「孤独は隣に」
ひじきの部屋
第1話 静寂の部屋
田中優子は、窓から見える灰色の空をぼんやりと眺めていた。
東京の外れにある古いアパートの一室。壁には薄くひびが入り、雨の湿気が部屋中に染み込んでいる。
カーテンは閉じられ、電気は消えている。部屋の中にあるのは、薄暗い光と、無音の空気だけだった。
優子はこのアパートに引っ越してから三年が経つ。理由は単純だった。
誰にも会わず、静かに暮らせる場所を探し求めた結果、ここにたどり着いた。
仕事はリモートでできるし、必要なものはネット通販で揃う。隣人の顔も名前も知らないが、それがちょうどよかった。
「人なんて信用できない」
心の中で何度も繰り返してきた言葉だ。
小学校と中学校の頃、優子はクラスメイトからいじめを受けていた。
机の中にゴミを詰められたり、筆箱を隠されたり、無視されたり――それは日常だった。
最初は親にも先生にも助けを求めたが、彼らの反応は同じだった。「我慢しなさい」「友達と仲良くしなさい」。
その言葉が優子をさらに追い詰めた。
高校に進学してからは学校に行くのをやめた。
それでも誰からも連絡が来なかったことで、自分が完全に切り離された存在であることを知った。
大学には行かず、アルバイトで食いつなぎ、社会との接点を極力減らしてきた。
唯一の支えは、小さな犬の「モモ」だった。
白い毛並みと大きな目をしたモモは、優子がまだ中学生だった頃、両親から贈られた。
人間は信用できない。でも、モモだけは違った。
優子のそばを離れず、そっと寄り添ってくれる存在がいることが、彼女にとって唯一の救いだった。
モモは今も健在で、優子の膝の上で丸くなって寝ている。
その姿を見ていると、優子の心にほんの少しだけ暖かい感覚が戻ってきた。
モモがいる限り、何とか生きていける。そう思えた。
しかし、その平穏な日常の中で、優子はふとした異変に気づく。
隣の部屋から聞こえてくる、かすかな鼻歌のような音。
最初は風の音かと思ったが、何日か続けて耳を澄ませていると、それが人の声だとわかった。
「誰かいる……」
優子はその音に意識を向けながらも、決して壁の向こうの人物を想像しようとはしなかった。
人はみな、自分を傷つける存在だと信じていたからだ。
それでも、音があることで、部屋の静寂が少しだけ和らいだ気がした。
ところが、ある日その鼻歌がぴたりと止んだ。
静寂が戻った部屋で、優子は胸の奥に小さな違和感を覚えた。
孤独が再び自分を包み込む感覚――それは、歌の存在に気づく前よりもさらに重く、冷たかった。
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