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「わかってはいたけど、すごいお屋敷ですね」
「お母さんってこんなとこに住んでたの? お嬢様じゃん」
京嶌邸は観光客でごった返すグランピング施設からやや離れた山麓にあった。
立派な門構えである。門柱も冠木も太く、日本建築にさっぱりな忠も、門を一目見るだけで京嶌家のこの土地での力を察するにあまりあった。さらに塀で囲まれた土地全てが屋敷の敷地だと言われれば、驚愕のせいでまさしく開いた口が塞がらなくなる。
――京嶌邸に来るのは、忠も陽葵も初めてのことだった。というのもここの娘である母があまり実家を好かず、帰ろうとすることもなかったからだ。それどころか祖母が写真に撮られるのが苦手な人だということもあり、二人は祖母の顔すらよく知らない。
「姉さんは親戚と折り合いが悪かったのよね」
叔母に先導されて門をくぐり、土間に辿り着いて靴を脱ぐ。先にあった靴からして、伯父と従姉は先に来ているらしかった。
陽葵が、民家の沓脱石なんて初めて見た、取次もある、とはしゃいでいる。小学六年生の陽葵は和風の旅館にもろくに踏み入れたことがないはずなので、目新しいのだろう。
「京嶌は江戸時代から榛摺村の庄屋だったらしいんだけど。分家筋っていうの? 今は本家も分家もないようなものだけど、とにかく家族とまではいかない親戚の人たちとあんまり仲が良くなくて、町の高校通ってたんだけど、卒業する前に家出しちゃったのよ」
「へえ……あれ、でも、高卒前に家出したんですか? ですが母は大卒だったはずですが」
「高卒認定取ったらしいわ。一浪して結構いいとこ行ったのよね。文学部日本文学専攻。子どもの頃から古い本とか好きみたいで、古典がどうしても勉強したいって」
「はあ……それはなかなかの経歴で……」
両親の過去を掘ってみようと考えたこともないので、知らなかった。そこまで大学に行きたかったのなら、なおさらわざわざ高校を中退する意味がわからないが。
「ここよ。――母さん、入ります」
話していると、いつの間にか皆が集まっているという座敷の前に来ていた。
叔母が声を掛けて襖を開ければ、座敷には老女の眠る布団を囲むようにして四人の人間がいた。
忠らから向かって、布団の左側奥にいるのが伯父勝也、その娘美穂であることはわかる。ただ、向かって右側にいる眼鏡の男と若い男に見覚えがなく、陽葵と忠は一瞬視線を交わした。
「忠、陽葵。よく来てくれた」
「――伯父さん、美穂さん、お久しぶりです」
「こんにちは! えっと、それで、そっちのお二人は……」
「ああ、まだ二人は会ったことがなかったかな」
陽葵が見たことのない二人に目を向けたところで、「こんにちは」と柔和な声で眼鏡の男が言った。
「京嶌賢一です。私は君たちのお母さんの従兄弟にあたる。こちらは息子の……」
「幸也です。近くの法科大学院に通ってる。よろしくな、二人とも」
「あ……小野忠といいます。こちらは妹の陽葵」
「はじめまして」
陽葵が健一と幸也に会釈をする。母の従兄弟ということはつまり、従兄伯父と再従兄というわけだ。確かに、伯父には会っていても、なかなか従兄伯父とまでいくとそう会わない。
――すると。そこで、「来たのですか?」という声が布団の中から聞こえてきた。
全員が弾かれたように布団を見やれば、今の今まで眠っていたらしい老女が――ゆっくりと身を起こしたところだった。
「母さん、起きては……」
「大丈夫です、勝也。忠さんと陽葵さんはどこに……?」
背中を支える伯父が視線を向けてきたことで、忠は慌てて布団の傍に寄った。幸也が場所を空けてくれたので、忠は陽葵と共に老女――祖母月子の顔が見える位置に座る。
「俺が忠です……すみません、起こしてしまったようで」
「わ、わたし陽葵です。あの、騒がしくしてしまってごめんなさい」
「構いません。そう……あなたたちが忠さんと陽葵さんなのですね。――わたくしが月子。あなたたちの祖母です」
忠は、祖母の顔を見て驚いた。――寝衣姿の祖母は見るからに痩せ衰えていたが、それでもなお、驚くほどの美人だったのだ。
頬はこけているが、目には強い光が湛えられている。その凛とした顔立ちも、まるで名前の通り月の光にみがかれたような美貌である。
老いてこれほど美しかったのであれば、若い頃さはさぞかしたぐいまれな美女だともてはやされていただろう。思えば母も顔が整っていた。母の美貌は祖母の血筋だったのだ。
「ああ。特に、陽葵さん……顔をよく見せて」
骨の浮いた祖母の手が、陽葵の頬に伸びた。
祖母はそのままゆるりと陽葵のこめかみから頬を、輪郭にそって撫でる。
「おばあちゃん……?」
「ああ、確かによく……よく似ているものね。そう、あなたが……あなたたちが……」
陽葵によく似た色の、祖母の目が優しく撓む。
その整った顔に浮かべられたきれいな笑みを見て、忠も陽葵もつられて笑う。
「会えてよかった。――けれど」
そこで、唐突に祖母の雰囲気が変わった。
突然の空気の変化にぎょっとしたのか、陽葵が息を詰めたのが隣にいる忠にもわかった。
「あの、」
祖母の様子に異様なものを感じた忠が、彼女に声をかけようとしたその時だった。
祖母が、重苦しく口を開いた。――そして、言った。
「帰りなさい、陽葵さん。カカ様の祟りに遭う前に」
それきり、祖母はふらふらと力なく布団に倒れ込むと、そのまま意識を失ってしまった。
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