第22話 はるかなる日々

 ……………………………………………………




 真新しい装丁の表紙を開き、頁をめくる……

 彼女の旅の記録は、祖国を脱出するところから始まっていた。


 彼女自身の出自の詳細を想像させる描写は上手くぼかしてあったが、そんな状況で彼女が取ったと記されている行動は、思っていたよりも荒々しかった。改めて知る、彼女の思い切りの良さと度胸の大きさに圧倒されつつ……私は、夢中で彼女の著書を読み、足跡を追体験していった。


 ……海に出て三日目で食料が尽き、水をちびちびと飲みつつ運良く降り始めた雨水も啜って、陸地にたどり着いたと記されている。彼女を見つけた時には、それほどの困難があったとは思えなかったのだが、やはり大海原を漂流するというのは想像を絶するものがあったのだと、あらためて思っていた。


 漂流を続け、やがて死を意識し始めた段に始まる、彼女の祖国での記憶の回想──

 彼女の国では、それが正しいことだと教えられてきた数々が、自分の中で崩れ始めていく心境、思い立って海に出た決意。そんな気持ちを胸に、やがて彼女は島へと流れ着いた。


 灯台島に漂着してからの思い出は……読んでいて少々恥ずかしさも感じるほどに、赤裸々に綴られていた。私という人間は、傍から見るとこんなふうに見えているのだと、改めて分かることも多かった。全く……読んでいて飽きないどころか、頁を捲る手を止めてくれない。

 せっかくの新冊……大事に読もうと思っていたのだが、この分だと一晩で全て読み尽くしてしまいそうになり、夜半を過ぎる頃には流石に躊躇し始めていた。

 


 続きは明日にとっておこうか────残りの頁が少なくなったところで、ようやくその考えに至った時、巻末に……何か挟んであることに気付いた。



 パラパラとページを捲ると、二つ折りの紙がはらりと落ちる。

 それを拾い上げて、開き


 私は────息を呑む。




『 Dear Ricardo Connolly.親愛なるリカルドへ


 どうです?

 私の言った通り、後悔していることでしょう?

 私がこんなを書くとは夢にも思わなかったことでしょう?

 だからあの時、私と一緒にいることを選んでおけばよかったものを!

 そうすれば、共著者としてあなたの名前もこの本に記されていたかもしれませんよ

 うふふふふっ♫  』




 ────そんな書き出しで始まっていた、彼女からの手紙……。


「ロアン……」


 懐かしい筆跡とともに、

 彼女のいたずらっぽい笑顔が脳裏に浮かんで止まなかった────

 こんな私に、彼女は文をしたためてくれたのだと、心が暖かくなる。



『……私は今、帝国の田舎で小さな一軒家を借りて執筆に励んでおります。

 こちらの風土は、四季豊かで景色がとても鮮やかで……

 まるで空想していた桃源郷のようでした。


 しかし、いいことばかりでもありません。 

 こちらの人たちは皆、親切で優しいのですが、過剰に立ち入ってくるようなところもあり、執筆に集中している時にお料理のお裾分けなどを持ち込まれると思考がそちらに引っ張られてしまって……せっかく浮かんだアイデアを何度失念してしまったことでしょうか。

 食べ物はどれも美味しいのですが、最近では服が着られないほどに太ってしまったりして、大変な苦労をして体型維持に努めております。

 本当に、物事とは表裏一体、いいことばかりではありませんね。

 そんなときには、島での静けさやあなたの素っ気なさが懐かしく思えてなりません……いやいや! こんなことを書くつもりではありませんでした! 私としたことが……!  』




 ────震えるため息とともに、自分の唇が自然とほころんでいくのを感じた。

 彼女は、変わらずに元気そうだ。

 彼の地で、今もその創作の翼をひろげていることだろう。


 ……私は、手紙の続きに目を落とす────。




『今更ですが、資金の援助本当にありがとうございます。

 帝国に旅立つ際に、軍の将校さんに聞きました。

 こちらでの生活の足しになるようにと、あなたが相当額を私に持たせてくれていたことを。お陰で、私は何不自由無い暮らしを送ることができています。

 資産家の家に生まれ、お金には不自由したことのない私ですが、ここで暮らしているとその異質さが身に染みて分かります。あの裕福な日々は、決して誰にでも手にすることができるものではなかったのだと。

 そして、それに気づくきっかけをくれたのが、ほかならぬ貴方であったことも。

 こういうことを貸し借りにするのはお嫌いかもしれませんが、この御恩はいつか必ずお返ししたいと思っております。

 或いは、この本が売れれば案外すぐにお返しできるかもしれませんよ?』




 …………きっと、売れますとも

 あなたの感性は、他の誰でも持ち得ないものです

 これだけの著書を形にできたのですから

 それこそ、私が出した金額など霞んでしまうほどに──── 




『あれから、劇画の執筆はお進みでしょうか?

 あなたの描いた本が、いつか帝国の書店にも並ぶ日が来るかと思うと、興奮で夜も眠れぬほどです。私が待ちわびているのですから必ず描き上げてください。ですが、ネット配信はいけません、AIに支配されたあれは創作の魂を揉み消してしまうものですから。必ず本の形にしてくださいね。

 完成の暁には、私が最初の読者になってあげます。

 先に誰かに見せることは許しませんよ? 』



 ふふふ……

 ありがたい申し出ですが、

 書籍化するには編集者に先に見せなければならないのです。

 まあ、それについては黙っていればいいことでしょう────



『あなたも、私を想って……今もあの孤島で焦がれていることと思います。

 無理もありません。

 あの日々は、わたしたちにとってかけがえのない日々だったのですから。

 それが為に、この本は完成したと言っていいくらいなのです。


 想像の力で生まれた著書に導かれ、あの島で出会った

 そこに必然を感じないはずがありません。

 私達の出会いは、きっと前世の星の海で既に確定していた道だったのです。

 星の海の女神と共に、あなたの書いた本は今も大切に読んでおります

 そしてこれからも読み継いでいくつもりです

 それは貴方も同じでしょう。

 

 私もあれから様々なことを学びました

 一ついいことを教えましょう

 この惑星は大抵の場所からなら、必ず夜に月が見えるのです

 南極であろうと北極であろうと、赤道直下であろうとも

 そうです、あなたが見ている月は

 なんと! 私が今見ている月と同じ月なのですよ

 その月に向かって想いを紡げば、それは必ず私のもとに届くのです

 私にぶつけたい思いの丈があるのなら、月に向かって遠慮なく叫びなさい

 私が許可します

 時差は? などと野暮なことを考えてはいけませんよ。



 最後に……


 私がコノリー姓を名乗っていることに驚いているかもしれませんが、どうせ偽名ですし法律上の問題は一切ありません。そもそも、あなたに拒否する権利など無いのです。悔しかったら、直接会いに来て取り返してみせなさい。


 もちろん、返せと言われても返上するつもりはありませんけれど。

 元はといえば、あなたが私の願いを断ったのがいけないのです。

 ……もちろん、

 あれが貴方の本心でないことも分かっています。 』


 

 ──え、そうなんですか……?

 自分でも初耳です──



『創作を優先しなければならないということも。

 ですが、あなたの欠点は女性の気持ちへの配慮が足りないことです。

 心は繋がっていると分かっていても、不安になることもあるのです……。

 目に見えるもので、自分を支えたくなることだってあるのです、

 仕方がないんです──

 この国には、

 かつての私を覚えてくれている人は一人もいないのですから


 だから、これくらいは甘んじて請け負いなさい!  


 今はまだ、その時でないことは分かっております。

 いつか、あなたの本が完成した暁には……

 その本を持って、私に会いに来てくれることを信じております。


 創作には現実を変える力があることを教えてくれた、あなたなら

 いつか、かならず────


               From O M Loan Connolly.  』




 ……随分、先走った想いのぶつけ方だと思った。

 それこそ、私の真意などどこ吹く風……

 君にとって、私は甲斐性なしの冷血な男ではなかったのですか?

 それなのに、ここまでまっすぐに想いをぶつけて来られるものなのか。


 だが、今は……彼女のその傍若無人さがただ、心地よかった。


 ロアン…………

 私はこの島で、君をずっと心に留めておこう

 そして、いつか必ず会いに行こう。

 だから、もし叶うなら、

 私がこの本を書き上げるまで……待っていてくれますか?

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