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 つい最近、子猫を拾ったばかりだった。

 人気のない公園からか細い声が聞こえたから、覗いてみるとキジトラの子猫がいた。それが出会いだった。暖色系の縞模様が愛らしく、顎と胸元が白いのがチャームポイントだ。子猫は彼の人生に彩りを与えた。

 名前はまだ付けていない。

 焦って早口になりながらも、聖はフィオーレに説明を始めた。

「オレが死んだということは、アパートにある家具や荷物は家族が引き取りますよね。その時に、部屋にいる子猫を見つけたら……両親も兄貴も生きもの嫌いだから、猫なんかどこでも生きていけるとか言って放置すると思うんですよ……あの、何とかなりませんかね……?」

 どうすればいいのか分からず、懇願することしかできない。

「それなら大丈夫ですよ。あなたはすぐに生まれ変わりますから」

 天使は穏やかな笑みを浮かべる。

「ええ、赤ん坊からですか? それじゃあ猫は助けられないな……そうだ、恭介にも連絡したいな」

 一度思い出すと、せきを切ったように記憶が溢れ出した。

 今日は友人である、恭介のアパートに行く予定だった。クリスマスに男二人でケーキかよ、なんて笑ってたのはつい昨日のことだったか。

 行けなくなってしまい悪いことをしたと落ち込んできた。こういうのを、未練というのだろうか。気がかりなことが残っていると成仏できないなんて話を聞くが、自分がなってみると気持ちが分かる。

「輪廻転生とは仏教思想です。生き物というのは何度も生まれ変わっています。あなたはすぐに転生して、地上に戻らなければいけません。やるべきことがあるから」

 言われて顔を上げると、彼女は真っ直ぐ自分の瞳を見ていた。言われてみれば、他にもひどく大切なことがあったような気がする。

 改めて彼女の姿をまじまじと見つめた。どこの国の人なのか分からないが、愛らしい風貌だ。仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、死んだら同じような天使が来てくれるのだろうか。

「状況の説明をしますね。あなたは殺人鬼と揉み合いになって、階段から落ちて亡くなりました」

「……そうですか」

 言われてみれば、自分が倒れていた姿を見たような気がする。

「落ちた際に、階段の下に居た人物に体当たりしました。お互いの頭を、思いっきりぶつけています」

「えっ? そ、その人大丈夫なんですか?」

 漫画みたいな絵面だが、全く笑えない。心配しているとフィオーレが遠くを眺めるような仕草をした。

「大丈夫ですよ。その人は殺人犯のお仲間ですから」

「は? 仲間?」

「実行犯は警察に捕まっていますが、仲間の見張り役は、あなたとぶつかった直後に逃走しました」

 階段の下で見張っていたなんて、まるで計画犯罪じゃないか……と考えていると、「計画された犯罪です」とフィオーレが答えた。

「初めから、オレを殺す気だったってことですか? どうして……?」

 心当たりがない。恨みを買った覚えもないし、金を持っているわけでもない。

 哀れに思ったのだろう、フィオーレが「おかわりいります?」と聞いてきたので、カフェオレをもう一杯もらった。香りに少し癒される。

「あなたは、その女性の身体に入ることになりました。頭をぶつけた相手です。名前は、白瀬波菜子しらせはなこ

「しらせ……?」

 聞いたことがあるような気がしたが、思い出せない。

「覚えていますか?」

「いや、分からないです。それよりも、頭打ったからって入れ替わるなんてことある? おかしくない?」

「いいえ、波菜子があなたと入れ替わろうとしていたんですよ」

「……どういうこと?」

 全く意味が分からない。黙っていると、天使の方が「細かい話は後ほどします」と沈黙を破った。

「あなたの魂は、まだ地上に縛られているんです。戻りたくなくても、あなたは戻らざるを得ない。子猫と……大切な友達のために」

 どきりとした。自分の胸を触ると、確かな鼓動音がする。

「どうか戦って、運命を取り戻してください。あなたには守るべき相手がいるんです」


 再び無言になると、どこかから泣き声が聞こえて来た。

「この声は……」

「ここは受付ですから。天国に向かうか、また地上に戻るかはこの場所で決定するんです」

 未練が残っている人が多いんだろうと推測できた。自分だってそうなのだから。

 白く薄い雲が広がるこの場所では、人々の嘆きは雨水のように、天の雲へ流れ落ちて消えてゆく。

 冷めてきたカフェオレを口にすると、ミルクが入っているのに苦味を感じた。空になった紙コップをベンチの手前にある木製のゴミ箱へ捨ててから、気がついたことを質問した。

「そういえば、波菜子って女の名前ですよね。オレ、女に生まれ変わるんですか?」

 嫌なんだけど、という本心は隠しておいた。

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