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「それなら大丈夫ですよ。身体の中に入ってしまえば、あなたの感受性は女性になりますから」
打って変わって、明るい調子で天使は答えた。
「えっ……? なんか気持ち悪いんですが」
「今のあなたは男性ですけれど、肉体に入ってしまえば『魂』がその肉体の影響を受けます。ホルモンの関係ですね。すぐに慣れますよ」
「そうですか……そうかなぁ……」
「聖さんは紳士ですね。それでは、いくつかの注意事項があるので、聞いて下さい」
そう言われて、聖は静かに頷いた。
ひとつは、他人の肉体に馴染むまで時間がかかること。
次に、精神的に不安定になってしまい、記憶が更に混濁してしまうこと。
最後に、波菜子は頭を打った状態で逃げ出しているが、途中で力尽きて倒れてしまっている。公園の茂みにいるから、目が覚めた瞬間から体力を回復させなければいけない。
「以上の三点です。要するに、新しい肉体に馴染むまで苦労するということですね」
「いや、苦労どころかスタートから瀕死って……」
泣きそうになっていると、優しい笑顔で背中を撫でられた。不思議と温かい。
「必要なうちはわたしがサポートに回りますから、安心して下さい。何でも聞いて下さいね」
彼女はそう言うと、小さな貝殻のようなものを渡してきた。
「何ですか? これ」
「イヤーカフです。耳をはさみこむタイプのアクセサリーですね」
小指の爪ほどの大きさの巻貝が、銀色の金具に取り付けられていた。
「この状態で、物がもらえるんですか?」
「はい。波菜子の身体に入った時点で耳に付けてますから、確認して下さいね」
彼女が言うには、貝殻イヤーカフを通じて会話ができるというのだ。
「はじめはとにかく不慣れでしょうし、不安になることも多いでしょうから」
天使は励ますような笑顔を浮かべた。
「聖さん。敬語じゃなくて、もっと気軽にお話して大丈夫ですよ。わたしのほうが年下に見えるでしょうし」
「う、うん」
つい頷いてしまったが、姿が幼くても年下には見えなかった。そもそも年齢を比べる相手ではないのかもしれない。
「それでは、行ってらっしゃいませ。また後ほど」
ぺこりと一礼すると、その映像を最後に視界がぶつりと途切れる。
「精一杯、生きて下さい。早川聖さん」
フィオーレの声だけが、真っ暗な意識の中で響き渡った。
***
目を覚ますと、まず目に入ったのは雑草だった。
「――うっ……痛ぇ!」
上体を起こすと、腰がビキリと痛んだ。どうもうつ伏せで地面に突っ伏して倒れていたようだ。すさまじく重たく、硬く感じる。その上もの凄く寒い。周囲は真っ暗だった。
「くっそ、ここはどこだよ」
『恭介さんのアパート近くの公園です』
フィオーレの声がして驚いたが、耳元に手をやるとイヤーカフらしきものが指先に当たった。さっきまでの会話を思い出して、すぐに目的を思い出す。
「とりあえず、子猫を回収しなきゃ……オレの部屋に行かねぇと……」
死んでからどれくらい経っているのだろうか。
――六時半に、本屋で待ってるよ。
ふいに友人の恭介に言った言葉を思い出した。何時なのだろうと考えると、『十二月二十四日、夜の九時半です』と耳元で声がした。
クリスマスだったと思い出し、恭介のことを考えると胸が痛んだ。とっくに時間を過ぎている。
ピンク色のカバンを持っていたので見てみると、財布とスマートフォン、カードでパンパンになった黄色のポーチが入っていた。財布の中身を確認すると、三千円程入っている。心細いがこれだけあれば大丈夫だろう。
ポーチの中には自宅のであろう鍵も入っていた。この身体の持ち主はどこに住んでいたのか考えたが、その質問は後にして気になっていたことを尋ねる。
「なあ、オレって殺されたんだろ。場所は? どこなんだ?」
『恭介さんのアパートです』
「何っ? あ、あいつ無事なのか?」
『ええ、生きていますよ。心配ありません』
ほっとしたが、急に息苦しくなった。
事件の内容をもっと詳しく聞こうかと思ったが、早く移動したいし、何より気が進まなかった。ひどく身体が冷えているし、謎の圧迫感が精神を蝕むような感覚に襲われている。
恭介のアパートで事件……あいつは、オレが死んだところを見ているのだろうか。
苦しい、気持ち悪い。冷たい、痛い。
思いが交互に巡って、また頭痛がした。
立ち上がって駅まで急ぐ。ただ存在しているだけで、眩暈がするほど気分が悪い。
「いてぇ……」
歩くのが遅い。ものすごく歩きにくい。踵の尖ったブーツのせいだ。こんな靴履きやがって、なんかぶっ刺すつもりなのかよ。心の中で毒づきながら、遅くとも急いで歩く。元の身体よりも重たい気がするのに、筋肉量が少ないせいか殆ど力が入らない。
呼吸が荒くなり、冬の夜空が吐息で白く染まる。
駅の前は明るく、ロータリーの前は車や人で賑わっていた。もたもたしながら電車に乗ったせいで結構な時間が過ぎてしまった。
ちらほらとカップルが見えたが、クリスマスイブだからだろう。
幸せそうな人々を眺めながら息を切らせて乗り換えて、ようやく自分のアパートがある千葉県の七光台駅まで来る。
「つっれ……もう……」
不慣れな身体で歩いているせいか足首が痛い。それでもやっと地元といえる、見知った土地に来て安心している自分がいた。こっちに引越したい。
どうも情緒が不安定だ。ずっと落ち着かなくて嫌になる。浮き足立っていて、自分が何処にいるのか分からなくなってくる。フィオーレが言っていたのはこのことか、と全身で思い知った。
そんな中、見知った駅のつくりや見慣れたコンビニ、自動販売機にすら郷愁を覚える。数時間前にも同じ道を通ったはずなのに。
自分の身体に戻りたいと、強く思った。
陰鬱な気持ちに支配されかけた時、子猫と恭介の顔を思い出した。
首を振りながら足元を見る。今、自分が立っている場所を確認するかのように。
「早く……」
子猫を迎えに行きたい。その後どこへ向かうのかを考えながら、急ぎ足で歩いた。
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