死者による焚き上げ
市民霊園の中ほどに立つ墓石に手を合わせ、俺とメイちゃん先生は顔を上げた。
買ったばかりの線香はきちんと二人分並んで煙を上げている。ついでに先生が吸いたいと言ったから、マルボロにも点けて並べてやった。
「母親の香炉を灰皿みたいに使うなよ……」
「お母さんも煙草好きだったから大丈夫。セッターだったけど」
先生はけろりとしてそう言う。銘柄の違う煙草を買えと言われなくて良かった。俺が未成年だからと妥協してくれたのかもしれない。
辺りを見回すとスクランブル交差点かと見間違うほどに死霊や有象無象の何らかが彷徨っていて、俺はなるべく彼らと目を合わせないように煙草の煙へと視線を移した。
肝心の先生の母親はどこにもいなかった。
「お母さんいないねえ」
「全員が全員、いつまでも現世に留まってないんじゃない?」
そこらを闊歩している人たちは四十九日の最中にいる者か、何かしらの思い残しをして留まっている人たちなのかもしれない。学校みたいに余所から流れてきた者もいるのかもしれないが、よく目を凝らせば鎖のようなものを足からぶら下げている人もいた。
ふとメイちゃん先生は俺を振り見る。
「芦峯くんのお母さんは?」
「……もうかなり前に死んでる」
普段だったらこんなのは一切黙っておくのだろうが、なぜか今日ばかりはそんな話をしてしまう。話し相手が既に死んでいるからかもしれない。
実の母親が俺を生んだ翌年に亡くなっていたというのは、俺も最近聞いたばかりの話だった。
「会いたいとかないの?」
「顔を見たこともないから、正直そういう気持ちが分からないな」
「そうなんだ……」
途切れてしまった会話を惜しむでもなく、先生も線香から上がる煙に目を落とした。ことり、と音を立てて左足の鎖が一本、切れ落ちる。
「人って、死んだらどこに行くんだろうね」
寺の養父は檀家に「仏様の元へ行く」だの「新しい生命へ巡る」だのと教えていたが、それすらも俺には定かではなかった。死霊が視える目をもってしても、いつの間にか誰も知らない場所に消えていくということしか分からない。
「お母さん、どこに行ったんだろう」
ぽつりと零した呟きは、誰にも拾われずに十二月の乾いた風に吹かれていった。
墓地を後にして、俺たちは近くのバス停に寄りバス待ちをすることにした。
日は高くなってきたとはいえ寒空は依然として暗く、雪でも降りそうだった。
「さあて次はお待ちかね! 元彼ん家いくよー!」
「……なんかちょっと楽しそうだな?」
馬鹿に明るい調子で拳を上げるメイちゃん先生に、俺は対照的にげんなりした気持ちでいた。「やっぱり行くのやめる」と言い出してくれないか、とここまでずっと考えていたのだが、踏み留まる様子は一ミリもなさそうだった。
あと二本になった鎖が、彼女の足取りを余計に軽くさせている。
ホームセンターで買った大きなビニール袋を両手に提げる俺は、改めて重い溜息を吐いた。
「いやあ、こうして復讐を手伝ってくれる生徒に恵まれて幸せだなあ、私」
「先生が元彼の元へ化けて出られたら、俺の出る幕はなかったんだよ……」
「またまたー、実は楽しみにしてる癖にー」
先生は笑って俺の背中を叩いた。その手は透けずに確かに俺を押し――突き飛ばされた形で、俺の身体は車道に飛び出した。
「――っ!」
すぐそこまで迫っていたバスをすんでのところで躱し、歩道に逃れて何とか事なきを得た。遅れて響くクラクションに、心臓が早鐘を打っている。
「あっぶね……轢かれるって! 先生、俺には触れられるんだから忘れるなよ!」
「あはは、ごめんごめん」
面白そうに宙で笑い転げる先生に、「笑い事じゃない」と俺は内心冷や汗をかいていた。
ここが元彼の家、と二階建てアパートに案内された頃には、もう昼下がりを過ぎて夕方に差し掛かっていた。
築浅らしいその建物は白い壁が眩しいワンルームといった佇まいだった。一階の角部屋に住んでいるらしい元彼の部屋の前で、俺とメイちゃん先生は声を潜める。
「本当に良いの?」
「うん」
「マジで後悔しない?」
「もう死んでるんだもん。別に殺すわけじゃないしへーきへーき」
威勢の良いことを言うが、その声はほんの少しだけ震えている気がした。未練が全くないと言えば嘘なのだろう。曲がりなりにも昨日死のうと決意するまでは結婚しようと思っていた相手なのだから。
「あーでも、最後にちょっと見てこようかな、顔」
「……うん、いってらっしゃい」
唇を引き結び、メイちゃん先生は意を決したように玄関ドアを透過して部屋へ潜り込んだ。
数分後。
再びドア越しに戻ってきた先生は、ちょっと声の掛けようもないほど泣き腫らしていた。ずびずびと鼻を鳴らす彼女に、俺はある程度の予想が付いたが一応聞く。
「……どうしたの」
「うう……元彼……あいつ、新しい女連れ込んでた……」
「分かりやすく寝取られてるね……」
「私の通帳とかカードとかが机に転がっててぇ……」
「うん……」
「で、まさに今からその女とおっぱじめる感じでぇ……」
「……聞いてごめん、皆まで言わなくていいよ」
聞けばびっくりするぐらいのクズ男だった。そんな男とよく結婚しようなどと考えていたな、と思わなくはないが、先生への
「もう後腐れなくやっちゃおう。やって、芦峯くん」
「はーい……」
俺は渋々、抱えていたビニール袋から手袋を取り出して両手に嵌めた。やるのか、ついに……。
ビニール袋いっぱいに詰め込んでいたそれらをひっくり返すと、大小様々な花火がお目見えした。さあ出番だぞ火薬ども。
手早く実行するために、バスでの移動中に外装を剥いでおいたそれらの火口を全て玄関ドアのポストに突っ込む。キャンプ用の液体着火剤も容器を潰しながら流し入れ、細々とした爆竹やねずみ花火も隙間にも押し込み、準備は整った。
太い火筒の導火線に先生のライターで点火する直前――ひとつ閃いて、一旦火を消した。ビニール袋に突っ込んだ手持ち花火の台紙を引き千切り、サインペンで殴り書く。
「手紙も入れとこうか。上手く燃え残るか分かんないけど」
「……あは、何それ最高!!」
覗き込んだ先生は噴き出した。折り畳んで部屋番号の隙間に差し込み、今度こそ導火線にまとめて火を点ける。
しゅうしゅうと音を立てるそれらを背に、俺たちは花火のゴミを抱えて一目散にその場を立ち去った。
数秒後、不発弾でも爆ぜたのかと錯覚するほどの轟音が住宅街に鳴り響いた。
実際にはポストに詰めたロケット花火が着火剤の力を借りて爆発しただけなのだろうが、一緒に混ぜておいたねずみ花火や爆竹なんかが良い仕事をしているらしく、アパートには似つかわしくないひゅんひゅんばちばちと危なげな音を立て続けていた。
灰色の煙が空に上がるのを、俺と先生は少し離れた電柱の影から眺めていた。
部屋で寛いでいた元彼と間女は焦るだろうな。突然玄関が爆発炎上するんだから。
「……ふ」
「あははは! めーっちゃすっきりした!!」
二人揃って笑いが込み上げる。最低だ。やり方は最低だけど、胸がすくような思いだ。
咄嗟に書いた『信じてたのに ――芽衣子』の手紙を読んで、元彼は青ざめるだろうか。少しは報いを受けたのだと思い知ってくれるだろうか。いや思わなくてもいいか。メイちゃん先生の顔が、今まで見た中で一番晴れていたから。
先生の足元で、ごとりと重い音を立てて右足の鎖が粉々になった。
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