現世への心残り

「それで? どうして急に死んだりしたの」

「えー……言ったら絶対引かれるもん」

 もじもじしながら後れ毛を弄るメイちゃん先生に、俺は腰掛けたベッドから立ち上がる。

「勿体ぶるなら聞くの止めるよ、じゃあね」

「あー待って待って置いて行かないで! 言うから!」

 立ち去ろうとする背中に取り縋り、先生は懇願した。透けていても、その手のひらはしっかり俺を引き留める。

 死霊は大概のものに触れられないのだが、俺には干渉できるらしい。こればかりは厄介な体質を恨むしかない。

「彼氏に浮気されてぇ……」

「くっだらない……帰る」

「あぁん芦峯くん冷たい〜」

 保冷剤のようにひやりとする手を振り切ってなおも去ろうとする俺に、メイちゃん先生は泣き崩れる。

「だって結婚しようね、って約束してたんだよ? うちの親にも挨拶してもらって……なのに家帰ったらいなくなってて、現金も通帳も何もかも無くなってて……「別れよう」って手紙だけ残されてて……連絡もつかなくて……それで」

「衝動的に死んだ、と」

「うん……」

 聞く限りには典型的に捨てられただけだ。それも随分とぞんざいな形で。恋愛ドラマなんて普段観ないが、多分物語の一話目ってこんな風に突然の悲劇で始まるんじゃないだろうか。死んでしまった以上、超弩級の悲劇スタートだろうが。

「呆れて言葉もないんだけど……それよりその脚の鎖は何なの? どんな死に方したんだよ。逆さ吊りとか?」

「これは……分かんない。少なくとも死に際にこんなの付けてなかったのに。気がついたらこうだったの」

 取れなくて、と彼女は両足首に繋がる黒い鎖を摘んでみせた。屈んでよく見るとそれは地に向かい五本延びている。右脚に二本、左脚に三本括られたそれを指先でなぞると、先生は驚いたように目を見開いた。

「触れるんだ」

「一応ね」

 冷たい感触は現世にあるものと変わらない重厚な鎖そのものだ。だが足から延びるその先は透けて、明確に地と彼女とを結んではいなかった。

 重たい鎖は先生が動く度にジャラジャラと不快な音を立てた。ぼんやりとした何かに縛られている、ということだろうか。これまで死霊をまじまじと観察したことがなかったから、こんなものに見覚えは無いけれど。

 それ以上のことは分からず、仕方なく立ち上がる。

「……それにしても、若いのに結構思いきって死んだね。心残りなこととかなかったの?」

「そりゃまぁ……色々あるよ。若いもん、私。まだぴっちぴちの二十六歳」

「例えば? 何したかったの」

「……煙草吸いたい」

「死んで早々それかよ……」

 あまりに即物的すぎる。あれだけ普段から吸ってたんだからもう良いだろうに。いや、だからこそ、なのだろうか。

 メイちゃん先生は両手を合わせて「お願い!」と両目を瞑る。

「芦峯くん、代わりに吸ってよ」

「未成年に勧めんなよ。あと俺はヤニ臭くなるの嫌だからたとえ成人してても無理」

 にベもなくそう断ったが、先生は絶望したとでも言わんばかりに眉を下げ、両目には見る見るうちに大粒の涙が溜まっていく。なんて面倒臭い大人だろう。

「……分かった、そんな目で見るなよ。火ぃ点けるだけだからな」

 溜息を吐き、いつも彼女がそうしていたように事務机の引き出しを開ける。赤いリボンを纏ったようなデザインの紙箱が「待ってました」と言わんばかりに手前へ滑り出てきて、俺は雑に引っ掴んで引き出しを閉めた。

 机の上で灰まみれになっているガラスの灰皿の上に一本出し、紙箱の中に入ってた百円ライターで火を点ける。煙草ってどっちを燃やすんだ。分からん。適当に満遍なく燃やしとくか。

 適当な割に案外すぐに白い煙が細く上がり、メイちゃん先生はわっと歓声を上げた。

「はぁ……これよこれ」

 彼女は恍惚とした表情で薫る煙を嗅いでいる。

 俺の育ての親は寺の住職なのだが、養父も説法で「仏様や御先祖様は匂いをいただくもの」だと教えていた。香食こうじきといって、死者は供え物を直接食うわけではなく、煙や香を食うのだそうだ。

 そういう意味ではメイちゃん先生にとってマルボロは極上のご褒美メシなのかもしれない。ヤニカスめ。

「ん?」

 先生が擬似喫煙に勤しんでいるその足元で、ガチャリと硬い何かが切れ落ちる音がした。

 何かと思い見れば、先程まで彼女を結びつけていた右脚の鎖の一条が切れ、その切れ端が無惨に転がっている。

「一本切れてる」

「本当だ! なんで!?」

 先生は慌ててその場で浮き上がったが、確かに五本あった鎖は左右二本ずつ、計四本に減っている。

 少し足が軽くなったからか、メイちゃん先生はぱっと表情を明るくした。

「心残りがなくなったから、とかかな?」

「煙草の比重デカすぎだろ……」

 頭を振りながらも、俺はいくらか腑に落ちる気もしていた。

 心残りという鎖で現世に縛られる霊、つまり地縛霊というのは発想として考えられなくはない。なくはないが、煙草ごときで解消するような未練をあと四つも残す二十六歳ってどうなんだ。

「ねぇ、もしかしてこの鎖が無くなったら……現世での心残りを全部無くしていったら私、成仏できるんじゃない!?」

 奇遇にも俺もそんな気はしたのだが、続く言葉が予想できるだけにちょっと頷きかねていた。

「ねぇ芦峯くん、どうせ暇でしょ。一緒に私の心残りを全部消しに行こ」

「言うと思った。嫌だよ面倒臭い……」

「化けて出てやるぞ」

「もう出てるだろ。こうして目の前に」

「良いって言うまで毎日付き纏ってやる!」

「えぇ……」

 霊体のストーカーってどこに相談したらいいんだ。司法の及ばない所で俺に付き纏うのはやめてほしい。

 視えも触れもするがどうにもできない以上、俺に残された選択肢は「はい」か「イエス」の二択しかなかった。

「……分かった。まずどこに行ったら良いの」

「やった! ありがと芦峯くん、大好き〜!」

 根負けした俺に、メイちゃん先生は大人気なく騒いで抱き着いた。

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