死人の足取りは軽く
一限の途中で学校を後にした俺は、メイちゃん先生に案内されるがままに冬の街へと繰り出した。
一度教室に戻って上着くらい持ってくれば良かった。学ランだけじゃ十二月の朝はさすがに寒い。
「いやー、霊って快適だなぁ。寒さとは無縁だし、何かにぶつかる心配もないし」
震える俺を嘲笑うように、メイちゃん先生はそばで空中遊泳を楽しんでいる。電柱も標識も何もかもを透過し、白衣が寒空の下で鰭のように揺れていた。
両足首の鎖だけは変わらず重力に従って垂れていたが、移動は可能らしい。具現化した思い残しは特定の場所に縛るものではなく、あくまで現世と彼女とを繋いでいるのだろう。
「……外で話し掛けるのはやめてほしいんだけど。先生の声は俺しか聞こえてないんだから、俺だけぶつぶつ独り言言ってるみたいじゃん」
「えー良いじゃん、大丈夫だよ。皆すれ違っただけの他人のことなんて結構どうでも良いんだから」
それは確かにそう……なのだが、そう言われると俺だけ自意識過剰だと言われているようで何だか癪だ。
「……で、これどこに向かってるの」
「私の家! 死にに行く時さ、急いでて色々そのままにして来ちゃってて」
メイちゃん先生は先導するように住宅街へ角を曲がる。学校から歩いて行けるような距離に住んでいたらしい。最初の心残りだった煙草のこともある。一体俺は先生の自宅で何をさせられるんだろう。
こんな形で成人女性の居宅を訪れることに何の感慨も湧かないでいると、メイちゃん先生は前方を指差した。
「はーい、こちらが私の……あれ?」
透けた先生の向こうで、何やら人集りができていた。何が起きているかはおおよそ予想がついた。人垣の向こうで派手に炎と黒煙が上がり、辺りには消火活動にあたっていると思しき消防隊がたむろしていたからだ。
人の隙間から見た木造アパートだったらしいものは見るも無惨に焼け落ち、もうどこがどんな間取りだったのかも分からないくらいに焼失していた。
燃え残った「かただ荘」の文字は掠れ消えかけていて、恐らく築五十年は超えていそうだった。
「燃えに燃えてるね……もうあれ多分何も残ってないんじゃないか」
「……ああそう、ガスの元栓締め忘れたんだっけ」
メイちゃん先生が思い出したようにぽんと手を打つと、足元で鎖が一本切れ落ちた。
二つめの心残りってそれかよ。
確かに空気を嗅げば薄らと不快な可燃ガスの臭いがした。昨夜死のうと家を出た時に締め忘れたガス栓から漏れて引火したのだろう。
今時ガス栓締めないとガス漏れする家なんてあんのか。いや目の前にあったのか。だから燃えてるんだ。
「巻き込まれると面倒だから行くぞ」
先生をけしかけて、俺たちはさっさとその場を立ち去った。ここに長居して良いことはひとつもないだろう。
最後に振り見た廃屋には誰一人として死霊はいなかったから、幸いにも死人は出ていないということらしい。まったく、そこだけが救いだ。
全焼騒ぎから遠のき、目抜き通りに出て白い息を吐いた。
この調子で先生の心残りを探し歩くうちに予期せぬことが起こり得ない気がした。うっかり者の彼女のことだ、きっとろくなことを思い残してはいない気がする。
「あと三つの心残り、今思いつく限り教えて」
先に知っておいた方がいい。危険は少ない方が良いだろう。メイちゃん先生はさほど考える様子もなく人差し指を立てる。
「まあ一番先に思いつくのはさ、ほら」
「……元彼?」
「そうそう。もうこうなったら燃やしてやりたいよね」
目の前の地縛霊は清々しい笑顔を俺に向けた。
至極当然だとでも言うように言い放つな。この人が本当に教育者だったのかが疑わしくなってくる。
先生の金品を奪い、忽然と姿を消したという元彼。その手紙も先程の火災で燃えてしまったのだろうから真相は確かめようがないが、なかなか逆恨みが過ぎる。
「自分が死んでるからって途端に過激だな……あとは?」
「あー……お母さんに会っておきたいかな」
先生は思い出したようにそう言う。
独身なんだから、一番近い血縁者といえば親兄弟だろう。次に友人か。常人ならそちらが先に思い浮かぶべきじゃないのか、と喉まで出かかったが留めておいた。
「それ俺が行って大丈夫なやつ? 昨日の今日で死んだ娘の教え子に会うとか俺だったら嫌なんだけど」
「大丈夫大丈夫。それにワンチャン芦峯くんだったら会えるかも」
ふよふよとどこかへ飛んでいく彼女の言葉に首を捻る。
振り向かずに放たれた先生の言葉で、俺はようやく合点がいった。
「私のお母さん、もう死んでるから」
電車をいくつか乗り継いで、ひなびた街に辿り着いた。
少し歩いたところに見つけたホームセンターに入り、俺は仏壇用品の棚を物色する。
「供花と線香と……ライターは先生のがあるからいいか。あとは……」
指折りながら、目当ての商品を適当にカゴに放り込む。先生の母親は墓に入っているそうで、「線香を上げたい」と彼女たっての希望があったからだった。ちなみに離婚しているそうで父親はいないらしい。
確かにあらゆるものを透過してしまう先生の手では、線香に火を点けることもままならないだろうけど。それにしたって他人に頼りすぎじゃないだろうか。
振り向けば先生はどこか他の棚を見に行っているらしく、姿はなかった。
探し歩く道すがら、従業員の訝しむ目がちらちらと向けられ、思わずさっと隠れるように棚の陰に入った。平日の午前に学ラン姿の学生がうろうろしていたら目立ちもするか。早く買い物を済ませて出てしまいたいところだ。
すぐそばに陳列されていたガスバーナーが目に入る。「高火力・安定性抜群!」と銘打ったそれを手に取り、啖呵を切っていたメイちゃん先生が脳裏を掠め、いやいやと首を振った。
「燃やすっていったってねぇ……」
「あ、芦峯くんいたいた。こっち来てよ」
隣の棚から上半身だけ通り抜けて、先生が姿を現した。バーナーを棚に戻して、手招く彼女に着いて行く。
案内された値下げ品コーナーに積まれたものを見て、俺は一瞬ぎょっとした。
「これ買って。あるだけ全部」
「遠慮とかないのね……」
俺にも、元彼にも。
頑として引き下がりそうにないメイちゃん先生に大きな溜息を吐いて、俺はそれらをまとめてカゴに入れた。
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