副業ギルドSP~小さくなった錬金術師~

山本正純

女児

 その日、ハーフエルフの少女、ホレイシア・ダイソンはギルドハウスの錬金部屋の中で薬品の調合を行っていた。早朝という静かな時間に瞼を擦りながら、手元にある錬金術書の手順通りに素材をフラスコの中に入れていく。


 少し丸みを帯びた三角形のような両耳が特徴的な彼女は、「ふぅ」と息を吐き出し、一人の少年の顔を思い浮かべた。

 

 大好きな幼馴染や仲間と始めたギルド活動。この薬を生成できれば、明日のクエストが楽になるだろう。

 彼の喜ぶ姿を頭に浮かべるだけで、ホレイシアの頬は自然と緩む。



 気分を落ち着かせるため、深呼吸したハーフエルフの少女は、机の上に置かれた紙袋を手に取る。


(フブキ、買ってきてくれたんだ)


 同じギルドに所属する仲間に感謝し、中身を取り出したホレイシアは頬を緩めた。それは薬の生成に必要な薬草の一つだ。他の素材は手元にあったが、これだけはどうしても手に入らなかった。中身の紫色の葉を細かくちぎり、黒い沸騰石と共に入れると、最後に水を加え、予め紋章を刻んでおいた石板の上に置く。


 東に下向きの三角形を横棒で二分割にした土の紋章


 西に融解を意味するカニ座の紋章


 南に温浸を意味する獅子座の紋章


 北に増殖を意味する水瓶座の紋章


 中央に上向きの三角形、火の紋章



 あとは石板の上にフラスコを置き、適度に細長い鉄棒でかき混ぜれば、薬が完成するはずだった。


「えっ」


 耳障りな羽音をキャッチした直後、オレンジ色の彼女の瞳に小さな虫が映り込んだのだ。

 その虫は、フラスコから発せられる甘い匂いに誘われるように、中へと吸い込まれようとしている。


(このままだと別の薬になっちゃう)と焦り、栓で混入を防ごうとしたが、遅かった。フラスコの中で爆発が起き、ピンク色の液体が飛び散ってしまう。


「あっ」


 驚き開かれた口に、液体が侵入したのは、一瞬のこと。


 舌の上で独特な甘さを感じ取り、薬液を無意識に飲み込んでしまう。その瞬間、ピンク色の気体が発生し、錬金部屋に充満していく。そうして、ホレイシア・ダイソンは意識を失った。



 そんな事故から三十分ほどが経過した頃、白髪の少女が錬金部屋を訪れた。耳を尖らせ、白髪を腰よりもやや上の長さまで伸ばした彼女、フブキ・リベアートは周囲を見渡すように首を動かした。


「ホレイシア、薬は……えっ?」

 独特な甘い匂いを感じ取った少女は匂いの元へと足を進める。机の周りには粉々になったフラスコの残骸。その中に一匹の虫の死骸を見つけたフブキは、「はぁ」と溜息を吐き出した。


 そのまま、視線を床に落ちていた黄緑色のローブに映すと、その中からハーフエルフの幼女がムクっと体を起こした。


(やっぱり、体が縮んでるようです。全く、不必要な素材を混入させるなんて、少し失望しました)と軽蔑の目でフブキは女の子を見ていた。一方で、そのことに気が付いていないホレイシアは目をパチクリと動かした。


「おねえちゃん、だれ?」


 そこにいたのは、ブカブカなローブを身に纏う三歳くらいのハーフエルフの女の子。耳の特徴や赤い髪色、オレンジ色の瞳。あの薬を飲んでしまい、体が縮んだホレイシア・ダイソンだ。

 

 年相応の記憶しか持ち合わせていない幼児退行状態であることは、誰の目を見ても明らかだった。最近になって出会ったフブキのことを、三歳になったホレイシアは知らないのだろう。


(これから、どうしましょう? この手で触れたら瞬間移動で安心できる自宅へ帰すことができるけれど、いきなり娘が子どもになって戻ってきたら、混乱するはずです)


「ねぇ、おねえちゃん」


 フブキが思考を巡らせる隙に、小さくなったホレイシアがフブキのローブの裾を引っ張る。



(こうなったら仕方ないですね)と心の中で呟いたフブキは、小さな女の子と目線を合わせるように、膝を曲げた。


「私はフブキ・リベアート。アグネ……あなたのお母さんの友達です。お仕事で忙しいお母さんに頼まれて、一時的に預かっているのです」


 もちろんウソである。フブキとアグネは友達ではなく顔馴染みなのだが、ホレイシアは疑う素振りを見せなかった。


「そうなんだ」と呟いたホレイシアの目から涙が流れる。悲しい顔になった彼女の頭をフブキが優しく撫でる。

「大丈夫です。もうすぐお家に帰れます」

(今から体を元に戻す薬を生成します)と心の中でフブキが誓う。

 

「それ、ホント? はやくおうち、かえりたい」

 無邪気に笑うその姿は、恥ずかしさから人前ではローブのフードを目深に被っているホレイシアとは似ても似つかない。薬について詳しく、フブキの与えた錬金術書を読み解くことができるほど賢いホレイシア・ダイソンは、ここにはいないのだ。とはいえ、不安な表情を見せるわけにはいかず、フブキは優しくホレイシアの頭を撫で続けるのだった。


「ねぇ、どうして、わたし、オトナのきてるの?」

 ホレイシアは元の姿の時に着ていたローブを指さした。当然のように、十七歳の身長にピッタリなそれは、三歳のホレイシアにはブカブカである。疑問に思い首を傾げたホレイシアの前で、フブキが優しく頷く。

「あなたが錬金術師ごっこをしてみたいって言うから、私のモノを貸してあげました。ここには子ども向けのローブがありませんので」

 もちろんウソであるが、今のホレイシアは疑うことを知らない。丁度その時、錬金部屋を一人の少年が覗き込んだ。


「おーい、フブキ、ホレイシア、どこだ?」そう尋ねてきたのは、クマの耳を頭頂部に生やした獣人の少年。首元をクマの体毛で覆い、額をむき出しにしたベージュ色の髪を短く生やした彼の名は、ムーン・ディライト。ギルドマスターを務めている彼は、目の前に佇む仲間の少女をジッと見つめていた。


「マスター、ホレイシアは……朝早くに出かけていきました。すぐ帰ってくるそうですよ」

「おお、そうか」とムーンが納得の表情を浮かべる。


(ホレイシアの体が縮んだことを説明しても、単細胞のマスターは理解できないでしょう。時間の無駄です)

 そう考えたフブキは視線を下に向けた。その行動を目にしたムーンは目を丸くする。

「ん? 誰かいるのか?」

 静かな足取りでフブキの元へ歩み寄るムーン。すると、彼の目にハーフエルフの小さな女の子の姿が映り込んだ。


「誰だ? なんかホレイシアとそっくりだ」

 腰を曲げ、視線を小さな女の子に合わせたムーンが、彼女の顔を覗き込む。だが、納得できる答えが見つからず、困惑したのだった。その一方で、ホレイシアもムーンと同じ表情になっていた。

 ムーン・ディライトは、あることが原因で人間から獣人に姿を変えられているから無理もないだろう。

 三歳の記憶の中の幼馴染の彼と、目の前の獣人の少年の顔が、どうしても結びつかない。


 お互いに姿の変わった幼馴染のふたりの傍で、フブキは静かに首を縦に動かす。


「マスター、頼みがあります。二十分くらい、この子と遊んでくれませんか? その間、私は留守にしますので」

「まあ、フブキの頼みなら仕方ないなぁ」

 毛の生えていない額をムーンが掻くと、フブキは申し訳なさそうに両手を合わせた。

「申し訳ございません。この子の服は洗面所にあります。着替えさせてください。脱いだ服はそのままにしておいてください。これは、マスターにしかできない仕事です」

「おお、任せとけ!」とムーンは自信満々に胸を張った。


(まずはこの子の衣服の確保……アレは自宅から直接ギルドハウスの洗面所に飛ばせば問題ありません。それから足りない薬草採取。忙しくなりそうです)と流れを頭の中に整理したフブキ・リベアートは瞬間移動でふたりの前から姿を消した。一瞬の出来事に、ホレイシアは目を輝かせる。


「すごい、きえた」

「ああ、そうだな。スゴイだろ? フブキは瞬間移動でいろんなトコに連れて行ってくれるヤツなんだ」

「おねえちゃん、たのしいところにつれていってほしいなぁ」と子どもになったホレイシアが胸を膨らませる。そんな女の子にムーンは優しい表情で右手を差し出す。


「じゃあ、着替えに行くか!」

「おにいちゃん、おんぶ」とムーンのズボンの裾をホレイシアが引っ張る。その甘えたような声を耳にしたムーンは、それをあっさりと受け入れた。

「ああ、分かった。しっかり捕まってろ」

「うん」

 大きな背中にホレイシアがしがみついた後で、ムーンが立ち上がる。そうして彼は、ゆっくりと洗面所へ向かい歩きだした。


 

 洗面所に用意されていた白いワンピースをムーン・ディライトは手に取った。


「よし、これだな。じゃあ、着替えるか!」とムーンは小さな女の子に向けて視線を落とした。ところが、ホレイシアは恥ずかしそうに両手の人差し指をツンツンと叩いていたのだ。

「きがえ……させて……」

 ブカブカな元のホレイシアの服の中で小さな体を動かしたホレイシアはジッと獣人の少年の顔を見上げた。

「ああ、えっと、これを上からかぶせていけばいいんだっけ? こういうのホレイシアが得意そうなんだよなぁ。早く帰ってこい」

 ブツブツと呟いたが、断わる理由が見つからず、獣人の彼は幼女の着換えを行うことにした。一瞬、目に入った幼女の裸体を気にする素振りすら見せず、少年は衣服への着換えを終わらせた。


「ふぅ、大体、こんな感じだろう」

 深く息を吐き出したムーンの前には、白いワンピース姿の小さな女の子の姿があった。そんな軽い彼女の頭を、獣人の少年が優しく撫でる。

「かわいいぞ。ところで、何して遊ぶんだ? 女の子の遊び、全然分からん。こういう時、ホレイシアがいてくれたらいいんだが……」

「ホレイシア? わたしのなまえもホレイシアだよ」

 三歳の子どもになったホレイシアが目を丸くすると、ムーンは驚いたように目を見開いた。

「マジか! いるんだな。同じ名前のヤツ」


 目の前にいるのが、子どもになった幼馴染のハーフエルフ少女であるとは知らないムーンが豪快に笑う。それに釣られて、ホレイシアも笑顔になった。


「わたし、おえかきがいい」

「よし、フブキが帰ってくるまで、お絵かきで遊ぶかぁ」

「うん」とホレイシアが無邪気に頷く。


 そうして、約束の時間が経過した頃、ギルドハウス内の娯楽室にフブキが顔を出した。机の上には、子どもらしい絵の描かれた紙が置かれ、傍にはムーンとホレイシアの姿もある。


「上手に描けたな」と褒めるように、ムーン・ディライトが頭を撫でる。その度に、子どもになったホレイシア・ダイソンは嬉しそうに笑うのだった。


「マスター。戻りました。それと、この子と遊んでくれて、ありがとうございました」

「まあな。これくらい、バカな俺でもできるぞ!」とムーンが自信満々に胸を張る。その後で、フブキは子どもの姿のホレイシアに右手を差し出した。


「お家に帰る時間です。行きましょう」

「おにいちゃん、さいごにたかいたかいして」とホレイシアはムーンの前で両手を合わせた。それに対し、ムーンは溜息を吐き出し、彼女の軽い体を持ち上げる。


「おーい、フブキ。たかいたかいって、こうすればいいんだっけ?」

 両手で天井にかかげるように、子どもの体を持ち上げて見せたムーンは、視線をフブキの方へと向けた。

「そうですね。文献にはそう書いてあったと思います」

「そうか」と納得したムーンは、顔を上に向けた。すると、楽しそうに笑う小さな女の子の顔が至近距離に見える。その瞬間、女の子の顔が幼馴染の少女のモノと重なって見えたムーンは、目をパチクリと動かし、地上に彼女を降ろしたのだった。







「ん?」


 ホレイシア・ダイソンはベッドの上で目を覚ました。気が付くと体は元の十七歳のモノに戻っており、衣服も気を失う前の黄緑色のローブに戻っている。


「目を覚ましたようですね」と声をかけられ、上半身を起こしたホレイシアは、傍にフブキがいることに気が付いた。

「フブキ。私、あの薬を飲んじゃって、子どもになってたんだよね?」

 ホレイシアは首を傾げながら、ベッドの端に座りなおす。

「そうですね。大変でした。早急に元の姿に戻すために足りない素材を採取し、体を元に戻す薬を生成。それをあなたに飲ませ、ギルドハウス内のあなたの部屋に運んだわけです」

「そうなんだ。ありがとう……あっ……」

 

 そう安心したのも束の間、ホレイシアの頭の中に記憶が雪崩れ込んでくる。


 ホレイシア自身が想いを寄せる幼馴染の少年。ムーン・ディライト。

 

 彼におんぶしてくれるよう頼んだ。


 彼に着替えさせてと頼んだ。


 彼に何度も頭を撫でられた。


 至近距離に大好きな彼の顔が飛び込んできた。


 それは子どもになっていた時の記憶。年相応の知性だったあの時は何とも思わなかったが、今は違う。


 もしも今の姿で大好きな彼に同じことをされたら……そう考えるだけで、ホレイシアの顔は火傷しそうなほど熱くなる。


「あああああ」と奇声を上げ、ローブのフードを目深に被ったホレイシアは、布団の中で体を丸めた。

 

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