。


 こうした関係を築くにあたり俺も相応の投資をしてきた。

 俺はずっと、この常連にはサービスでサムネイルとタイムスタンプも作ってやってきた。

 こうすることで他の動画編集業者との差別化をした。


 動画投稿サイトでは、視聴者は動画のサムネイルを基準に見る動画をクリックし選択する。なのでこのサムネイル画像が見づらかったり、動画の面白さを予感させなければ再生されづらくなる。クリックされやすいサムネ作りにもコツがある。タイトルとは異なる文字をキャッチーに入れる、ファン層の好みを反映する、文字のサイズとカラーにメリハリをつけ配置する、コミュニティガイドラインに抵触しないものにするなど、色々ある。

 俺には動画のハイライトとなるシーンを切り抜き、さも面白い動画だと視聴者に思わせ、期待をテキストで煽る才能があるらしい。

 その証拠に、常連も俺に委託するようになってからの方が再生数が伸びている。


 タイムスタンプはどの時間にどの内容の映像がくるかのお品書きだ。視聴者はそのお品書きから、これからくるだろう面白い内容を期待する。またこれがあることで、要らないシーンを飛ばしてお目当てのシーンから再生するときにも助かる。

なので動画投稿者からしたら、こうした仕事をやってくれる存在はありがたい。


 こうして常連は俺への依頼を継続するようになる。


 仕事上の信頼関係は、契約の遵守と細かな配慮により構築するものだ。

 契約は遵守。仕事は誠実に。報酬分の仕事を。これが俺のルールだ。


「今回の動画も……二時間のプレイを一〇分尺の動画二本に圧縮だな」


 動画編集一本の単価は八〇〇〇円。個人で請けるには悪くない値段である。

 俺は元動画をざっくり早回しで確認しながら、動画の組み立てを考える。どのシーンとどのシーンを繋いで、どのフォントでキャプションを入れて、どう効果音とエフェクトをかけるか。

 もはや慣れた仕事で、一瞬のうちに頭の中で組み上がる。


「じゃあ一丁やりますか」


 三葉に買わせた新作のエナドリをあおり、首の骨を鳴らす。


 そこからは時間が経つのもあっという間だった。


 元動画を切り取り、ファンの求める定番の変態プレイや失敗シーンをいい感じに繋ぎ合わせていく。

 そして動画全体のストーリーを「目標設定→チャレンジ→失敗→失敗→成功」の安定した流れで組み立てる。

 それが終わると動画に音声を合わせていく。

 読みやすいようテロップをつけ、要所でくどくないくらいにエフェクトをかける。

 画面の右上には今実況者が何をしてるか説明するシェイプも入れて、情報量をリッチにする。

 説明シーンにはフリー画像を挿入してわかりやすくすると同時に、画面の退屈さを消して動きを出す。

 色調補正で画面をより美しく見せ、サウンドエフェクトもあわせて……そうして「いつもの感じ」の動画が九割がた完成した。


 四時間の作業を一気に突っ走った。


 残る作業は、誤植などがないか確認し、気に入らない部分があれば修正を入れるくらいだ。

 なのだが、今それをやるとおそらく疲れてるせいでミスに気づけない。


 時計を見ると深夜一時半。

 一階でカフェの片付けをしてた爺さんもとっくに寝てる時間だ。


 程よい疲労感に包まれた俺はヘッドホンを外し、シャワーを浴びる。

 そして眠り続ける狐の毛並みを撫でて、布団にもぐりこんだ。


 布団に入って三分以内に意識を失うことは、正確には眠りでなく気絶というらしい。


 そんなどうでもいいことが頭をよぎるが、次の瞬間俺は意識を手放していた。

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