第2話 壊れた扉
隣の部屋から聞こえていた鼻歌が消えて数日が過ぎた。
最初は気のせいだと思おうとしたが、静寂が妙に不自然に感じられる。
壁の向こう側が、まるで空虚な存在に変わったかのようだった。
優子はアパートの薄暗い廊下を歩きながら、隣の部屋の前で足を止めた。
ふと、扉の隙間から漂う匂いに気づく。何かが腐ったような、湿った空気。
「……隣の人、いないんだよね?」
思わず自分に問いかける。数日前、管理人が隣人が急いで引っ越したと話していた。
でも、どうしてこんな匂いがするのだろう?
気になって扉のノブを軽く押してみる。
――すると、意外なことに、鍵がかかっていない。
優子はドアをゆっくりと開けた。
中は薄暗く、家具がところどころ残されたまま、まるで誰かが急いで去った跡がそのままだった。
カーテンは閉じられ、床には何かがこぼれた跡のような黒いシミが広がっている。
「……何これ……?」
優子は恐る恐る部屋の中を見渡した。
そのとき、不意に奥の部屋の扉がカタンと揺れた。
空気が凍りついたような感覚に襲われる。
「風……?」
声に出してみるが、自分の声が震えていることに気づいた。
奥の扉の向こうには何があるのか。興味と恐怖が同時に湧き上がり、足がすくむ。
モモが小さく唸り声を上げる。優子の足元にしがみつくようにして震えていた。
その瞬間、彼女ははっと我に返った。
「入っちゃだめだ……これは私の問題じゃない」
そう言い聞かせるようにして、優子は部屋を出て、勢いよくドアを閉めた。
しかし、それからというもの、部屋の中にいるときにも隣の部屋の扉の音が頭から離れなくなった。
夜、眠ろうとすると、かすかなノック音が耳元で響くような感覚に襲われる。
モモも落ち着きを失い、普段は大人しいはずなのに、やたらと吠えるようになった。
「何かおかしい……」
優子は薄暗い部屋の中で、モモを抱きしめながら震えていた。
孤独のはずだった生活の中に入り込んできた、得体の知れないもの。
それが少しずつ、彼女の心と日常を蝕んでいくようだった。
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