第一章

令和××年九月十九日 楊梅町―小野忠



 風が冷たい。小野忠は無言で自分の腕を抱く。


 小都会と言って過言でない自分たちの住む町とは違い、山に囲まれているこの地の風はひどく冷たく感じられる。山間の九月の下旬となると妥当なのかもしれないが。―― 家を出た時には秋晴れだった空も、数時間電車に揺られている間にいつの間にか雲が垂れ込めている。


 おまけにこの時期はたいして紅葉もしておらず、ただ忠たちの降りた小さな駅を囲む山々は、暗い青緑のままずんとそこに佇んでいた。機嫌の悪い時の妹の目の色そのままで、忠は密かにげんなりする。


「つまんない景色だね」


 身も蓋もないことをその妹――陽葵が言う。


 そんなことを言うもんじゃないぞ、と兄としては注意しようと思ったが、ほぼ同じことを考えていたため、忠は気まずく頬に掻くに留めた。


「……まあ、紅葉もしてないからな。でもお前、楊梅町の人達にそれ言うんじゃないぞ。つまんないとか」


「わかってるって。でも、せっかくなら山が赤くなってる時に呼んでくれたらよかったのになー」


「無茶言うなよ……」


 行くぞ、と言うと、忠はスーツケースの取っ手を持ち、歩き出す。陽葵もそれ以上は何も言わず、自分のスーツケースを持ってついてきた。


 忠たちは昨年から体調を崩したという祖母の見舞いに来たのだ。あまり遅れては祖母に会えなくなってしまうかもしれないのだから、紅葉は諦めるほかない。


 1


 忠と陽葵の祖母の住む楊梅町は、彼らの家――都心から電車一本で一時間ほどのところにあると思っていただきたい――からロマンスカーと電車を乗り継いで三、四時間ほど行った田舎に位置していた。


 二時間に一本電車があるかないかの田舎と言っても、特に閉鎖的な場所というわけではないらしい。昭和平成の大合併を経て町となり、今ではグランピングとキャンプの施設を中心に人で賑わう観光地だと聞いている。まあ、忠たちが楊梅町を訪れたわけは祖母の見舞いなので、グランピングは関係ないのだが。


「あ、来たよお兄」


「ほんとだ」


 建物ひとつない小さな無人駅から少し離れ、ぽつんとある自動販売機の横に二人で立っていると、やがて黒いミニバンがやってきた。


 二人してガラガラ音をさせながらスーツケースを引きずって車に近づけば、運転席の窓が開いて叔母が顔を出す。


「や! 来たわね、忠くん陽葵ちゃん。さ、スーツケース後ろに放り込んで乗って乗って」


「はあい」「どうも」


 挨拶もそこそこに、スーツケースをトランクに放り込み、忠と陽葵はいそいそと車に乗り込む。忠はシートベルトを締めると、「すみません敦子叔母さん」と運転席に声をかけた。


「わざわざ車出していただいて」 


「いいのいいの。それにしても久しぶりね。陽葵ちゃん、あたしのこと覚えてる? 相変わらずとびきり可愛いわ」


「えへへ~またまた敦子叔母さん。そりゃ覚えてますよー。叔母さんこそ、久々ですけど全然変わんないですね。若々しいっていうか」


「やだ陽葵ちゃんったらお上手。陽葵ちゃんこそさらに可愛くなって。……ほら、忠くん? 君は言うことないの。妹ちゃんに男前度合いで負けてるぞ」


「エッ……」


 えらく雑な叔母の運転により酔いそうになるのを堪えていたら、突然の無茶ぶり。


 忠が色々な意味でグロッキーになりかけていると、三半規管が丈夫な陽葵が「お兄はだめですよ」と馬鹿にしたように一言。


「ヘタレだからお世辞も上手に言えないの。こういうとこ本当お父さんそっくり。こんなんだから高二にもなってカノジョのひとりもいないんですよ」 


「義兄さんがヘタレそうなのは同意。優しい人なのは知ってるけどね。ところで陽葵ちゃん、お世辞っていうのは? さっきの褒め言葉のことじゃないわよね?」


「…………じゃないです!」


 少しの間の後、妹がそう言う。死ぬほど嘘臭え否定、と忠は思ったが、叔母は少し笑っただけでその後は特に文句も言わなかった。


 車の窓から見える景色は、山ばかりの田舎そのものという感じだったが、少しすると開けた場所に出た。何もない、と思っていた景色に、ぽつぽつと民家や店が見え始める。


 しばらく車内は無言だったが、ふと陽葵がこちらを見ると、小声で聞いてきた。


「……にしても、お兄。楊梅町って結構人来るのかな。思ってたより、真性ド田舎って訳じゃなさそう」 


「みたいだな。実際グランピングのホムペ見たけどめちゃ綺麗だったぞ。写真とか」


「えっ、ホムペなんてあるの? わたしも見よ」


陽葵が小さなうさ耳のついた、つるつるとしたカバーをつけたスマホを取り出す。持ちにくそうなカバーだなと思っていたら、画面にヒビが入っているのが見えた。何度か液晶から落としたことがあるのだろう。カバー手帳型にしろよ、と忠は思った。


「あホントだ。写真きれーだね、いいなーグランピング。本当にちゃんと栄えてるっぽいじゃん。山奥なのに観光地って感じ」


「施設の近くだとWi-Fiも飛んでるわよ。京嶌の家もWi-Fiあるし」面白そうに叔母が口を挟んでくる。「最近のキャンプブームで楊梅町、さらに賑わってるみたいよ。あたしは二人ほどじゃないけど町から離れたとこに住んでるから、よく知らないけどね。お母さんは賑わってることを喜んでたわ」


「おばあちゃんが……」


「楊梅町が榛摺村だった頃はそりゃもう閉鎖的なとこだったみたいだけど。変わったわよね」


 祖母は、榛摺村が今の楊梅町と名を変える前からの大地主である、京嶌家の実質的な当主である。祖母は若い頃には留学もしていたようで、それもあってか行動力と実行力に富み、夫を病気で亡くしてからは一人で京嶌の家を取り仕切っていたらしい。それだけでなく、積極的に楊梅町の観光地化を進たというので驚きである。


ブームでさらなる町おこしができるのは大歓迎だろう。


「まあグランピングじゃないけど、晴れてたら星も見れるかもな」


「えー見たい!」


 そう言い、目を輝かせた妹だが、不意に沈んだ顔になる。「……でも、栄えてるのかー。ちょっと残念かも」


「栄えてて何が残念なんだよ」


「いやわたし、ちょっと閉鎖的な村! みたいなのに憧れがあって。わたし、ほら、因習村系の作品が好きでさー」


「まず因習村がなんだよ」


「えーお兄知らないの? ホラーとかミステリのジャンルだよ。曰くや言い伝えがある閉鎖的な村が舞台で、その中でシャレにならない怪奇現象や事件が起きたりして、人がバタバタ死んで……ほらお兄ミステリならちょっと読むからわかるでしょ? 『八つ墓村』とか『犬神家の一族』とか……」


「やめてくれる?」


 京嶌家は田舎の大きな家なので、横溝正史の金田一耕助シリーズと重ねて考えるとあまり洒落にならない気がする。そもそも祖母はまだ生きている。


 忠は妹のデリカシーのなさに頭痛を覚えて眉間を揉んだ。


 すると叔母が「あっはは!」と爆笑した。「大丈夫でしょ。少なくとも犬神家にはならないわよ。よく覚えてないけど、あれって確か遺産相続争いのせいで殺人事件が起きてたわよね? 母さんのことだからお金はほとんど寄付したいって言うだろうし、土地なんて山ばっかだからあたしたちも貰っても困るし」


 何より、と叔母が笑う。「――あたしも兄さんもお金なら普通にあるし」


「人生で一度でも言ってみたい台詞すぎる……」


 ただ、祖母の子どもたちが遺産相続争いに興味がないのは事実だろう。


 何せ忠らの伯父の勝也は大学病院で医師をしており、叔母は都内の大企業の役員である。


 さらにはきょうだいの真ん中である母は亡くなっており、その夫の父は財産への興味が皆無だった。見舞いには自分は行かず、祖母の孫である忠と陽葵だけをシルバーウィークを利用して向かわせる始末である。財産に興味があったら、祖母の覚えをよくするために顔を出すだろう。


「だから何も起きたりしないわよ」


「叔母さん、それ、フラグですよ」


「やめろって。そもそも陽葵、お前がここに来たかったのってまさかそれが理由なのか」


 父は今回、陽葵を京嶌の屋敷に向かわせるのを渋っていた。母は生前、陽葵は楊梅町に行かすなと言っていたらしい。ただ結局二人でここまで来ることになったのは、祖母の強い希望があったからだ。


「何。悪い?」


「馬鹿だ……」


 馬鹿とは何よ、と忠が年の離れた妹と大人気なくやんややんややり始めたところで、車が止まった。


 どうやら、京嶌邸に着いたらしい。


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