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恭介きょうすけ君は、パーティとか何かするの?」

 クリスマスイブの当日。吹喜は興味本位でそんなことを聞いてみた。

 志賀しが恭介は、一緒に蕎麦屋でバイトをしている青年だ。入院していたときも見舞いに来てくれた。

 濃紺の作務衣さむえ臙脂えんじ色の前掛けが似合っている。

 彼は目つきが鋭くいかめしい外見をしているが、真面目に働く良い青年だった。吹喜より一つ年上で、二十歳だ。黒髪をタテガミのように固めていて、ただでさえ背が高いのに余計に大きく見える。


 その頭上には『使命:聖を支えること』と書いてあった。

 誰かを支えるのが使命と言うのは、吹喜の飼い犬である小雪も似たようなものだ。見ていると、使命と言うのは職業だけではなくて、玲央のように禁止形だったり、小雪や恭介のように行動を示す場合があるようだった。

「はい、一応。今日は、夜になったら友達とケーキ食う予定です」

「へぇ……いいね。私もケーキくらい食べようかな」

「秋人さんと食べればいいじゃないですか。ゆっくりしてくださいね。吹喜さんは、まだ本調子じゃないでしょう」

 真面目そうな表情を崩して、目を細めながら微笑んだ。優しそうだ。そしてすぐにまた、険しい顔へと戻った。素っ気無いけれど、彼もずいぶん心配してくれていたと玲央から聞いている。これ以上、周りに心配も迷惑もかけたくない。吹喜はしばらく副業を休むことにしていた。

「それじゃ、お疲れ様です。吹喜さん。良いクリスマスを」

 礼儀正しくお辞儀をしてから休憩室に入って行く。そこで着替えて、彼の今日の仕事はおしまいだ。

「お疲れ様。クリスマス、楽しんでね」

 友達とケーキか。甘いものとか食べるんだな、恭介君も。吹喜はそんな風に思いながら、彼の力強い背中を見送った。


 すっかり寒くなり、もうじき年末になる。吹喜は未だに通院していたが、体調は良くなってきていた。体力が落ちてしまい、階段を上ることさえも辛いのが悩みではあったが、蕎麦屋の仕事が手伝えるくらいにはなっていた。


 死にかけてからというもの、相変わらず吹喜には使命の文字が見えている。それはもちろん客の頭上にもあった。普段はあまり気にしないようにしているが、たまに変わった人がいる。特に今、窓際で食事をしている女性客は初めて見るタイプだった。

 まるで電飾をつけた看板のように目立つ。

 年のころは二十代半ばくらいだろう。痩せた女性で、結んでいない長い髪が蕎麦を食べるのに邪魔そうだ。

 その頭上には『使命??:??:歌手:作家:結婚:人気者:??』とあった。

 吹喜は目を奪われたのちに、慌てて顔を逸らせた。個人差とかそういう問題ではないような気がする。たくさんのクエスチョンマークが不可解だった。


「いけないいけない、見ないようにしなきゃ……」

 見えることにも慣れてきたが、使命というのは一体なんなのだろうか。中には本当に意味の分からない人がいる。

 あれから自分の使命は変わっていない。正直に言えば少し怖い。吹喜は首を振りながら厨房に戻った。


   ***


 翌日、吹喜が店に行くと恭介の姿が無かった。確か今日はいるはずなのに……と思い、尋ねようと秋人の姿を探すと、客用の給湯器の前に座っていた。疲れた顔をしている。

「今日、志賀君が休みを取ったよ」

 秋人が沈んだ声で呟いた。いつも覇気がない人だが、今日は輪をかけて元気がない。うつむいた拍子に黒髪が儚く揺れた。

「何かあったんですか?」

 不穏な空気を感じていると、秋人は目を伏せながらこう答えた。

「……志賀君の友人が、亡くなったそうだよ」

「えっ……?」

 一瞬、意味が飲み込めずに立ち尽くす。

「何日か休んで良いと伝えたから……吹喜君。すまないが、しばらく出てくれるかな」

 秋人の静かな声で、吹喜は現実に戻された。

「それは良いですけど……特に予定もないし」

「具合が悪かったら、無理をしないでいいからね。店を休業にしてもいいし」

 そう言って顔を上げる。少し混乱しているようだった。

「私の体調なら、もう大丈夫ですよ。どっちにしても、年始になったらお店は休みだし」

「そうだね……この時期は年末以外は暇だしね」

 悲しそうに呟いて、秋人はそのままするりと厨房に消えてしまった。

 ガランとした店内に取り残される。

 もうじき昼なのに客が来ない。昨日よりも更に暇だ。お祭りとクリスマスは、客を他所に取られる。

 クリスマスなのに。そう思うと恭介のことで胸が痛んだ。

 レジの所にあるツリーを見て、今度は弟を思い出した。

 玲央とはメッセージでやりとりをしているが、今日は彼女と出かけると言っていた。楽しそうで安心しているが、玲央の頭上の『使命』は、未だに消えてはいない。

 玲央には、去年ごろから彼女ができた。吹喜も何度か会った事がある。知早矢ちはやという名前の可愛い女の子だ。幸せそうだった。それなのに、自殺するなんてことがあるのだろうか。


 ……ここしばらく、死という言葉がつきまとう。

 ぼんやりとツリーを眺めていると、一人の客が入ってきた。グレイのコートを着た中年の男性だ。

「いらっしゃいませ……」

 そう声をかけて、吹喜は目を見張った。

 使命が、まるで鉛筆でぐちゃぐちゃに書き殴ったように表示されていた。否が応でも視界に入る。イライラした人間が、感情のまま書き殴ったような文字だ。規則性のあるその羅列は確かに字だと感じるが、何て書いてあるのか分からない。

「天ぷら蕎麦」

「あっ、はい。天ぷら蕎麦でーす」

 厨房にいる秋人に伝えて、客を席まで案内する。

 男性はつまらなそうな顔をしながら席についた。しばらくすると席を立ち、健康雑誌を手に取った。やっぱりつまらなそうに読んでいる。


 出来上がった蕎麦を運んでから、所在ないので店の中をチェックする。箸も爪楊枝も、調味料も各テーブルにしっかりと補充してある。窓もキレイだ。洗う食器もない。

 あの『使命』がぐちゃぐちゃになった客を見ていると不安になる。

 しばらくすると、カラン……と軽い音がしたので、箸でも落としたのかと思い客に目をやった。男性はブツブツと独り言を言っている。テーブルの下に視線を送ると、そこにはおかしなものが落ちていた。

 ……書き殴られた文字のようなもの、に見えた。

 彼は吹喜と目が合うと、急に席を立って「会計」とだけ言った。蕎麦は天ぷら以外ほとんど残っている。

 客が帰ったあと、テーブルの下を確認したが何もなかった。

 あの客は……使命を落としたのだろうか。いや、捨てたのかもしれない。彼の頭上には吹喜の母と同じ、消しカスのような残骸が残っていた。


 スプレー状の消毒液とダスターを手に持って、丁寧に掃除する。そして、恭介のことを考えた。今頃どうしているのだろうか――と。

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