第4話 見えない視線

それから数日が経った。

優子はできるだけ隣の部屋に近づかないようにしながら日々を過ごしていた。

だが、その異常な出来事を忘れることはできなかった。隣の部屋から聞こえる音や壁に浮かび上がった模様は、彼女の中にくすぶり続けていた。


ある日、スーパーへ買い出しに出た帰り道、アパートの廊下で管理人の佐藤と出くわした。

「田中さん、最近どうですか?」

佐藤は人懐っこい笑顔で尋ねてきたが、優子は返事に詰まった。


「……特に変わりないです」

実際には変わりだらけだったが、言葉にする気にはなれなかった。

佐藤は隣の部屋の方向をちらりと見てから、声を潜めた。


「隣の人、引っ越すとき急いでたみたいでね。何かあったのか、詳しくは教えてくれなかったけど……」

その言葉に、優子は胸がざわついた。


「何か……って、例えばどんなことですか?」

佐藤は少し困ったような顔をして、曖昧に言葉を濁した。

「いや、あまりこういう話はしない方がいいかもしれないけど、変なことがあったらすぐに教えてくださいね」


その後、優子は部屋に戻ったが、佐藤の言葉が頭から離れなかった。

「変なこと」――まるで自分が今感じている不安や恐怖を見透かされたようだった。


夜、モモが再び低く唸り声を上げた。

優子が視線を向けると、モモは隣の部屋の壁をじっと見つめていた。

「モモ、どうしたの……?」

彼女が呼びかけると、モモは小さく震えながら後ずさった。


その瞬間、電気が一瞬だけちらついた。

優子の心臓が跳ね上がる。部屋の空気が突然冷たくなったように感じられた。


何かがいる。

壁の向こうではなく、自分の部屋の中に。


「誰か……いるの?」

優子の声は震えていた。だが、返事はない。ただ、じっと見られている感覚だけが残る。

モモが怯えたようにソファの下に隠れると、部屋に再び静寂が訪れた。


優子はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて震える手で携帯電話を取り出し、画面を見つめた。

誰かに助けを求めるべきか、それともただの思い過ごしとして自分を説得すべきか。


だが、画面に浮かぶ連絡先リストの名前を見ても、連絡先には親しかいない。どれも頼れる存在とは思えなかった。


その夜、優子は目を閉じても眠ることができなかった。

ただ暗闇の中で、見えない何かが自分を見つめている感覚と闘い続けた。

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