1.1 契約の誠実な履行こそ自己利益の最大化につながる。
善意という言葉を口にする人間ほど、善良さから程遠い。
たとえば「気にしないでください。善意でやったことです」とわざわざ言葉にする人間は、自分の善意性を強調する浅ましいクズだ。
友情という概念を使って関係性を規定する人間ほど、友愛から程遠い。
たとえば「頼むよ、俺たち友達だろ?」とか「気にするなって。俺たち友達だろ」とわざわざ口にする人間は、友情という概念を盾に関係性を押し付けるクズだ。
ボランティアを賛美する人間ほど、奉仕の精神から程遠い。
たとえば「みんなのボランティア活動で地域が良くなるよ」とわざわざ他人に奉仕を呼びかける人間は、四〇〇年前のアメリカに生まれていたなら奴隷商人として立身出世し南部の大農場に豪邸を構えただろうクズだ。そういう奴は大抵、休日にはボランティア活動などせずに酒を飲んで自堕落に一日を終える。まあうちのクラスの担任のことだ。
要するに俺は、善意・友情・ボランティアなどという言葉がゲロ吐くほど嫌いなのだ。
「ねえ、頼むって鷺原(さぎはら)! ウチらの仲じゃん。友情価格ってことでさ!」
「そーそー。善意のボランティアって感じで、頼むよー」
したがってこんなきったねえ言葉を放り投げてくるクラスメイトが俺は大嫌いだ。
たとえそれが女子だろうとギャルだろうと関係ない。
「契約しただろ。なら金払ってくれ。そっちはイディオグラムのフォロワー増やすよう俺に頼んだ。俺はフォロワーが一人増えるごとに一〇円払ってもらうっつーことで請け負った。期限内に最低二〇〇〇人増やせなかったら報酬はナシって破格の条件でな」
俺たち三人だけの、夕陽がさす教室。
俺は管理を任されていた二人のアカウントを見せる。
新設されたばかりのSNSのアカウントは、それぞれ五〇二四人と五一三五人のフォロワーを擁すまでに成長していた。
「五万ずつだ。端数はまけてやる」
「ちょいー、二人合わせて一〇万はエグいてー。なー。頼むよサギちゃーん」
「ウチらバイトしてても五万はキビいって! あ、そうだ今度ウチらのバ先のマック来てよ。フードコードとかでなんか奢ったげるからさ。それでチャラってことでヨロ!」
身を乗り出す二人。ゆるい襟元から谷間がのぞく。
俺は、高一にしては豊かな双丘から目をそらした。
「俺の労働はマックの安い飯と等価か? 悲しいぜ。動画を三本ずつ編集した。フォロワーが増えるようにこまけえアカウント管理もした。時給換算してもマックは安すぎだ」
ついでに言うと、二人のアカウントについたフォロワーはボットじゃはないアクティブなユーザーだ。
アルゴリズム上、投稿の評価はアクティブフォロワーの数に左右される。俺がまっとうに稼いだフォロワーは、二人のアカウントが今後伸びる上で高い価値をもつ。
「そ、それはそうだけどさぁ……だからって五万はエゲちいっての! さすがに学生どうしでそんな金のやりとりしたら、担任のムラ先もキレるって」
「じゃーさー。ご飯プラス、ウチらリサたゃとマオちゃみが一日デートしたげるってのでどーよ? 嬉しかろー男子?」
「あ、いいじゃんそれ! 学年で付き合いたい女子トップ・ツーとデートできんだよ! 鷺原今彼女いないっしょ? てかこれまで彼女いたことある?」
俺はこみ上げる苛立ちを殺すように奥歯を噛み締める。
どうもこのアバズレ二人は、自分たちとのデート一日に五万の価値があると勘違いしてるらしい。
性的市場価値が高いJKでもわりと無茶だろ。少なくとも俺は払わん。
容姿に自信があるならパパ活でもして稼げ。そしてその金を俺に払え。
しかしさすがにこれをクラスの一軍女子へ言ってしまうと翌日から俺のクラスでの地位が危うい。リーマンショック並みに株価はストップ安だ。
それはさておいても。
一人めのリサが口にしたとおり、こうした学生間での高額のやりとりが学校側にバレるとめんどいことになるのは確実だった。
俺はただでさえ教師から目をつけられやすい外見をしている。
そんな俺が女子という「弱者」に大金を要求したことが露見すると、これまでつちかってきたなけなしの信用が一気に崩壊する。
大ごとにでもなろうものなら、大学受験のための内申書にも響きかねない。
結論。
支払いをゴネるこのアバズレたちから債権をとりたてられない。詰んでる。
大人相手に仕事をしてきたせいで、「働けば報酬が出る」なんて常識に甘えすぎていた。
世の中、そんな常識が通用しねえ相手なんてごまんといる。
契約する前にそういう手合は弾かなくちゃならんはずだった。
だのに俺はそれを怠った。
なんてヌルい思考をしてたんだ、クソが。
動画編集とSNSコンサルティングの対価としては当然すぎる報酬。一般社会では当たり前の対価、否むしろ破格。
なのに、学校なんていう閉鎖社会ではそれが通用しない不条理。
学生という不自由極まりない身分がこれほど怨めしいとは。
「おー、サギちゃん照れてる? かわいーじゃん」
俺の脳内計算なんてつゆ知らず。マオが俺の沈黙を照れと誤読する。
もはや返す言葉も思い付かず、俺は無表情に立ち上がり二人を見下ろす。
だが俺の一八〇センチの身長、眉から頬まで走る傷跡、ヤクザのヒットマンなどと揶揄される強面も、脳みそハッピーセットのギャル二人には通用しなかった。
「てか鷺原マジゴツいね。腕とかもめっちゃ太いし。なんか鍛えてる? カッケーじゃん。鷺原ならデートしたげてもいいよ!」
「あー確かに、サギちゃんいい体してんねー。しゃーねーな、デート行ってやるべ?」
そしていつの間にか、あっちがデートを「してやる」側にまわっている。
どうやらギャルというものがこの世界、最強であるらしい。
地上最強のクリーチャー二匹は適当なことを言いながら俺の腕をつつく。そしてマオが腕に胸を当てるよう抱いてくる。
俺はこみ上げるものを抑え、口に手を当てる。
「えぇ? 照れて顔隠すとかめっちゃ可愛いじゃん鷺原! ギャップ最高かよキャハハ!」
「ありゃー、サギちゃんには刺激強すぎた? さては童貞だなー貴様―」
リサとマオがキャッキャと盛り上がる。
「……帰る」
俺は口に手を当てたまま、足早に放課後の教室を出た。
「ジュンジョーすぎんぜサギちゃーん。デートまた今度なー」
「お姉さん二人が童貞のエスコートしたげるから楽しみしてろよ!」
背中にかかる能天気な声を無視して、俺は男子トイレの個室に鍵をかけた。
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