*
「……大丈夫なんでしょうか、母は」
次の間に出た京嶌家の面々を代表し、診察を終えて部屋を出てきた祖母の主治医の伊藤という男に、伯父の勝也が尋ねる。
「今は安定して眠っています」と伊藤は応えた。「ただしあまり良くはない」
もともと起き上がれるような体調ではなかったが、無理をしてしまった故に意識を失ったのだろう、とのことだった。
「……長くないというのは、本当だったんですね。話すだけで倒れてしまうなんて」
思わず忠が呟くと、「気がついた時には末期の癌だったんだ」と伯父が言う。
「うちの病院で入院か、自宅療養か、という話になって、自宅療養を選んだ。私と美穂は遠くないから時折様子を見に来ているんだが、つい数日前にどうしても死ぬ前に忠たちの顔が見たいと言い出したからな……」
「それで、連絡を取ったんです、叔父さんに」
美穂が言葉を引き継ぐ。彼女の言う叔父とは忠らの父のことだ。
「そうだったんですか……」
「いきなり知らない場所に呼びつけてしまって済まなかったな。忠、陽葵も」
「いえ、祖母のことなので。それも母が帰省したがらないので会ったことがなかったんですし……」
顔を合わせたことのない孫に会いたい。出奔した娘には孫を会わせる気がなくとも、娘が死に、かつ自分も死に際なのだから――と祖母は考えたのだろうか。
ただ、一つ気になることができた。
忠は伯父と叔母を見る。
「……あの、母は高校卒業より前に家を出たんですよね。家出同然に出てきたんでしょうか。卒業後ならともかく、卒業前に突然出奔なんてかなり特殊な気がしますけど」
家出同然だったのなら、実家と縁を切っていたとしてもおかしくない。が、その割には母は兄妹とはそこそこ仲が良かった。 三兄妹は全員異なるタイミングで京嶌の家を出てそれぞれ家を頼らず身を立てているが、数年に一度は互いの家を行き来している。伯父が母と叔母を繋ぎ、母が死んでからも忠たちは時折伯父叔母と会っていた。
高校卒業前の突然の出奔。
少なくとも卒業まで待てばいいものを、一体どういう経緯で、母は家を出ることにしたのだろう。
「さあ、詳しくは……。あたしはその時小さかったし……兄さん繋がりで姉さんときょうだい付き合いが再開した時も、その時のことは姉さんに聞いたことなかったから。でも、なんだかんだ姉さんの自由にさせたんじゃないかと思うわよ。兄さん、何か知ってる?」
「……いや、正直、私もどうして真衣が高校をやめてまで家を出たのか、未だに皆目見当もつかない。敦子はよく覚えてないだろうが、それまで、真衣は普通だったんだ。普通に高校に通って……本当に突然、突然家を出る準備を初めて、すぐに高校退学手続きを取って、慌ただしく家を出た」
「母が祖母と揉めたりは」
「特に、していなかったはずだ。私も大学生で、忙しくしていたから確信はないが、母は受け入れていたように思う」
「そう、なんですか」
祖母は受け入れていた。つまり勘当じみた家出ではなかったということなのだろうか。
「……それ」その時、幸也がぽつりと呟いた。「やっぱり、じいちゃんとのことがあったからなんじゃないのか」
「こら、幸也。お前……」
「いや、だって見たんだろ? 親父。真衣さんが家を出る数日前、うちの死んだじいちゃんが真衣さんと蔵で言い争ってたところを」
「……えっと、そうなんですか?」
忠が賢一に目を向ければ、柔和な印象の従兄伯父は額の汗を拭いつつ、「ああ、まあ」と困惑まじりに頷く。
「確かに父の賢二郎と激しく言い争っていたかな。内容までは知らないが……その後すぐに真衣さんがこの町を出ていかれたのは本当です」
まるで、何かから逃げようとすべく――と賢一が言う。
そして母は出ていったまま、結局死ぬまで一度も楊梅町には帰らなかった――。
重苦しい沈黙が、その場を満たす。
「――あの」
気まずい次の間の空気を、最初に破ったのは陽葵だった。手を上げる動作こそ遠慮がちだったが、親戚連中を見渡す目は祖母のように強い意志の光を秘めている。
「カカ様ってなんだか、知ってますか?」
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