コドクの華
日下部聖
独白
描く。絵具を掬い取り、筆に載せ、描く。
白いカンバスに筆を置き、引く。その、暗い色に惚れ惚れとする。魂が込められているようだと、思う。何度も、何度も、何度も、何度も重ねて、塗り、描く。重ねれば重ねる度、色が深くなる。濃く、潜るように、うつくしくなる。
絵を描くのであれば題材は何でも良いと、御当主様は仰った。ただ描けと、何でも良いから描けと、それがお前の傑作となるのだと。
――お前が■を作るのだと。
莫迦な。■はもともと居られる。そこに居られる。御当主様自身も昔、よくそうお云いであったように。私は卑賤な人の身であることを弁えながら、神の姿を描き出すのだ。
この褪せたような、それでいて何より美しい絵具で。
恍惚。
私にとっては、描くことは、悦楽であり、禁忌を犯すことと同義だった。だからこそ背筋が痺れるような昂揚と、畏れ多いものを目の前にした時のような畏怖を覚える。
そうだ。私は■を描くことを、絵を描くことを、恐れていた。畏れていた。この先私は呪われ、祟られ、きっと■はお赦しにはならぬだろうと。惨たらしく死に――死後は地獄へ堕ちるだろうと。
それでもやめられなかったのだ。私は其れに魅せられた。魅せられれば、可笑しくなるまま、筆を動かすだけだった。
ゴエ、と近頃村の民が私の描き出した神を見て云う。ゴエ――御絵。絵を、崇めている。■のことを、カカ様と呼ぶ。そうして拝む。
有難いものだと。これがなければ、ならぬと。この村は祟られ続けるのだと。
――違う。けして間違ってはならぬ。美しいものは、尊いものは、絵ではない。尊いものを、絵そのものであると、思ってはならぬのだ。
そもそも、時間が経つにつれ、歪んだ。その絵は、有難くはない。寧ろ、呪われている。描き出したのが、私にとっての■であるのは間違いない。
常に美しい■が最もうつくしく、神聖だった時の姿を、精魂込めて描いたのだ。
けれども、違うのだ。うつくしかろうと神聖に見ようとその絵は罪そのものだ。罪のかたちをしているのだ。この榛摺村をこの先長く蝕む罪なのだ。
――だが、私は描かずにはいられなかったのだ。
知らなければよかったものを。知ってしまったからにはもう戻れない。
あの、悪魔のような男のせいで! 私は罪に陥った!
――御当主様は絵を崇めよ、と仰る。
それが慰めになるのだと。■の祟りを鎮めることになるのだと。
真逆。慰めになどなるものか。罪は巡る。あるいは続く。罪の足跡を跡形もなく消そうなど無理があるのだ。
呪われた■の絵は時間が流れるにつれて、その意味を知る者はいなくなるだろう。
そうして絵は変質し、祟りは続き、あるいは呪いとなり、またさらに我々は罪を重ねるのだろう。知るものを消せ、と。
絵の中の■は、あの悪魔に穢されて尚、美しい。
■は孤独だった。独りだった。
すべては悪魔が、否、■に魅入られた私が悪いのだ!
嗚呼、これからこの地を染めるであろう惨劇が、孤独で哀しい■の、御心を痛めることがなきよう。
罪深き身なれど、祈って居る。
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