不死蝶
畝澄ヒナ
不死蝶
森の中を『一人』彷徨っていた。
「今回はどんな人なのかしら」
不死の蝶である私、カルネの使命は人の願いを叶え続けることだ。
願いを持つ者の前に生まれ、願いが叶えば灰として消える。そんな儚い存在として生きる私は、今回も願いの気配を頼りに人間を探していた。
「あら、あそこに誰かいる」
遠くのほうに、白いボロボロの服を着た青年が立っていた。私はそっと青年に近づき、顔の前で静止する。
「蝶々?」
青年は私に手を伸ばし触れた。その瞬間、脳裏に青年の願いが浮かぶ。
『幸せになりたい』
こんな曖昧な願いは初めてだった。しかし、それを叶えるのが私の使命。
「あなた、だいぶ不思議な願いを持っているのね」
私は人間の少女へと姿を変えた。願いを叶えるために神から授かった、どんな姿にもなれる力。
青年は当然のように驚き、私から距離を置いた。
「き、君は一体……」
大抵の願いはすぐ叶うから、私が姿を変えることはあまりなかった。人間の欲から出る汚い願いは、そんなことしなくても簡単に叶えられる。
私は仕方なく自己紹介をすることにした。
「私はカルネ、あなたの願いを叶えるためにやってきたの。さあ、あなたの名前は?」
白地の着物に赤い花柄を纏い、何の迷いもなく私は青年の目をじっと見つめる。
「僕は海都。僕の願いって、何のことかさっぱり」
海都という青年は、あざだらけの顔や腕を掻きながらおどおどと目を逸らした。
ありえない、願いを持っている自覚がないなんて。
「人間というのは不思議ね。自分のことなのにわからないなんて」
私は彼の手を掴み無理やり連れ出そうとしたけど、彼は咄嗟に手を振り払った。
「いきなり何するのさ!」
呆れた。こんな森の中で閉じこもっていたって何も変わらないのに、そんなこともわからないの?
「こんなところにいたって腐るだけよ、森の外に行きましょう」
「ちょっと!」
私はもう一度彼の手を引き、森の外へと歩き出した。
市街地まで来た私たちは、白く光る石のタイルがびっしりと敷き詰められた道を、手を繋いで歩いていた。
「ねえ、どう? 『幸せ』?」
「いきなり連れ出されて幸せなわけないだろ!」
そんなに怒ること? 私にはわからない。
しばらく沈黙が続く。彼の顔は一ミリも変わらない。
「じゃあ人間は、何をもって『幸せ』と言うの?」
私の質問に、彼はぶっきらぼうに答える。
「そんなの知るわけ……」
彼の言葉が止まった。目の前を見ると、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべた男三人が立っていた。
「よお、海都。女連れてるなんて珍しいじゃん」
「でもさあ、海都には合わねえよな」
「お嬢ちゃん、俺たちと一緒に行こうぜ」
男の一人が私の手を掴み、連れて行こうとする。隣を見ると、ひどく怯えた様子で身構えている彼と、殴りかかる男たちが目に入った。
「や、やめて」
なんて卑怯な男たちなの。二対一で彼を殴って、その隙に私を連れて行こうだなんて。お願いだから、私にそんな汚い光景を見せないで。
「やめなさい!」
私の声で一瞬男たちが怯んだ。彼は尻餅をついて震えていた。
「海都! 立ちなさい!」
名前を呼んでも彼はうずくまっている。
「お嬢ちゃん、こいつは弱虫なんだ。こんなやつより俺たちについてき……」
「うるさい! あなたたちに言われる筋合いはないわ!」
その言葉で男たちの目が変わった。
「せっかく俺たちが優しくしてあげてるのによお、その態度は何だよ!」
男の一人は容赦なく、私に殴りかかってきた。
どこまでもクズな男たちね。
私は男の拳を受けとめた。
「これ以上私を呆れさせないで」
「こいつ……!」
男が三人がかりで私に襲いかかってきた。私は蝶の姿に戻り、彼の元へと向かった。
「さあ立って、逃げるわよ!」
彼は依然として動かない。私は、また姿を変える。
「もう!」
馬になった私の背中に彼を乗せ、勢いよく走り出した。
私たちはまた、森の中に舞い戻る。
「海都、しっかりして」
「だから出たくなかったんだ、森から」
俯いて泣き続ける彼の背中を、私は人間の姿になって優しく撫でることしかできなかった。
「ごめんなさい、次はあなたのしたい事をしましょう」
彼にとっての幸せとは、何なのだろう。
「一度家に帰るよ。この先なんだ」
森の小道を少し進んだところに、小さな木造の家屋が建っていた。
「ただいま」
彼は誰もいない部屋に向かって挨拶をする。私は不思議でならなかった。
「どうしてなの?」
「何が?」
「誰もいないのに『ただいま』と言うのはどうして?」
「いるよ、ほらそこに」
彼が指差したのは、女性の写真が飾られた仏壇だった。部屋には線香の匂いが漂っている。
「僕の母さん。先月病気でね……」
そうか、彼は元々『幸せ』だった。
「今はこれっぽっちのお金で同じような生活をしてる」
彼の日常から、突如として『幸せ』は消えた。
「母さんが亡くなった日から、僕の時間は止まったままなんだ」
彼の『幸せ』とは、共に笑える存在がそばにいること。
「海都、私を見て」
彼の目は潤んでいた。母親を失って、散々な目に遭い続けている彼に、私は初めての感情を抱いた。
「私がいるわ。出会ったばかりだけれど、あなたのことをなぜか放っておけないの」
「同情してるの?」
「『同情』?」
これは『同情』と言うらしい。悲しくもなぜか、温かい。
「森に僕のお気に入りの場所があるんだ」
今度は彼が、私の手を引いて歩き出した。
彼のお気に入りの場所を巡っていく。
「かくれんぼしましょ」
「え、え?」
「あなたが隠れて、私が鬼ね」
「ちょ、ちょっと」
「よーい、どん!」
半は無理やりに始めたかくれんぼだったけど、彼は戸惑いながらも隠れてくれた。
三十秒数えて、犬の姿で彼の匂いを辿る。
「わんわん!」
「うわあ!」
見つけられた彼は驚いて尻餅をついた。どうやら私だと気づいてないらしい。
「ふふ、私よ」
「か、カルネ?」
照れた彼は、少し可愛かった。
こんなに『楽しい』と思ったのはいつぶりだろう。でも何か『辛い』。
「ねえ、海都」
彼は不思議な顔をする。
「今、『楽しい』?」
「うん!」
笑顔な彼に、胸が痛む。
「あ、着いたよ」
最後の場所は、水面に月が浮かぶ、森の最深部の泉だった。丁度満月が私たちを照らしている。
真実を伝えなければ。
「海都……」
「ん?」
「実はね、あなたの願いが叶うとね」
体が徐々に灰になろうとしている。彼は心から思っているのだ。
「私は消えるのよ」
笑顔でそう言ってみても、目から雫が落ちる。
「カルネ、体が……」
「海都、『幸せ』?」
どうしよう。彼の願いが叶う事は『嬉しい』はずなのに、なぜか『辛い』。
「カルネが消えたら、また僕は……!」
「なかないで」
もう上手く声が出ない。彼の顔もぼやけてきた。
「カルネ、カルネ!」
「しあわせ、でね」
そう告げた私は、灰となって夜の空に散った。
何も見えない、何も聞こえない、何も感じない空間で、私は願った。
『海都とずっと一緒にいたい』
その瞬間、一筋の光が私を誘う。
「カルネ……?」
目を開けて一番に見たものは、心配する海都の顔だった。
「あれ、私、何を」
姿が人間のままだ。海都がまだ目の前にいるということは願いは叶ってないの?
でも何かおかしい。
「カルネ、おかえり」
「え?」
おかしなことを言う海都に全てを聞いた。
一度灰になった私が再び集まり、人間の姿でまた再生した。不思議なことに、もう人間以外の姿にはなれない。
もうずっと止まっていた時が、動き出した。ずっと歳をとらなかった私が、不死蝶だった私が、人間として生まれ落ちた。
神様が叶えてくださったのだろうか。もう私に特別な力は何一つ残っていないけれど、海都といる今はとても、『幸せ』だ。
不死蝶 畝澄ヒナ @hina_hosumi
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