第2話 転生したら踏み台だった件

 目が覚めて見えたものは、知らない天井だった。

 定番のギャグなんかじゃなく、本当に見覚えのない、病院のそれとは思えないほど生活感が滲んでいるものだ。

 周囲を見渡しても同じだった。勉強机にクローゼットが軒を連ねる定番の部屋が、視界に飛び込んでくる。


 ここが天国だとしたら、随分俗っぽいとこなんだな、と、俺は小さく溜息をついた。

 いや、あるいは地獄である可能性も否定できない。

 だが、どっちにしたって死後の世界というのは随分生活感に溢れてるんだなあ。


「くぁ……んん?」


 強烈な違和感に気づいたのは、そんな具合に呑気に欠伸をしたときだった。

 やけにキリッとした印象を与えるイケボでの困惑が、部屋の空気に溶けていく。

 どう考えても俺の喉から出力されたとは思えない。


「いや、なんかの間違いだよな?」


 試しに独り言を呟いてみたが、それも全くもって、自分の声とはかけ離れていた。

 おかしいな、俺は確か徹夜でNTRゲーをプレイしていた結果、過労と激憤が祟って死んだはずなんだが。

 だとしたらこの現状はなんなんだ。


 頭痛も綺麗さっぱり消え去っているおかげで、ベッドから飛び起きるのもスムーズだった。

 それどころか、体がやけに軽い。

 慢性的な肩凝りやら腰の痛みが全く感じられないほどの健康体そのものだ。まるで、十代の頃に若返ったかのように。


 そんな違和感の正体は、見知らぬ家を物色しているうちにたどり着いた洗面所で判明した。


「え? あ……? 冗談だろ……?」


 鏡に映っている俺の顔は、昨日プレイしていたNTRゲーの踏み台主人公、𣜿葉京介のものだったのだから。

 冗談だろ、とは呟いたが、これが夢でも冗談でもないことは頬をつねって確認済みだ。

 つまるところ俺は、あのクソゲーこと「君に咲く四季」の世界に𣜿葉京介として転生した、というのが、頭を精一杯捻ってたどり着いた結論だった。


 死ぬ間際、運命の女神様に中指を立てたのがよくなかったのか?

 前世でも踏んだり蹴ったりな目に遭って死んだってのに、なんで今世ではNTRで脳破壊される踏み台として生きていかなきゃいけないんだ。

 だとしたら、運命の女神様ってのはとんでもない性悪だとしかいいようがない。


「冗談じゃない、なんでこんな……」


 そこまで呟いたところで、ぴんぽーん、と呼び鈴が鳴る。

 こんな非常時に一体どこの誰だ。

 新聞勧誘だの壺とか絵画の押し売りとか宗教勧誘だったら許さんぞ。俺は絶対、神を……特に女神様を信じないんだからな。


 新聞屋だったら、放っておけば帰るだろう。

 今はまず、この世界に𣜿葉京介として転生した事実を受け止めるところから始めなければいけない。

 歯ブラシを水で軽く濡らして歯磨き粉を絞り、とりあえず俺は起き抜けだったことを思い出して歯磨きを始めた。


 ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴぴぴぴんぽーん。


「うるせえ! 小学生か!」


 放置されていることにご立腹なのか、玄関の前にいるのであろう何者かは呼び鈴を何度も連打する。

 これで本当に小学生のいたずらだったら本格的に俺はキレるぞ。

 いや、もう四割ぐらいキレてるけど。


 手早く歯磨きとうがいを終わらせて、俺は呼び鈴が鳴った方向、玄関へと駆け足で向かう。

 その間も、呼び鈴は執拗に連打されていた。

 扉の向こうに誰がいるのかは知らないが、文句の一つも申し立てないと気が済まない。


「はいはい、どちら様で──」

「おっそい!」


 溜息混じりに吐き出した俺の声を塗り潰すように、溌剌としていながらもどこか優しい、春風のような声が聞こえた。


「京介、どんだけ寝坊してんのさー! 高校入学から二日目でドロップアウトとか、小春さんは許しませんよー!」


 そこに立っていたのは、思わず目を奪われるように鮮烈で、それでいながら柔和な雰囲気を纏った、桜色の髪をボブカットに纏めて、左の髪束を折り返すように結わえている女の子だった。

 

「……東雲しののめ小春こはる

「はい? もしかして寝ぼけてます? わたしが小春以外のなんだっていうのさー、京介はー」


 東雲小春。「君に咲く四季」のメインヒロインの一人にして、主人公である𣜿葉京介の幼馴染。

 京介とは小さい頃に将来を誓い合った仲だが、あまりにもぶっきらぼうでつれない態度を取っていたせいで、真の主人公である真中一季にNTRされる運命の美少女だ。

 そうかそうか。一応まだ好感度が下がる前だからこうしてわざわざ起こしに来てくれたのか。


「ああ、悪い……起こしに来てくれたんだよな、小春。ありがとう」

「うえっ!? 京介が素直にお礼を言うなんてもしかして今日雨降ったりする? 傘持ってきてないんだけど」

「なんでお礼を言っただけでアメフラシ扱いされなきゃいけないんだよ……」


 それほどまでに今までの俺こと京介くんは小春に対して素っ気ない態度を取り続けていたのか。

 当たり前を当たり前だと思っていられるのは若気の至りだ。よくいえば、若さゆえの特権ってやつなんだろうが。

 だから「当たり前」をしてくれる人にこそちゃんと感謝しなきゃいけない──前世の母親から、何度も聞かされていた言葉だ。


「いや……だって京介だし……」

「……まあ、そうなるよな。でもちょっと思うところがあってな、考え方を変えてみたんだ。いつも小春は起こしに来てくれてるだろ? それを当たり前だと思わないように、厚意に甘えないようにしようって」


 それは俺が持っているちっぽけな信念のようなものだった。

 あっけなく死んで、いきなり知らない世界に踏み台予定の人間として放り出されて。

 今でも正直困惑している。どうすればいいのか、わからないでいるところもある。


 だけど、小春が起こしに来てくれて、それにお礼を言っただけで驚かれるような現状は俺の信条だとか生き方に反している。

 どうせ将来、小春は一季に奪われるのだろう。

 だったら、恋愛関係なんてものは最初からあいつに任せておいて、俺は俺として、前世での後悔を晴らすためにも、真っ当に生きる。


 当たり前と言われることにこそ感謝して、関わってくれる誰かを大事にして。

 少なくとも、そうすれば孤独な人生を歩むことになったとしても、後悔はしないはずだ。

 右も左もわからない世界で、その誓いだけが唯一確かな光として胸に灯っていた。


「……な、なんだよぅ……急に変なこと言うじゃん……」

「とにかくありがとう、小春。着替えてくるから待っててくれるか」

「う、うん。でも急いでね、遅刻ギリギリだから!」

「ああ!」


 てれてれと顔を赤らめ、頬を抑えて俯く小春へ踵を返して、俺は二階にある自室へとダッシュした。

 入学から二日目にして遅刻という醜態を晒さないためにも。

 真っ当に生きる、その第一歩として。

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