第2話 自由という名の代行
「俺の出勤を……代行する?」
等々力蓮司は、目の前の男の言葉を繰り返した。耳を疑いたくなる提案に戸惑いを隠せない。
「はい、あなたの出勤、つまり仕事を代行します」と男は穏やかに微笑む。
「私は、出勤代行という仕事をしている者です。あなたのように疲弊した方々の役割を肩代わりし、あなたが自由を取り戻せるようお手伝いします」
蓮司は困惑しながらも、相手を観察した。背格好、顔立ち、声までもが自分そっくりだ。だが、どこか自分にはない余裕と落ち着きが漂っている。
「そんなことができるはずがないだろう。そもそも、お前は何者なんだ?」
俺の返しに、その男は少し首をかしげて答えた。
「それを知る必要はありません。ただ、あなたにとっては私が『解決策』だとだけ理解してください」
男の言葉は冷静だったが、どこか説得力があった。蓮司はため息をつきながら言った。
「具体的には、何をするっていうんだ?」
男は蓮司の問いに丁寧に答えた。
「明日からあなたは会社に行く必要がありません。私がすべて引き受けます。あなたの上司や同僚に不審がられることはないでしょう。あなたの振る舞い、話し方、仕事の進め方――すべてを正確に模倣します。もちろん、給料もこれまで通りあなたの口座に振り込まれます」
「そんな……できるはずがないだろ」
蓮司は疑いの目を向けたが、男は揺るがなかった。
「できるんです。そして、報酬はあなたが私の働きに対して払える範囲でお支払いいただければ構いません。どうですか?試してみませんか?」
男はそう言うと、ポケットから一枚の紙を取り出した。それは、簡素な契約書だった。内容を読むと、「職場での業務を代行する」という文言が確かに記されている。
「これは……」
蓮司は思わず息を呑んだ。
「すべて合法です」と男は静かに続ける。
「今、あなたが選べる選択肢は多くありません。通勤に疲弊し、職場でのパフォーマンスも落ちている……。そのままでは、いずれあなた自身も限界を迎えるでしょう」
男の言葉は図星だった。心の奥にしまい込んでいた不安を、そのまま引きずり出されたような感覚に陥る。
「……もし、途中でやめたいと思ったら?」
「その時は契約を破棄すればいいだけです。いつでも元に戻れます」
蓮司は視線を落とし、再び契約書に目を通した。
条件に特に不審な点は見当たらない。いや、見当たらないというよりも、頭が働かずに考える余裕がなかった。
――これで解放されるのなら、試してみてもいいのではないか?
蓮司の手がペンを握り、紙の末尾に自分の名前を書き込んだ。
「これで契約成立です」
男は満足げに契約書を受け取り、微笑みを浮かべた。
「明日から、あなたは自由です。会社に行く必要はありません。私がすべてを代行しますので」
そう告げると、男はその場から静かに去っていった。蓮司は電車がホームに入る音を聞きながら、手元に残った控えの契約書をぼんやりと見つめた。
翌朝、目覚ましをかけ忘れた蓮司は、慌てて目を覚ましたが、いつものような通勤の準備をする必要はなかった。
時計を見ると、会社に出勤する時間はすでに過ぎている。それでも何の連絡もないことに、彼は半信半疑のまま午前を過ごした。
午後、何となく会社のチャットツールを開いてみた。すると、そこには代行者――いや、自分の名前で送られた業務連絡がいくつも表示されていた。
「〇〇課長からの指示を確認しました。こちら、夕方までに対応します」
「本日の会議資料を共有しましたので、ご確認ください」
蓮司は驚きと戸惑いを隠せなかったが、徐々に胸の奥に湧き上がる解放感に気づき始めた。
「本当に……出勤の代行をやってくれてるんだ」
蓮司は久しぶりに庭に出て、日差しを浴びた。庭の手入れをしながら、体の奥から湧き上がる喜びを感じた。
――これからは、もっと自分の時間を楽しめるかもしれない。
だが、彼はまだ知らなかった。この契約が、彼の人生をどれほど大きく揺るがすことになるのかを――
(続く)
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